【第八子】10歳差と1秒のふれあい
「……こちらこそ」
無意識に返した声は、思ったより低く、慎重だった。
(まるで子どもに触れるみたいだ)
いや、実際、そうなのかもしれない。10歳も離れている。しかも、あまりにも無防備で、警戒心というものがほとんど感じられない。
レナは手を引っ込めると、嬉しそうに笑った。
「ねえねえ、最初の質問していい? ユウさんって、彼女いたことある?」
「……どうして?」
「なんとなく! 落ち着いてるし、余裕あるし、なんか経験者っぽいなーって。っていうか、もし初めてだったら……それはそれで、可愛いよね?」
悪びれずにそう言うレナの口調は、軽くて自由で、まるで制度の存在など感じさせない。
「……それ、質問じゃなくてからかってるだけだろ」
「えへへ、バレた?」
笑ってごまかすレナ。その表情に、作為はない。ただ、無意識に人の心をかき乱す力がある。
(たぶん、こういう子は何も考えてないようで、ちゃんと感じている)
だからこそ危うい。そして、惹かれてしまいそうになる自分がいることにも、ユウは気づいていた。
ふと、レナが足を組み替えた。その拍子に、ミニスカートの裾がふわりと揺れる。
(……水色、花柄)
視界の端に、そんな色が映った気がした。
だが次の瞬間、レナはすぐに脚を揃え直して、真面目な顔をした。
「でもさ、こんなふうに“制度で出会う”って、やっぱりちょっと変だよね。どこまで本気で話していいのか、わかんなくなるっていうか……」
「……そうだな。俺も、今でも違和感があるよ」
「そっか。……でも、今日みたいな出会いも、悪くないと思うな。だって、ユウさんに会えたし」
その一言に、ユウは目を伏せた。
“会えた”という言葉が、なぜか胸に残った。
――そんな感情を、ミサキにも抱いたことがある。
けれど、あのときはもっと、痛みと向き合うような出会いだった。
今目の前にいるレナは、光のような存在だ。
ミサキとは違う。
けれど――それは決して「どちらが上か下か」という話ではない。
(俺は……何を比べているんだ)
制度が選んだ“正しさ”の中で、少しずつ芽生えてしまった「感情」という歪な歯車。
ユウはそれを止めることも、壊すこともできないまま、ただ見つめていた。
――その帰り道。
ユウがセンターを出たところで、ふいに声をかけられた。
「……久しぶり」
顔を上げると、そこにいたのはミサキだった。
ライトグレーのロングカーディガンに、薄いピンクのマフラー。
彼女は少しだけ微笑んでいたが、その目の奥には何かが揺れていた。
「面談?」
「……ああ、まあ」
「そう。……変なこと聞いてごめん」
ミサキは少しだけ視線を落とす。
「あなたが、誰かと会ってるとき、わたしもたまに思うの。制度って、なんのためにあるんだろうって」
「……ミサキ」
声をかけたかった。
けれど、彼女はもう一歩、ユウの横をすり抜けて歩き出していた。
背中越しに、ひとことだけ――
「でも、次も会ってくれるなら、わたし、また“笑って”みせるね」
風に揺れるマフラーの先が、ひらりと翻った。
ユウは、ポケットの中で強く手を握りしめた。
(俺は、今、誰を見ているんだ)
制度と感情。
過去と未来。
今、自分の目に映っている“この出会い”が、正しいかどうかはわからない。
ただ、止まったままではいられない。
ユウは足を踏み出した。
――また、誰かと出会うために。