第一話 「悪魔隠して札隠さず」転
俺と佐野詩織は店長にお礼を言って、一度あのスーパーを出た。なぜならば!佐野詩織を、俺にお守りを売りつけようとしたあの怪しい男のいる神社に連れていきたかったからだ。
「あぁ、昨日の逆五芒星の悪魔につき纏われている方、と……?」
神主さん風の男は、俺たちの存在に気づくなり、箒を持って掃除していた手を止め、俺の傍らにいる佐野詩織をまじまじと見つめ始めた。
「あ、こちら俺の高校の同級生です。」
佐野詩織の方を見ると、佐野詩織も未知の生物でも見るかのような目つきで神主さん(?)を見ている。
「あの、昨日のお守りについてなんですけど、ちょっとやっぱり頂きたいには頂きたいんですが、一万円は高いんですよね〜。」
「あぁ!あのお守りですか。あれは一万円でも適正価格よりお安くした方なんですよ?」
「ですよね〜。」
「ちょっと待った。一万円が適正価格なお守りなんかあるか!そんなもの悪徳霊感商法でしかない!」
「まあ、あれがただのお守りであれば、悪徳霊感商法と言われても仕方ないですが、あのお守りの効力は宇宙科学に裏打ちされた確かな代物ですよ。そしてあのお守りの加護がないと、いざというときあなたは彼を助けられなくなる。」
男はそう言って手を合わせ、ここぞとばかりに神職の雰囲気を醸し出してきた。宇宙科学という言葉はむしろ胡散臭さが増すだけなので、使わない方が良かったような気がする。
「宇宙科学だと……?」
佐野詩織はいっそう怪訝な顔つきになっていた。しかしこれ、実は俺の思い通りの反応だったりする。
「そのお守りをですね、1日何円、という形でレンタルしてもらえないでしょうか?料金はこちらの子がお支払いします。」
「はぁっ?」
人間の目ってここまで開くのか、と思わず感動するほど、佐野詩織の目がかっ開いた。
「君は悪魔の呪いなんて存在しない、と言うけど俺は今現在様々な不運を被っている。ということで、君が謎を解けるまで俺はこのお守りに守ってもらおうと思う。だから、謎を解けない間は、君がお金を負担する形で、俺がお守りを借りる。俺としても、お守りがある間は、俺のことはお守りが守ってくれるから、君が謎を解くのを待っていても良いかな、って気になる。そして、1日ごとに料金は増すから、君も『1日も早く解決しなきゃ!』ってやる気が出るじゃん?ウィン・ウィンだよね。」
「いやいやいやいや。このお守りに君を守る力なんてある訳がないじゃないか!持つだけ無駄!」
「今の俺にとっては、君への信用度とお守りへの信用度、一緒ぐらいだから。君が謎を解くってのも、『待つだけ無駄!』かもな、って思ってる。」
今度は顎外れるんじゃないか、ってぐらい佐野詩織は大きく口を開けた。
「お守りを胡散臭いと思っていて、絶対にお金を払いたくないなら、今ここで、あの謎を解いてよ。」
「ん~~……」
佐野詩織はまた唸りだした。
「そういうことでしたら、1日おいくらでお貸ししましょうか。」
佐野詩織に結構失礼な言動を繰り返されているはずなのに、ずっとにこやかだよな、この人。一方その頃、佐野詩織は、おでこに右手のひらを当て、考え込んでいた。癖なんだな、その姿勢。しばらくすると、諦めたように、力なく右手の五本指を神主さん風の男に見せ、
「……ご、500円で……。」
と呟いた。神主風の男はニヤッとして、
「良かったですねぇ。20日以内に謎を解く自信がお有りのようですよ、佐野さんは。」
「…え?」
俺達は同時に驚いて顔を見合わせた。
佐野詩織は、名乗っていない。俺もこの男が信用できていないので、意識的に一応名前で呼ばないようにしていた。なのにこの男は、なぜか今「佐野さん」と呼んだ。
「あぁ、失礼、見えてしまったもので。名乗られる前に呼んではならないですよね、お名前は。」
男は、俺と目を合わせて、言った。見えてしまった、って名札を付けている訳でもあるまいし、何なんだ?俺の名前も『見えてしまっている』のだろうか。
「名は丁重に扱わねばなりませんからね。人の名は特に。」
「個人情報ですもんね。」
佐野詩織が通常運転過ぎる。こんな意味深発言、よくそんなさらっと流せるな。俺は、そろそろこの人が神主ということで納得しても良いぐらい、畏怖の念に近い底知れない何かを感じ、軽く萎縮していたというのに。
「少々こちらでお待ち下さい。お守りを、取って参ります。」
そう言うと神主さん(仮)は神社の奥に消えていった。二人きりになった後、一応俺は佐野詩織に確認した。
「もしかして知り合い?」
