第二話 「石の上にも怨念」転1
「なんて失礼な方なのかしら!お帰り頂きましょう!」
先ほどの信者の女性一人が前に出てきて、佐野詩織に詰め寄ってきたので、俺が間に入った。
「まあまあ、落ち着いてください。このまま俺たちを追い払っても石玄様とやらの力は信者の皆さんから疑われたままですよ?まずは、彼女の話を聞いてくれませんか?」
それでも彼女は好戦的な態度を貫いたままだったが、石玄が彼女を制した。
「皆さん、石の力は本物です。私がその力をうまく引き出せなかっただけですよ。私の修行不足に尽きます。」
石玄はそう言ってざわめく信者たちを宥めた。
「ある意味では、その言葉も嘘ではない。」
佐野詩織が割って入った。
「この石は、酸化カルシウムを含んでいます。含有率はそこまで高くなさそうですが。」
「酸化カルシウム?」
俺たちが聞き返すと、佐野詩織は付け足した。
「慣用的には生石灰とも呼ばれます。」
「せいせっかい?」
俺が首を傾げて聞き返すと佐野詩織はこちらを見下すように仰け反った。しかし、申し訳ないが、俺の方が圧倒的に身長が高いため、普通にしているだけでこっちは見下せてしまうので、特にムカつかない。
「生石灰には、水と反応して、消石灰に変化する過程で熱を発する性質があるんですよ。」
そう言うと佐野詩織は、持っていた石を足元に放り投げて、ミニサイズのペットボトルに入った水をぶっかけた。途端に石は蒸気をあげて、ボロボロと崩れるように細かな燃えカスのようなものを出した。
「え、何これ!?」
さくら先生や信者たちもギョッとして、石から距離をとっている。
「この燃えカスのように見えるのが所謂消石灰です。この現象を貴方は利用したんですよね?石玄殿。」
石玄は一瞬曇らせた表情を余裕の笑みに無理やり戻して、答えた。
「そのような性質もある石だったのですね。しかし、私が念を込めている時、水をかけたりしたことは今まで一度もありません。石が私の念によって温まっていたのです。」
「あ、そうか!」
途端に俺は思い当たった。念を込めている最中、石に触れることとなる「水」の存在に。
「手汗か!」
「そういうこと!」
佐野詩織がノリノリで俺を指さしてきた。そうか、潔癖症じゃなかったのか。
「人は緊張すると手汗をかくように出来ています。緊張して手汗が出てくると、石の表面に含まれる酸化カルシウムがそれと反応して熱を発する。石が熱くなったことによって、より手汗をかき、石との反応がより進んで、より熱くなる、という負のループに陥るわけです。そして、熱さに耐えられなくなり、やがて石を放り出す。至って単純な話です。だからまあ、石の熱くなる力は本物で、石玄殿は私を緊張させるような圧を上手くかけられなかった、という意味では、先ほどの言葉は嘘偽りないものです。そんでもって私は、手に制汗スプレーをこれでもかとかけてきて、石を握る直前にもポケットに入れていたベビーパウダーをしっかりつけるなどして、全力で手汗を止めることに成功しただけで、石の力を封じ込める超能力など持ってはおりません!」
佐野詩織がドヤ顔で話を終えると、信者の代表格らしき日向さんが、ケチをつけてきた。
「『生石灰』だなんて聞いたこともない!石玄様のお力をどうにか否定しようと、それらしい化学現象をでっちあげて、口から出まかせ言ってるだけなんじゃないか!?」
佐野詩織は目をパチクリさせて、信者の方を向き、口を開いた。
「紐引くと温かくなる駅弁食べたことある人~?」
佐野詩織が左手を挙げて仲間を募ったので、俺含めその場のほぼ全員が手を挙げた。佐野詩織はそれを見てニヤッとした。日向さんは手を挙げず、佐野詩織が話を反らしたと思ったのか、一層訝しんでいた。
「それが、この現象を利用したものの代表格です。紐を引くと、生石灰と水が混ざるようになってるんですよ。熱は出るけど、火は出ないので、新幹線内で駅弁を温めるのにまさに最適なわけです。」
日向さんはもう何も言わなかった。食べたことあるんだな、そういう駅弁。
「でも!!石玄様のお力は本物です!!」
さくら先生のお姉さんが、突然周りが引くくらいの声量で叫んだ。
「今のだって、たまたま水をかけたタイミングで、石玄様のお力が解放されたのかもしれないじゃないですか!」
誰が大人しいって?ってぐらいの迫力だった。佐野詩織も流石に唖然としてしまっていた。
「石玄様は、言ってくださったんです。この金剛石の力で、裕紀人さんは必ず帰ってくるって……!」
左手の薬指にはめられた、ダイヤモンドが付いた指輪を掲げながら、さくら先生のお姉さんは涙ながらに訴えた。さっきのさくら先生の話と照らし合わせると、この人は東原裕紀人という婚約者の帰りを待つあまりこの宗教にハマってしまったのか?
