第一話 「悪魔隠して札隠さず」起 2
我が家は築30年前後の一軒家だが、まだボロくはない。
「ただいま〜!」
俺が帰ると、必ず可愛い甥っ子一人と姪っ子二人がリビングから玄関まで飛び出してくる。
「「「おかえり〜!ねぇねぇあれやって〜!」」」
「はいはい」
『あれ』とは、俺の広げた腕にぶら下がりながら、リビングに向かうというやつである。しかし、残念ながら俺には二本しか腕がないので、俺が腕を広げると、早い者勝ちで三人のうち二人が左右の腕にそれぞれ飛びつき、負けた一人は、俺の背負ったリュックを避けるように腰から足にかけてのどこかしらに掴まってぶら下がってくる。これがめちゃくちゃ重い。リビングに向かうまでの道は、毎日が暴風中継のレポーター気分だ。本日の敗者は甥の陸であった。陸は今4歳で、もうすぐ5歳になる。姪二人は先日誕生日を迎えたばかりの一卵性双生児の3歳で海と空という。陸海空って、自衛隊かよ、と思って貰えれば、すぐに覚えられると思う。ちなみに、うちの父方の祖母にその覚え方を教えたら、三人の中でごちゃ混ぜにし始めて、俺がそうやって覚えていたことがかえって露呈してしまったことがある。まあ、今はもう普通に覚えているので許してもらいたい。リビングに着くと、甥たちの方もぶら下がることに疲れるのか、毎回すぐに放してくれる。これはありがたい。カレーの匂いがリビングに充満していたので、キッチンの方に目を向けると、うちの二番目の姉・とよ姉がカレーを作ってくれていた。とよ姉の本名は、豊花だ。
「あぁ!おかえり!」
「ただいま。なんでとよ姉が晩御飯作ってるの?」
うちで、とよ姉は唯一の正社員なので、家事は基本やらなくて良いということになっている。
「お姉ちゃん、昨日のバイトが夜中から今日の朝までだったらしくて、日中も子供たちの面倒見たり家事したりしてたら、さっき充電切れた、って布団に倒れ込んじゃった。」
とよ姉が「お姉ちゃん」と呼ぶのは、うちの一番上の姉である、まき姉のことだ。まき姉の本名はそのまま真紀。ミュージシャン志望だか芸人志望だかの男と駆け落ちしたかと思ったら、向こうに浮気されたらしく、離婚して子供三人を連れて出戻ってきた。その子供三人が陸、海、空である。挙句、職場で夫のライブチケットを配り続けていたから、離婚した今となっては居づらい、という理由で、会社もお辞めになられて、今はバイトを転々としている。このように、うちは俺を含めて三人姉弟であり、俺は続柄的には長男だが、実態は末っ子なので、偽物の長男と呼ばれている。
「父さんは?」
「今井のおじさんと飲んでくるって。」
「またぁ?」
うちの父親は、あるとき自己啓発本か何かに触発されて、俺はずっと喫茶店がやりたかったんだとか一度も聞いたことがない夢を語り出し、マジで会社を辞めて喫茶店をやり始めた。そして、コロナ禍にぶち当たって、閉店。残ったものは多額の借金(これの担保になっているのが我が家なので、我々は結構な危機感をもって借金を返済している)。再就職を狙うも、五十路過ぎのおっさんを新たに雇いたがるような会社がそんなに都合よく見つかるはずもなく、見事五十代・男性・無職が誕生した。現在は駅前のコーヒーチェーン店でバイトをしていて、現役DKの俺でさえ分からない呪文みたいな片仮名の注文をスラスラ復唱できるようになったらしい。だからって、自分が作った借金返済のために校則を破ってまであくせく働く息子を横目に飲みに行って良い訳がない。
「今日さ、不思議なことがあったんだよね。」
「不思議なこと?」
カレーを煮込みながら、とよ姉と今日あったことについて話そうとしたら怖い話嫌いの姉のセンサーが反応してしまったらしく、
「あ、そう言えば、今日はなぜカレーにしたのかをまだ説明していなかったわね。」
と強引に話を逸らされたので、この日はもうそのことには触れないことにした。