「あんな胡散臭い知り合いはいない。」
「じゃあなんで名前分かったんだろう。」
「私結構そういうことあるよ。模試とかで名前載ってるし、学校のホームページにも顔写真ごと載ってるからって知らない人から『佐野詩織さんですか?』ってよく聞かれる。」
だからそんなに動じてなかったのか。いや、あの人がなんで模試の上位者リスト持ってるんだよ。絶対に高校生でも学校関係者でもないだろ。うちの高校のホームページも見ているわけがない。
「どっから来るんだよ、あの人が超能力者とかじゃないっていうその自信。」
「超能力者なんかいないから。それっぽく見せるのが上手い人間なだけだから。」
セリフの既視感がすごい。
「はいはい。」
「悪魔の呪いといい、超能力者といい、君、意外とオカルト信じてるよね。」
「信じているというか、正しくは、疑ってはいるけど否定はしきれない、という状態。」
「ふぅん。」
なんか腹立つなぁ〜。
「そうですよね。オカルトを否定するためにオカルト同好会に入った人ですもんね、佐野詩織さんは。」
俺はドヤ顔で煽った。佐野詩織は悔しそうに唸った。勝った。
「そういえば、さっき気づいたんだけど私君にまだ教えてもらってないよね?」
やばい。俺が名乗ってないのバレたか。一応まだバイトのことをチクられるんじゃないかという懸念から今まで名乗らずにやり過ごして来ていたんだが、それももはやここまでか。
「身長が伸びる秘訣。」
……え、そっち?
「謎はまだ解けてないけど、ちゃんとスーパーにも神社にも付いて来たんだから、そろそろ教えてくれたって良いじゃないか!」
この人もしかして俺の名前に毛ほども興味ないのか?
「……身長は、気づいたら伸びてました。ていうか、遺伝です。」
「ぬぁんだってい!?」
と佐野詩織が奇声を上げるが先か、神主さんがお守りを持って戻ってきた。
「料金ですが、後払いということにいたしましょう。このお守りの効能にご納得頂いてからお支払いしてもらった方が、こちらとしても気兼ねなく料金を受け取れますから。こちら、それはそれは大切に扱って下さいね。一応防水防塵ではございますが、水も避けた方がよろしいかと。」
防水防塵のお守りって、何だ……?ていうか、後払いってやっぱり佐野詩織の「悪徳霊感商法」扱いを受けてのものなんだろうか。
とりあえず俺は両手でお守りを丁重に受け取った。
「あ、ありがとうございます。」
「悪しき輩がいつ牙を剥いてくるか分かりませんから、肌身離さず常にお持ち下さいね。……そうですねぇ、ズボンのポケットなどに入れておかれるのがよろしいかと。くれぐれも油断のなきよう。」
これぞ神職とばかりに手を合わせて軽くお辞儀された。思わず俺もそれを真似た。
「は、はい。」
こうしてお守りの加護を得た俺は、スーパーの前で牛乳を買いに店内の方に行った佐野詩織と別れてシフトに入った。
ラップで巻かれた葉物野菜に産地のシールを貼りながら、中谷さんと喋っていると、中谷さんが興味深いことを言い出した。
「林くんっていたじゃない?あの大学院生の子。あの子今アメリカで留学してるらしいわよ。」
「え!?」
やばい。手元が狂って「茨城県産」のシールをよれたまま貼ってしまった。
「あ〜だから8月なんていう中途半端なタイミングで辞めたんですか!あっちは9月に学期が始まりますもんね。」
もしかしたら林さんは何かしらの苦境に立たされてバイトも辞めざるを得なくなり、自分の悲運を嘆く意味であんな逆五芒星の落書きをしたのではないか、とも思っていたのだが、これはいよいよ悪戯なんて仕掛けていく動機がなくなった。落書きの最重要容疑者であった林さんが候補から外れてしまった。
「あの子頭良かったもんねぇ〜。前に外国のお客さんが来た時もう英語ペラペラでビックリしちゃったわ!」
林さん、落ちこぼれ仲間とか思ってて本当にすみませんでした……。そのときレジの方からビーッビーッビーッという電子警報音が鳴り響いてきた。俺も極たまにレジにヘルプで入るので知っているのだが、投入した紙幣を正しく読み込めなかったときにこの音が鳴る。だいたいは紙幣の端が折れたまま投入されているとかそういうので、折れ目を伸ばして入れ直すと通る。しかし、また同じ音が鳴り響いた。マジで今レジの人焦ってるんだろうな〜。折り目を伸ばして入れ直しても駄目なときは、お客様に言って違う紙幣に替えてもらったりする。そしてその紙幣も駄目だったときは、偽札なんじゃないですか、なんてことは間違ってもお客様には言えないので、……偽札?