「裕紀人さんって誰ですか?」
と佐野詩織がさくら先生に小声で尋ねた。俺も聞きたかったので、さくら先生の方に近づいた。
「姉の婚約者だった人です。つい最近姉の会社の後輩の子との浮気が発覚して。しかも、その子が妊娠したみたいで、姉は婚約破棄されてしまったんです。」
「クズやん。」
佐野詩織とハモってしまった。
「え、そんな人間の帰りを待つために、こんなところに行き着いちゃったんですか?」
まあ、その疑問はもっともなんだが、少しはオブラートに包めよ、佐野詩織。
「帰って!!」
さくら先生のお姉さんにさらに畳みかけられた俺たちは少し怯んだ。
石玄は嫌味ったらしく笑みを浮かべて、宣言した。
「私の使える石の力はまだまだあります。例えば、あの大きな庭石。あれは普段私が力を封じ込めているのですが、その力を解放しましょう。貴方がたの誰か大切な人がもうすぐあの石の下敷きになるはずです。」
石玄が指さしたのはしめ縄の付いた大きな石だった。いや、もはや岩かもしれない。あんな物の下敷きになったら、死ぬに決まってる。事実上の脅迫じゃないか!
俺と佐野詩織が怯んでいると、さくら先生は「すみませんでした!」と叫ぶや否や、俺たちの腕を掴んで走り出した。
あれ?さっき佐野詩織、圧勝してなかったっけ?なんで俺らこんなに必死に敗走してるんだ?
俺たちはとりあえず神社に報告に行った。
「ええと、つまり、自称超能力者のインチキは暴いたはずが、お姉様を取り返すことは出来なかった、と。」
「はい。」
俺たち三人は声を揃えて力なく返事をした。
「まあ、そういうこともありますよ。」
冷静過ぎる。たぶん踏んでる場数が違うんだろうな、この神主さんは。
「そうそう、それよりも、こちら。古来中国より伝わる、火傷によく効く塗り薬です。これを使えば、どんな傷も驚くほど綺麗に治りますよ。お一つ3000円です。江戸川さんもいかがですか?」
この人の販売文句って、なんでいつもこんなに胡散臭いんだろう。さくら先生も訝しんでしまっている。
「あの~単刀直入にその正体を教えて頂けますか?」
「馬油です。」
「馬油、ってあの銭湯とかのシャンプーに入ってる?」
「はい。馬の油は、人の皮膚の保湿成分と近いのだそうで、火傷や傷にもよく効くのです。氏子さんから試供品として頂いた物を私も使っているのですが、猫に引っ掻かれた傷もこれを塗ったら、痕が一切残らず治りますよ。本当は、昨夜火傷と聞いてすぐにでもお渡ししたかったのですが、流石に使いかけはお嫌だろうと思いまして、本日急いで買って参りました。江戸川さんの傷には、今気づいたもので、手元には一つしかございませんが、宜しければまた買って参りましょう。傷の治りも早くなりますよ。」
「いくらなんでしたっけ?」
購入を検討している自分がいた。
「お一つ3000円です。氏子さんからのご厚意で、定価5000円のところをお安く譲って頂けました。」
通販と手法が一緒!まったく、買いそうになるぜ!
「下さい。」
あ、さくら先生買うんだ。
ふと佐野詩織の方に目をやると、何か考え込んだまま、黙りこくっていた。
「どうかした?」
「いや、石玄が、私達の大切な人を殺す、的なことを言ってたけど、それって誰だろうか、と。私達の名前も知らないはずなのに、ましてその家族構成や交友関係なんて知るはずがない。唯一石玄の知る私達の大切な人は、さくら先生のお姉さんだけど、あそこまで熱狂的な信者をわざわざ殺すとも思えない。と考えると、だ。私達3人の中の誰かを殺す気なんじゃないか、と。」
さくら先生と俺は、同時に顔を見合わせた。
「それって高確率で私じゃないですか!」
さくら先生が佐野詩織に向かって叫んだ。
「私もそう思います。元々お姉さんと同居されていたなら、入信の際に住所を控えられている可能性が高い上、今もお姉さんが合鍵を持っているとすると、ご自宅への侵入は容易です。それに、信者を取り返そうとする家族なんて、奴らにとっては一刻も早く排除したい邪魔者でしょう。」
「わ、私、姉が出ていってから、一人暮らしなんですけど……。」
さくら先生が潤ませた目で必死に訴えかけてきたので、俺と佐野詩織は「友達の家に泊まる」とそれぞれ家に連絡し、コンビニに3人で行ってお泊りセットをさくら先生に奢ってもらい、さくら先生の家に泊まることにした。




