第一話 「悪魔隠して札隠さず」承2
俺は未だに唸ったままの佐野詩織を事務所の方に繋がるスーパーの裏口まで連れてきた。
「ちょっと一瞬ここで待ってて。」
「ん〜〜……うん。」
よっしゃ、佐野詩織が乗り気になってくれたっぽい。
俺は急いで事務所の店長がいる部屋まで上がった。
「おはようございます!」
余談だが、スーパーはいついかなるときも出勤したらおはようございますと挨拶する。
「あ〜、おはよう。今日早いね。」
え?
「いえ、むしろギリギリになっちゃって申し訳ないです、って言おうと思ってたところなんですけど……。」
「え、だって今日あれでしょ、19時からシメまででしょ?」
シメというのは閉店時間のこと。
「え!」
店長がシフト表をパソコンで出して見せてくれた。
「ほら。」
「本当だ……。え、なんでか俺17時から20時だと思ってました……。」
19時からなら、十分家に戻る時間はあったし、朝あのロッカーに服を入れる必要もなく、あの10万円にまつわるいざこざにも巻き込まれずに済んだんだ。なんで俺17時からだと思ってたんだろう。
「今日しかもいつものTシャツじゃないね。何かあっったの?」
「あ〜、ちょっと色々あって着替えられなくなって、今リュックの中には入ってるんですけど。」
「ん〜何か色々大変だったっぽいし、せっかく早く来てくれたし、良かったらシフトずらそうか?」
「え、そんなこと……、」
って、それどころじゃない。佐野詩織を外で待たせてるんだった。ちょうど今事務所には俺と店長しかいない。とはいえ一応声は抑えめにして切り出した。
「あの〜、林さんのロッカーにあった落書きの件で、ちょっとあの謎が解けそうな人を今、下に連れてきてまして、シフト変えなくて大丈夫なので、シフトまでの時間に現場見せちゃっても良いですか?」
思いっきり店長の表情が曇った。
「え、例の件喋ったってこと?」
あ、そうだ。あの件は内緒ね、って言われてたんだった。ただ、まだ具体的には話していないので、ギリギリ喋ってませんと言える段階なんじゃなかろうか。
「いや喋った訳ではないんですけど、謎を解くポテンシャルを持った人を見つけて。このままだとちょっと俺も不気味過ぎて仕事に支障が出ちゃうっていうか、やっぱり謎が解けるなら解いてもらいたいな、って……!それに店長の言う通り、悪戯だったとして、犯人をこのまま野放しにしてたら、他の従業員の目に触れる形でまた悪戯を仕掛けられて、皆辞めていっちゃうとかも考えられるじゃないですか!」
店長の顔色が若干変わって、確かにそれはまずいよなぁ、と思ってくれてそうだったので、俺は畳み掛けた。
「本当に、あの、林さんのロッカーを見せたらすぐ退散するんで!」
俺の必死の懇願に店長が根負けしてくれた。
「分かった、良いよ。ただし、他の人が来たら即刻その人は出ていってもらうからね。」
「はい!もちろんです!」
俺は急いで事務所から裏口まで下りて、佐野詩織を迎えに行った。
「店長の許可取れたから、来て!」
さっきまであんなに唸っていた佐野詩織はキリッとした、名探偵みたいな面構えになっていて、大変頼もしかった。
事務所まで、佐野詩織を連れて行って、一応店長に紹介したらギョッとされた。
「え?女子?女子に男子更衣室見せるの?」
あ、そうだ、そういえば佐野詩織って女子だった。流石に倫理的にやばいか。
「私が見るのは男子更衣室なんですか?」
あ、そうだ、佐野詩織にも言ってなかった。
「あ、本当に何も喋ってなかったんだ。」
意図せず身の潔白が証明されたようだったが、同時に倫理観が疑われる展開となってしまった。店長と佐野詩織両方の視線に挟まれ俺は追い込まれた。
「見せるのは林さんのロッカーだけですから!ていうか、男子更衣室って言ってもあそこは荷物置いといて業務用エプロンの付け外しするだけの空間じゃないですか!」
「ん〜まあね。……本当に林さんのロッカー見せるだけにしてね。」
なんとかなった。
「はい!もちろんです!」
なおも、眉間にシワを寄せた表情を崩さず、一言も発さない佐野詩織を連れて男子更衣室に行き、俺はノックをした。返答はない。誰もいないようだ。ドアを開けるとやはり誰もいなかった。俺は先に入って、林さんのロッカーを開けておき、何もないのを確認してから佐野詩織を中に招き入れた。
「ここのロッカーの上面に、血みたいなドロっとした赤い絵の具みたいなので、逆五芒星が描いてあったんだ。」
佐野詩織はロッカーの観察を始め、しばらくすると、右手のひらをおでこにあてて、考え込む態勢になった。
「絵の具が垂れてきた、と言ってたけど、乾いてはいなかったということかな?」
「まだ水分は含んでるように見えたけど、固まってはいたよ。確実に。あ、写真見る?」
「あ、写真あるんだ。」
俺は佐野詩織に写真を全て見せ、それに合わせてあったことを全部話した。
「なるほど。」
さも全てを見通したかのようだった。
「え、もう分かったの!?」
流石だと感嘆する俺に対し佐野詩織は先ほどのように推理ショーもどきを始めた。
「この謎を解く鍵は落書きが垂れてきた時というよりも、落書きを描いた時の方にあるものと思われる。」
「どういうこと?」
「ロッカーの上面に絵の具で絵を描く、ってなったら普通描いてる最中にもう垂れてきてしまう。重力のせいで。絵の具って垂れてくるときは不自然な液溜まりが出来るけど、写真を見る限り今回の落書きにそれはないので、それをいちいち直していたということになる。描き終わってからも、乾き切るまで、垂れてくるのを拭いて消さなければならない。しかし、なぜか君があの落書きを最初に見るまでに一滴も垂れた形跡がない。さて、犯人はどうやって一滴も垂らさずにあの落書きを描いたのでしょうか。」
「確かに。どうやったの?」
完全に謎解きを聞く側の態勢に入っていて、思考を放棄していた俺に、衝撃の返答が飛んできた。
「全っ然、何っにも分からんっ!」
「……は?」
いぃや待て待て待て待て。は?……え?は?
