第一話 「悪魔隠して札隠さず」結2
「トリックに関しての謎解きに行き詰まった私は、今日、授業が終わった後、購買でお惣菜のうどんを買いました。」
一応補足説明しておくと、うちの高校は土曜日にも午前は授業がある。
「完全にトリックの謎解きに没頭したまま、私はそのうどんを自分の席で食べようと、教室まで戻ってプラスチックの蓋を開けました。」
「いやこれ、何の話?」
「導入。イントロ。続ける。」
マジかよ。
「そして、蓋を開けると、かつお節粉末で濁ったお出汁のゼリーがうどんにまとわりついているではありませんか!」
「ん?マジで何の話?」
「え、気づかない?」
「何が?」
「中谷さんはいかがでしょうか。」
そんな感じで振ってくるのか。俺は咄嗟にリスの中谷さんを手で前後に動かしながら、中谷さんになりきった。
「そうねぇ……、あ!電子レンジで温めなきゃいけないやつだったのかしら。」
「そう!正解です!っていうか、君、アテレコ上手いな。中谷さんってあれかな?おばさん設定なのかな?」
「ありがとうございます。演技力に関しましては、甥姪からもご好評を頂いております。モデルはうちのスーパーのパートの中谷さんです。」
佐野詩織に拍手された。
「それはともかく、話逸れ過ぎだから!そろそろ本題に入ってくれよ。」
「あぁ。だからね、それがヒントになった、って話。ゼリーがうどんの出汁に変わるのが。」
「ゼラチンってこと?」
「そう!」
ビシッと指差された。
俺は自主的に林さんのリスの後ろに回り、林さんとしてアテレコした。(と言っても林さんとはまともに話したことはないのであくまでイメージである。)
「なるほど。あの落書きの正体は、ゼラチンで赤い絵の具を固めておいたもので、ゼリーがうどんの汁となるのと同様に、それが血のような液体となって垂れてきた、と。佐野詩織さんはそう考えていらっしゃる訳ですね?しかし、お忘れではないですか?彼は落書きが垂れてきた直後にロッカーの天板に触れている。であれば、火傷などするはずでは?」
「良い質問ですね!林さん!」
声の主が「林さん」であることを佐野詩織は思いの外あっさり受け入れ、そのまま続けた。
「ゼラチンは、煮る等高温にしないと溶けないイメージが強いと思います。しかし、一度煮て、冷やし固めたものは、以降、より低い温度で溶けるようになるのです。具体的には25度前後だと言われています。」
「えっそうなの!?」
素に戻ってしまった。
「はい。あとは、氷説同様、上の段のロッカー内に10度から20度くらいの温度を保つように冷却器を置いておき、タイミングを見て、その電源を切った。あの更衣室には冷房が付いておらず、ほとんど外の残暑の気温そのままですから、あとは放置しておくだけで、室温によって溶けていく。まあ、もしかしたら、一気に溶かすために、40度ぐらいになるヒーターも仕掛けてたかもしれないけど。」
俺は感嘆のあまり、深呼吸してしまった。しかし、あることに気づいた。
「え、でもなんでそれで犯人分かったの?」
「ふっふっふ。このトリックって実は、最初の固まった状態のいわば血糊ゼリーの状態を見せないと、意味がないんだよ。にも関わらず、林さんだっけ?辞めてしまった人の……、あ、林さんってその林さんか!」
佐野詩織はリスの林さんを指差しながら言った。今かよ。
「戻ります。林さんという、辞めてしまった人のロッカーの、しかも天板なんていう、普通なら誰も見ないであろう場所に落書きを仕掛けていた訳ですね、今回の犯人は。店長に言われて君が見なければ、誰も見なかったのではないか?そう。そこで犯人が店長だと分かった訳です。あと、さっきタイミングを見て冷却器を切るって言ったけど、冷静に考えたら、そのタイミングだって図れるのは君以外には店長しかいないんだよね。そう、つまり犯人は貴方だ!」
佐野詩織は名探偵さながらに犯人役のリスをビシッと指差した。どうしてもそれがやりたかったんだろうな。だが、申し訳ないことに、先ほどのことがあって俺は店長という人の存在がトラウマになってしまったので、「証拠はあんのか!」とかいう犯人役お決まりのセリフをアテレコ出来ずにいた。しかし、佐野詩織的にはそんなことはどうでも良かったようで、勝手に続けてくれた。
「ただ、問題は動機です。単なる悪戯目的にしては、いささか手間がかかり過ぎているなぁ、と。結局動機は分かんなかったんだけど、とりあえずそうこうするうちに思い出したんだよ。君、今日、店長に焼肉奢ってもらうって言ってたな、って。動機が何にせよ、犯人と2人きりというのは絶対にまずい。だから、私はうどんを完食して購買に容器を捨てに戻ったあと、校内に残っている人の中から君の連絡先を知っていそうな人を探し回った。で、気づいた。私は、君の名前もクラスも交友関係も何も知らないんだということに。」
「え、今さら?」
