【第九子】一つになる夜
「ユウさん……今日は、隣で寝てくれる?」
その一言が、やけに自然に聞こえたのは、たぶん一日を通して、ふたりの間に“それだけの時間”が流れていたからだろう。
「うん。……もちろん」
ユウは迷わずそう答え、静かに頷いた。
ミサキが寝室へ向かう足取りはゆっくりで、どこかためらいがちだった。
彼女の後ろ姿を見つめながら、ユウもゆっくりと歩を進める。
制度によって割り当てられた“適合者”としての関係は、今日、ようやく形を変えようとしていた。
寝室のドアを閉めると、そこには仄暗い灯りと、ミサキの静かな呼吸だけがあった。
「……まだ、緊張してる?」
ミサキがベッドの端に腰を下ろしながら、そっと尋ねた。
「……少し、かな。ミサキは?」
「うん。……少し、だけ」
お互いに顔を見合わせて、ふっと笑い合う。
それだけで、空気が少しやわらかくなった。
ミサキがそっと手を伸ばす。
ユウの指先と彼女の指先が触れ合う。
それは、儀式ではない。制度の命令でもない。
ただ、ひとりの人間として、もうひとりの人間を「選んだ」証だった。
「ねぇ、ユウさん」
「ん?」
「私ね……初めて会った日、覚えてる?」
「通知を受けて、面談室で会ったとき?」
「そう。でも、そのときは、どこか無理やりで……“交配制度”って言葉が頭の中でずっと反響してて、あなたの顔すらちゃんと見れてなかったの」
「俺も、正直に言えば……ミサキの名前すら、当時は他人事みたいに響いてた」
「……でも今は違うよね?」
ユウはゆっくりと頷く。
「うん。今はもう、“制度で選ばれた人”じゃない。ミサキは、ミサキだから、ここにいてほしいと思ってる」
その言葉に、ミサキの肩がふるりと震えた。
「……ありがとう。……嬉しい」
涙ではなく、喜びとも違う、何か深い場所で安堵したような声だった。
ユウはそっと彼女の肩に手を添え、ベッドの隣に座る。
ふたりの距離がゆっくりと近づいていく。
呼吸が、鼓動が、温度が交わりはじめる。
仮同棲の生活で積み重ねた小さな信頼と、少しずつ育てた想いが、ようやく“夜”を迎える。
エプロンの紐がほどかれる音が静かに響く。
ミサキの肩を覆っていたシャツがするりと落ち、素肌が露になる。
灯りに照らされた肌は薄く震えていたが、それは恐怖ではなかった。
ユウは手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
ミサキは目を閉じ、優しくその手を受け入れた。
「……怖くない?」
「ううん。ユウさんとだから、大丈夫」
制度に反抗するわけではない。
けれど、誰かに命じられてすることではなく、自らの意思で繋がる夜にしたい。
その想いが、ふたりをやさしく包んだ。
唇が重なり、互いの熱が伝わる。
焦らず、急がず、互いの気持ちを確かめながら、静かに時間は流れていった。
そして――ふたりは、ひとつになった。
心も、身体も、制度を超えて。
■ それから
朝の光がカーテンの隙間から差し込む。
ミサキの髪が枕元に広がっているのを眺めながら、ユウはゆっくりと起き上がる。
彼女はまだ眠っている。微かに寝息を立てながら、ユウの方へと自然に身体を寄せていた。
(こんな未来を、想像できていただろうか)
通知を受けたあの日、絶望しかなかった。
人生を他人に預けさせられるような無力感と、抵抗のしようもない制度の圧力。
それでも今、こうしてミサキと一緒にいるこの時間には、確かな意味が宿っている。
制度に屈したわけじゃない。
ミサキを“選び直した”のは、他の誰でもない、自分自身だった。
(……ありがとう、ミサキ)
寝顔にそっと口づけをして、ユウは胸の奥でそう呟いた。