悪魔に呪われたかもしれない俺は翌日、学校へ行く前に最寄り駅のロッカーに立ち寄った。一応、俺はバイト先のスーパーには制服ではなく私服で行くことにしている。今日はシフトの都合上、一旦帰宅する余裕はなく、学校から帰ったら即バイトに向かわなければならないので、着替えをロッカーに仕舞っておきたかったのだ。最寄り駅のロッカーは、空いているところにはその目印のように鍵が刺さっていて、荷物を入れた後100円を入れると鍵を閉めて抜くことができる仕様だ。ちなみにこの100円は戻って来ない。今までにこのロッカーを使っている人間を俺以外に見かけたことがないので、この100円をケチって鍵を閉めなくてもワンチャンいけるんじゃないか、と思うこともあるが、万一服を盗まれたらそれはそれでそれなりにキツいので、一応毎回100円を取られてまで鍵を閉めている。俺がいつも使う右端二段目のロッカーに鍵が刺さっていたので、空いているものと思って荷物を入れようと開けたところ、百貨店の最小サイズの紙袋が置いてあった。百貨店の商品を置いといて100円をケチる猛者がいた。そのまま紙袋には触ることなく、閉めた。俺はその隣を使うことにして、服を入れた。紙袋などに入れると、学校用のリュックに入らず帰りにかさばるので、俺はいつも服だけをそのまま入れている。俺は鍵を閉めるための100円を探そうと、財布の中を漁った。そして俺はその時考え直した。いや、やっぱり普通そんな百貨店で買い物しといて、100円はケチるなんて奴はいないだろう。忘れ物じゃないか?というか、最近駅で増えてきた貼り紙にある通り、不審物ってやつじゃないか?一応確認しておこう。もう一度例のロッカーを開けて、紙袋を手に取り、中を確認してみた。すると旧一万円札こと諭吉様が十人ほど束になって、その御姿を覗かせていた。札束の表面には付箋が貼ってあって、「こちらサンプルです。差し上げます。」と書いてあるのがはっきり読めた。え、くれるの?え、俺に?なんだこの見つけた人間にお金恵んであげますシステムは。この札束がサンプル……?サンプルってことは言えばもっと持って来てくれるってこと……?いや違う違う違う。そういうことじゃない。何だこれ?何の目的でこんなことするんだ?本当に貰って良いんだろうか。だって「差し上げます」って言われてるしな。ありがたく頂いておこうか。いや、やっぱり冷静に考えるんだ、俺。こんなに都合よく大金を「差し上げます」だなんて、罠だ。犯罪で得たお金とか、汚いお金に違いない。いや犯罪までして手に入れたお金を他人になんてあげないよな。……まさか、これはあれじゃないか?悪魔が人間の欲望を叶えるのと引き換えに魂を狙ってくるとかいうやつじゃないか?昨日俺に取り憑いた悪魔が、金が欲しいという俺の欲望を叶えることで俺の命を削ろうとしている?そしてこれはそのサンプル?だとしたら、これを受け取った瞬間、俺の魂が危ういのでは?……いや、そんな訳はないか。いやでもやっぱり万が一を考えて貰うのはやめておこう。とりあえず俺はこの札束の写真もスマホで撮っておいた。悪魔なんて非科学的なもの、到底信じられるものではない。これはきっと単なる忘れ物だ。俺からすると、札束を忘れる人間なんて存在すんのか、って感じだが、きっと忘れ物に違いない。俺は自分の荷物を入れた方のロッカーの鍵を閉めて、駅員さんに『忘れ物』を届けに行った。そして、一応、例の意味不明な付箋は剥がして丸め、ズボンのポケットに仕舞った。
「あ〜、忘れ物ですか。」
なんて無愛想な駅員さんなんだ。書類か何かを書いたままで、一切顔を上げてくれない。
「はい。中にお金が入っていて。」
「どこにありました?」
「あそこのロッカーの中に。」
わざわざ指差してやったというのに、一切顔を上げて見てくれない。
「あ。じゃあ、はい、貰います。」
やっと顔を上げてくれて、俺は『忘れ物』を手渡した。駅員さんは袋の中身を一瞥し、「お〜。」と呟いたあと、最後まで無愛想に
「じゃあもう大丈夫ですよ。」
と言ってきた。前に定期買ったときの駅員さんは良い人だったのになぁ。今日はハズレの駅員さんだったなぁ。ついてないなぁ、と思った瞬間、昨日の逆五芒星が頭をよぎった。まずい、全部悪い方に考え始めてるな俺。よし、切り替えて学校行こう。
学校では、佐野詩織は引き続き知らない人扱いをしてくれた。目も合わない。ワンチャン佐野詩織的には、本当にまだ知らない人なのかもしれないが。とにかく、バイトのことは誰にもバレていないようだったので、特に何事もなく平穏に過ごすことが出来た。
それに、呪いじみたことも一切起きなかった。
しかし、学校帰り、バイトに向かう前に、事件は起きた。ロッカーに置いていた服たちを取って、トイレで着替えようと、そのTシャツを広げてみたら、思いっきり赤ペンで、「あの金を元通りに戻せ。さもなくば殺す。」と落書きされていたのだ。