「……すまん。というわけで、とりあえず、背が高い男子生徒、というだけで探し回ったんですが、そんな生徒はうじゃうじゃいまして、皆写真とかは見せてくれずに、『それって〇〇じゃない?』などと、名前で確かめようとしてくるもので、結局特定に至らず……。仕方がないので、かくなる上は君のバイト先で探すしかない、と思い、地元に帰ってきて、スーパーに行きました。正直、土曜日の午後のスーパーなめてました。お客が多すぎる。店員さん、皆接客に追われてて、到底声を掛けられそうにない訳です。どうしようか、と考えるうちに、名前も知らないんですけど、などという前置きをしてから連絡先を聞いたところで、そんな不審者には誰も何も教えてくれるわけがないことに気が付きました。」
うん、そりゃそうだ。そんなに軽々しく俺の連絡先渡されてたら困る。
「まずは、どうにかして君の名前を探らねばならないという結論に至った私は、あの怪しい神社の神主なら知ってそうだな、と思ってあの神社に行ったのです。」
「え、あの神主さん、やっぱり俺の名前知ってたの!?」
「いや、そうではない。『現在貴方からお守りをレンタル中の人、あの人の名前って知ってますか?』って聞いたら、『いいえ。』って。だから、この人使えないなと思って諦めて、その場を去ろうとしたら、『彼を探していらっしゃるんですか?』って呼び止められて、『ならば、あのお守りの出番ですね。』って言われて、お守りの正体が、防水防塵仕様フル充電時1週間可動で税込12800円のペット用GPSタグだと明かされたんですよ。で、神主さんのパソコンで『現在の位置』を調べてもらって、走ってここまでやって来た訳です。」
「え、じゃあいつから居たの?」
「あ、実はですね、君たちが焼肉屋さんにいる時から店の前にいました。」
「はぁっ!?じゃあもっと早く助けに来てくれても良かっただろうよ!」
「いや〜迷ったんだよね〜。でも、店長さんの動機次第では、君は『もう店長とは働けない』ってなるかもしれない。その場合、君はたぶんバイトを辞めることになるのは避けたいだろうから、先に決定的な証拠を押さえて、店長さんの方に自主的に辞めてもらう展開を作らねばならないな、と。で、とりあえず尾行して様子を見ていたら、尻尾を出して頂けたので全て上手く行った。」
「俺は怖かった。」
「それは申し訳なかった。」
「……いや、違うな。助けてくれてありがとう、だな。」
俺は一呼吸置いて、改めてお辞儀しながら礼を述べた。
「名前も知らない赤の他人のために、色々考えて、駆けずり回って、バイトも辞めずに済むように取り計らってくれて。本当にありがとう。」
佐野詩織は驚いたような顔をして、しばらく沈黙した。いや、普通「どういたしまして」とか返すだろ。俺、結構真剣に感謝の意を表明したんだが?
「……やはり、正直に言おう。君の名前を聞かなかったのは、わざとなんです。」
佐野詩織が神妙な面持ちで切り出すので、一体どれだけ深い訳があるのだろうかと、息を呑んだ。しかし、佐野詩織は軽く言ってのけた。
「私、人の名前覚えるのがなぜか苦手で、聞かなければ覚えなくて良いから聞かないでおこうかな〜、と。君も教えたくなさそうだったし。だから、今日も名前は聞かないで帰ろうと思ってたんだけど、覚える努力をしようと思う。ので、教えて欲しい。」
何なんだよ、その理由は!それぐらいの努力は最初からしろよ!
まあ、バイトを辞めなくて済むようにって、俺の気持ちを尊重してくれたあたりから考えて、たぶんバイトのことをチクることもないだろう。名前を、ちゃんと教えよう。ただ、それとは別に、俺は名乗る時に気をつけなければならないことがある。極力、あの名探偵を彷彿とさせないように名乗らなければならないのだ。俺は慎重に口調を選んで名乗った。
「江戸川 湊と言います。」
「コナン君と二文字違いじゃん……!」
即、失敗した。駄目だった。もう、全『江戸川』姓の宿命なんだよな、これ。中でも俺は、下の名前まで一文字被っているせいで飽きるほど言われてきた。
佐野詩織はしばらく何かを考え込んで、口を開いた。
「江戸川君って呼ぶと、自分が灰原哀ちゃんになったかのような気になってしまうから、江戸川って呼び捨てにして良い?」
一瞬「湊って呼んで良い?」って聞かれるのかと思ってドキッとしてしまった。
「別に呼び捨てぐらいは全然。」
こうして俺達は、名実共に知り合いになった。
公園からそのまま神社にお守りを返しに行った。神主さんにお守りを手渡すと、神主さんは満面の笑みを浮かべた。
「お役に立てたようで何よりです。まあ、佐野さんならこんなものなくても、貴方の居場所くらい当てられたかもしれませんが。」
神主さんに視線を送られた佐野詩織が、慌てて腕を組んで名探偵かのような雰囲気を醸し出しつつ、
「もちろんですよ!」
と言い出した。そんな訳ないだろ。この神主さんもなんでそんなこと言い出した?