俺の中で点と点が一気に繋がった。
「ちょ、ちょ、ちょっとだけ一瞬だけレジ行ってきます!」
もし俺の予想が正しければ、これは急を要する。俺は「茨城県産」のシールを慎重に剥がしていたキャベツをほっぽって、急いでレジに向かった。
レジに着くと案の定、鳴り響くレジの小倉さんが必死に謝りながら、紙幣が入っているドロワーと呼ばれる部分を開けて、中にあるのと交換して、投入し直そうとしていた。
「待って下さい!」
俺は小倉さんのところに駆け寄り、小声で尋ねた。
「レジ通らなかった紙幣ってどれですか?」
「え、これ。」
小倉さんは俺に3枚の諭吉の紙幣を渡してきた。小倉さんは、近所の女子大生で年上なので、俺にはタメ口だ。
「おい!なんだよこれ以上『お客様』を待たせんのか!」
「申し訳ございません。もう少々お待ち下さい。」
俺は営業スマイルで、断りを入れたあと、騒ぎ続けるその客の対応は申し訳ないが小倉さんに任せることにして、3枚の万札を確認した。俺はじっくりその紙幣を観察した結果、自分の予想に対する確証を得た。
「すみませんが小倉さん、店長呼んできて下さい。」
「え、うん?」
不思議そうな顔をしながらも小倉さんは店長を呼びに行ってくれた。
「何なんだよ!お前、『お客様』にこんなに不愉快な思いをさせておいてただで済むと思うなよ!クレーム入れてやるからな!」
そう言って、白地にショッキングピンクの花柄の趣味の悪いYシャツを来た中年の男は、俺の左胸の方を見た。おそらくコイツは俺の名札を確認したかったのだろうが、こんなこともあろうかと、俺は来る途中で名札を一応外しておいた。
「失礼ながら、こちら偽札ですよね。偽札だけ置いて商品だけ持って行こうとする人は『お客様』ではありません。」
俺は毅然とした態度で立ち向かった。店内は騒然となっており、万が一今うちの高校関係者がこの中にいると結構まずいのだが、ここは高校からは遠いので、いないと信じたい。近所なのは佐野詩織ぐらいだし大丈夫だろう。
「はぁっ!?偽札だなんて、何の証拠があって言ってんだよ!」
「確かに偽札にしては、かなり精巧に作られています。ただし、一点だけ。ここ!日本の紙幣にはここに、記番号と呼ばれるアルファベットと数字を組み合わせた文字列が書かれています。実はこの記番号、番号を組み替えたものが一巡した場合、今度は文字の色を変えるので色違いが複数種類あるんです。野口英世がデザインされた千円札においては、黒色、褐色、紺色の3種類があります。しかし、福沢諭吉がデザインされた一万円札において、このような、記番号が紺色のものが発行されたことはないんですよ!」
俺は男が出してきた偽札を示しながら言った。百貨店の紙袋は見当たらないが、間違いない。朝の10万円は偽札だ。おそらく偽札の印刷機か何かを売り込みたい野郎が、『サンプル』としてあの10万円を渡し、その性能を示そうとした。そしてその取引の間に俺が余計なことをして駅員に回収されてしまった。警察に連絡できないのは自分たちが偽札犯だと自首するようなものだから。駅員に忘れ物がないか聞けなかったのも、駅員が万が一偽札と気づいて警察に通報していたら困るからだろう。
そうこうするうちに店長がやってきて、狼狽えた男は逃げようとした。やばい!と思って俺が慌ててレジから出た次の瞬間、出口の前に佐野詩織が両手を広げて立ち、通せんぼしてくれた。ていうか、佐野詩織!まだ買い物終わってなかったのかよ!