「分からないって、どういうこと?え、さっきまで『悪魔の呪いは否定させてもらう』とかカッコいいこと言ってなかった!?『オカルトを否定するためにオカルト同好会に入った』んじゃなかったでしたっけ!?佐野詩織さん!?」
俺はひと息で全てをぶつけた。俺がどれだけ苦労して店長を説得したと思ってるんだ。分からない、で片付けられてたまるか。しかし、佐野詩織は開き直った!
「もうこの際なので、正直に言おう。中二病の影響で一時的に正常な判断力を失っていた中一の私は、なんと!気がついたらオカルト同好会に入っていたんです!まあ、中二で治って、オカルトなんか所詮はフィクションだと目は覚めたんですが、もう今さら辞められなくて。部員皆面白いし。かといってオカルト同好会に入っていることで、こちらが引き続き中二病だと思われるのも我慢ならず、咄嗟に『オカルトを否定するためにオカルト同好会に入った』などという問題発言をしてしまったのです。」
「人のこと散々中二病扱いしといて自分がそうだったんじゃねぇか!」
俺の顔の全表情筋が過去最高に機能した瞬間だった。
「いや!だからこそ!私のように取り返しのつかないことになる前に中二病から卒業させないと、と思って!」
もうこのときの佐野詩織の姿はほとんど政治家の選挙ポスターそのものだった。
「ていうか『悪魔の呪いは否定させてもらう』とか言ってた時点であなたも中二病再発が疑われますよ。」
「それはなんか言ってみたくなってしまったから。ほら、人間誰しも謎の自信に満ち溢れてる時ってあるじゃないか!実際Tシャツの謎の方はすぐ分かったし!」
「今となってはそれも怪しい気がしてきたけど。」
「え?」
「札束に『サンプル』って付箋が付いてたの、あの謎佐野さん放置したよね。」
「バレたか。」
「もっと言えば、落書き犯が、紙袋が無くなったと気付いた後、普通なら警察に届け出たり、落とし物として届いてないか一応駅員に確認したりするところを、なんでTシャツに脅迫文を落書きするなんていう穏やかじゃない方法をとったのか、ということに対する納得いく説明自体がなかった。」
「確かに!君鋭いじゃないか!」
佐野詩織はそこについて全く考えてもいなかったらしい。
「ていうか、そんな感じならここに連れて来る前に言えよ!」
「いや〜私もこのままついて行ったらまずいよな〜、と思って必死について行きたくないことを態度で示していたんだけれども、君がしつこく食い下がってくるから、そのうちだんだんもう一回あの謎の自信が復活してきて。現場さえ見れば、私なら解けるんじゃないかと!」
「で、結局分からなかった、と。」
俺のこの発言が佐野詩織の悔しがりスイッチを押してしまったらしい。
「今は、ね!」
「え?」
「なぜ私が『不動の学年1位』たり得るか。それは分からないことを分からないままにしないからだ!この謎も確かに今は分からない。だがしかぁし!いつかこの謎は絶対に解く!」
俺は一瞬呆気にとられた。なんだこのいっそ清々しい生き物は。
「いや、『いつか』じゃなくて今解いて貰わないと!俺に次々災厄が降りかかってるのは今なんだからさぁ!あぁ〜やっぱりあのお守り……あ、良いこと思いついた。」
佐野詩織は自分にとっては『良いこと』ではないことを察したようで、顔がこわばった。
「やっぱり試験も時間が決まっているように、タイムリミットはあった方が、そういうのってやる気出るんじゃない?」
俺はニヤけが止まらなかった。