「これで私も、怪しいおじさんの汚名は返上されましたかね?」
「最初から怪しいおじさんだなんて思ってませんでしたよ!」
俺は急いで否定した。佐野詩織よ、俺がいない時に一体何を言ったんだ。
「いえ良いんですよ。私もわざと怪しい雰囲気を演出していたので。」
え?
「そうですねぇ、例えば最初にお会いした時、貴方が『付きまとわれている』厄介なものというのは初めストーカーという意味で言ったんですが、貴方が悪魔だ何だと仰るので話を合わせてみたのです。」
「え!?じゃ、じゃあ、あの時俺、店長に尾けられてたんですか!」
「えぇ。店長さんかは分かりませんが、階段の上から道路の方を見ていたら、貴方より一回りは年上の挙動不審な男性が貴方の後を尾けていらっしゃるのが見えましたので、これは一応お伝えすべきかと思い、御声がけいたしました次第です。」
憑き纏われている、ではなく、付きまとわれている、だったのか。
「え、じゃあ、佐野さんの名前の件、あれは、何だったんですか?」
「あぁ、あれは佐野さんの学校カバンに付いている名札がチラッと見えただけなんですよ。佐野さんにも確認されましたが。」
何だよそういうことかよ。俺は頭を掻いた。
ていうか、やっぱり佐野詩織も気になってたんじゃないか。
「だから、言ったじゃないか。超能力者なんかいない、そう見せるのが上手いだけだ、って。」
佐野詩織よ、なぜ今そんなに偉そうにそれが言えるんだ、お前は。
神主さんは声をあげて笑い出した。
「それは言い得て妙ですねぇ。私もそう思いますよ。私は、超能力者のように見せかけるのが上手い人間側という訳ですね。」
ん?それ以外の側の人間って、何だ?
あ、そうだ。
「あの、そういえばお守りのレンタル料金、やっぱり俺が払います。」
「あぁ、そのことでしたら、佐野さんから聞いていませんか?」
「え?」
俺がズボンの後ろポケットに入った財布に掛けた手を止め、佐野詩織の方を見ると、佐野詩織はゆっくり切り出した。
「実は私今お金がなくてですね。来年のお年玉が、貰えるまで待って頂けないかと持ち掛けたところ、『金の円より人の縁です』との御高説を賜りまして。今後、君と似たようなオカルト体験をしている人を参拝客として連れて来てくれれば、それで良い、と。『何人ぐらい連れてくれば良いですか?』と聞いたら、『お気持ちの分だけ』だそうです。タダより高いものはないという話もありますが、現在払えるお金がない以上、高いタダを取るしかない、ということです。」
「ちょっと待って。金無いのに、なんで『1日500円で』とか言ったの?」
「5という数字が好きだから?」
お前の話なのに疑問符を付すな!こいつ、勉強しか出来ないアホに違いない。
「まあ良いではないですか。これから我が神社の宣伝の方、宜しくお願いいたします。」
神主さんはまた手を合わせてお辞儀してきた。
「お任せください!」
佐野詩織がわざとらしく腕を振って、言った。
これがあれだな、いわゆる物語の第一話になるんだろうな、と思った。
後日談なんだが、次の週、スーパーに出勤したら、店長が突然退社したという話題で持ちきりだった。後任の人は、40代くらいの女性で、人の話を聞く時、高速で「うんうんうん」という相槌を打つ人だ。仲良くやっていけるか微妙なライン上にいる気がする。そんなこんなで、俺がいつも通り青果で仕事をしていると、今日はレジ担当のはずの中谷さんが青果部門に顔を出して来て、
「知ってる?店長が突然辞めた理由。」
とワクワクした表情で聞いてきたので、ビクッとなった。本当は知っているが咄嗟に知らないフリをした。
「え、し、知らないです。」
「なんかね、付き合ってた彼女さんが突然海外転勤になって、ついて行くことにしたんですってぇ〜!素敵よね〜!マレーシアだってよ、マレーシア!」
……へ?何の話?
「そ、それは、す、すごいですね……。」
「びっくりよねぇ〜!じゃ、青果頑張ってね〜。」
「あ、中谷さんもレジ頑張って下さい……。」
中谷さんは嵐のように去っていかれた。
こうなってくると、林さんのアメリカ留学の件も真偽のほどが怪しくなってくるのだが、まあ、いいか、それは。