「どけ!小娘が!」
男が佐野詩織の肩を突き飛ばそうとしたので、俺は急いで男の背後に回り、男の脇の下から腕を通して羽交い締めにしようとした。が、その途中で、佐野詩織が強烈な蹴りを男に食らわせてくれたおかげさまで、俺まで後ろに吹っ飛んだ。身長差的に男の後頭部が俺の顎に思いっきり当たって、それはそれは痛かった。ただ、倒れ込んだ拍子に羽交い締めは完成した。
「あ、ごめん。」
謝罪が軽い。俺今お前を助けようとしたんだが?
「大丈夫!?」
と店長と小倉さんが駆け寄ってきてくれた。偽札野郎は俺の上で伸びているらしく、何も反応がない。ただ心拍は感じるので生きては、いる。
「このひそ…ひせさす…」
顎が痛くて上手く喋れない。
「この人偽札犯なんです!すぐに警察に連絡を!」
そこで佐野詩織に一番良いところを取られた感じになって、悔しいやら痛いやら。
その後、俺はスーパーの備品の保冷剤で顎を冷やしながら警察の到着を待ち、無事偽札野郎は警察に逮捕された。ありがたいことに、表彰させて欲しいと言ってくれたのだが、それは同時に校則違反のバイトをしていることが公になることを意味するため、ノリノリの佐野詩織をなんとか説得し、ご辞退申し上げた。そんなこんなで、警察署から帰る時にはもう22時を過ぎていたので、俺は店長の許可を得て佐野詩織を送っていくことにした。
「よくあれが偽札だって分かったね。」
「まあやっぱり愛でしょうな、お金への。」
「執着ではないか?」
「それより、なんでまだいたの?牛乳買ったらすぐ帰るって言ってなかった?」
「いや〜帰ろうと思ったんだけど、あの趣味悪いYシャツの男とすれ違ってさ、こんなYシャツよく着られるなぁ、とか思いながら見てたら、あの人の右手のここにね、君のTシャツの落書きに使われたような赤い油性ペンの跡があったんだよ。」
右手の小指側の側面とでもいうんだろうか、ノートなどを取っているとよく鉛筆の黒鉛がびっしりつくところを指さしながら佐野詩織は言った。
「だから、一応あの人のこと尾けてみようと思って。そしたらあいつ買い物なっっがくて!やっとレジ行った、と思ったら君が出てきて後は知っての通り。」
あれ?もしかして途中で手柄取ったのって俺の方だったのか?いやまあ連携プレーってことで。
「あ、あと、あの人の買い物見守りながら思ったんだけど!溶ける落書きは、氷だったんじゃないかと!一つ上の段のロッカーに冷却器か何かを置いといて、落書きのある天板をキンキンに冷やしとくんだよ。で、タイミングを見て冷却器の電源を切る。そうすると徐々に室温で溶けていく。」
「一瞬、一理あるなとか思っちゃったけど冷静に考えたら俺その直後にあの天板触ってて、別に冷たくなかった。普通に室温ぐらい。」
「……いや、完全に室温に戻ってから触ったとか?ロッカーってほら金属で、熱伝導率高いし。」
「熱伝導率高いって何?」
佐野詩織は、恥を忍んで訊いている俺に一切の遠慮なく俺の無知にドン引いた顔をしながらも、答えてはくれた。
「すぐ冷えるし、すぐ温まる素材、ということ。」
「ふぅん、だとしたら、落書きが固まってる間はロッカー内がヒンヤリ冷えてるはずじゃないの?俺最初にあの落書き見た時、頭ごとロッカーに突っ込んだから、そんなに冷えてたら気づくよ。ていうか、氷の質感じゃなかった。ドロっとしてた。」
「ちょっとこれじゃないっぽいので、考え直す!そして、送ってくれるのはここまでで良い。ありがとう。」
そうこうするうちに、佐野詩織の家の近くに着いたらしかったので、家を知られたくないとか色々あるだろうし、これ以上はついていかないことにした。
「あ、そうなんだ。了解。じゃあ、また。」
そう言って、別れようとしたところ、ちょうど店長からメッセージが来て、俺は今回のご褒美として土曜日店長に焼肉を奢ってもらえることになった!思わず俺はガッツポーズしてしまったので、佐野詩織に説明せざるを得なくなった。
「え、私は?」
「いや、俺から佐野さんも連れて行って良いですか、とは言えないよ。」
「そうか。」
ちょっと残念そうだったが、まあしょうがない!世の中そんなもんだ!焼肉なんて何年ぶりだろう。なんだか急激に運が上向いているぞ。やっぱりこのお守りすげぇわ!俺はこの時、無敵になった気分だった。忘れていたんだ。俺は悪魔につきまとわれているんだってことを。