いやいやいやなんで!?え?俺この服、ロッカーに鍵かけて仕舞ってたよね?朝はこんな落書きなかったのに!え。どういうこと?「あの金」ってやっぱり朝の『忘れ物』のことだよな。ロッカーの鍵も突破してくる奴が相手なんだ。言う通りにしなきゃ、超次元的な力で本当に殺されるかもしれない。いや、ていうか、この服もう今日着られないじゃんか……。仕方ない。制服のYシャツはそのままに、ズボンだけ着替えよう。バイトには行く!行かねばならない。お金のために。とりあえず着替えを終えた俺は、朝の『忘れ物』を回収しに駅員のところに向かった。
「すみません!」
「はい、どうしました?」
ちゃんと顔を上げて聞いてくれたその駅員さんは、朝の駅員さんとは違う人だった。これはチャンスだ。
「あの、ここに、お金が入った紙袋の落とし物が届いてませんか?」
そうチャンスとは、俺が持ち主のフリをして回収するというチャンスだ。
「あ〜……、どこで落としたとか分かりますか?」
駅員さんの声色が少し変わった。少し疑われているようだった。なるほど。あの「どこにありました?」という質問は、後で現れる落とし主を名乗る者が真の落とし主かどうか、を確かめるための判断材料にするための質問だったのか。
「あの、あそこのロッカーに入れてたんですけど……!」
俺は今朝と同じように指差した。朝届けた『忘れ物』を夕方自分で回収するって、マジで何やってるんだろう、俺。
「あ〜じゃあちょっと待ってて下さいね。」
と言って、駅員さんは一度奥の部屋の方に引っ込んだ。頼む。俺の言うことを信じてくれ。あの紙袋を回収させてくれ〜!
すると、駅員さんが朝の紙袋を持って再び現れた。
「これですか?」
「はい!そうです!」
俺は助かったという喜びを全面に出して、
「ありがとうございます!」
とお礼を言い、受け取った。
よっしゃあ!これで今朝のロッカーにこれ入れてバイト行けば俺は助かる!俺は今朝のロッカーの扉を開けた。すると、さっき服に文字が書かれていたのと同じものと思わしきペンで、「このことを口外しても殺すからな。」と書いてあった。朝は10万円ものお金をサンプルというノリでくれようとしていた誰かが、そのお金を『忘れ物』扱いした途端にこんなに脅してくるなんて。不運としか言いようがない。これはやっぱりあれだろうか。悪魔が「せっかく恵んでやったのに」と憤慨している、なんてことでは流石にないとしてもやっぱり俺は悪魔につき纏われて、呪われてしまっているのだろうか。俺はとりあえず、例の紙袋を今朝あったように戻し、鍵は開けたまま扉だけ閉めた。まだこんなことが続くんだろうか。あ〜やっぱり昨日のお守買っておくべきだったかな〜!いやでも一万円は高いって〜。値切ってでも買っとけば良かったな〜!
「あ。」
ロッカーに頭をもたげていた俺の後ろで、声がした。振り返ると、学校帰りの佐野詩織がいた。「あ。」と言ってくれたからには、俺はちゃんと佐野詩織の知り合いになれたらしい。あ、そうだ。佐野詩織はオカルト同好会だ。オカルト同好会の部員である佐野詩織なら、タダでこの呪いを解いてくれるかもしれない!そう思って表情が明るくなった俺に、何か嫌な気配でも感じたのか、佐野詩織は一瞬目が合ったものの、すぐに退散しようとした。ので、急いで呼び止めた。
「待って!変なこと聞くようで悪いけど、佐野さんってオカルト同好会だよね?呪いとかって解いてくれたりする?」
「呪いを解く、というのはどういう意味で言ってるのかな?」
「どういう意味って、そのままの意味。なんかお祓い?的な?そういうのってやってくれない?」
「あ〜なるほど。君、そういうの卒業出来てない系だったのか。呪いなんか存在しないから。もし君がなんか呪われてるなぁ、とか思うなら、それは気のせい。もしくは、何らかの体調不良だから、病院に行った方が良い。」この人、俺のこと中二病認定してきてないだろうか。自分はオカルト同好会のくせに。
「気のせいとか、体調不良とかの次元じゃないことが起きてるんですよ……!佐野さんじゃ無理ならせめてオカルト同好会でそういうのに詳しそうな人を紹介して欲しい……。」
「私にお祓いは、出来ない。ただ、『呪いを解く』ということ自体は私にも出来る。」
ん?どういうことだ?お守りとかくれるのか?と思って、佐野詩織を凝視していたら、彼女はこう続けた。
「呪いの謎を解くという意味で。」