第五十九話 ウルスラの前で大金が舞う
ゆうべはビーチェとジーノが大変なことをしているのを覗いてしまいましたが……
神だから良いんですよ。
誰にも口外しないし、そもそも神ですから人の営みというのは人間の歴史で星の数だけ見てきましたから、今更どうということはありませんよ?
目を塞いでいたのは何って?
それはその…… ジーノの大事なところは刺激が強すぎて、私もどうにかなっちゃいそうでしたから……
さて、今朝は朝食後に部屋へ帰ると一騒動がありました。
部屋の前の廊下で、マハーさんがあのタオルを持って風邪を引いてませんかとジーノへ問い詰めたんです。
ジーノは顔が真っ青になり、ビーチェは最初なんのことかわかりませんでしたが、そのうち気づいて顔が真っ赤。
「ジーノが風邪? そうは見えないけれど……」
「変わった鼻水の匂いがするんです」
「どれ、貸してみな」
慌ててジーノが取り上げようとしましたが、先にウルスラがタオルを取り上げ、匂いを嗅いでしまいました。
彼女はソーマを作る知識があるので、当然医学にも長けていますが……
「ぎゃあああ!! やめてくれええ!!」
「クンクン…… あっ……」
「どうなんでしょうか?」
「安心して。彼は至って健康優良児よ。この匂いは健康な男の子の証――フガフガ」
「こんなところで言うなよおお!!!」
ジーノはウルスラの口を手で塞ぎ、危うく言いかけた男の子の秘密が漏れるのを止めることが出来ました。
「ジーノ様はご健康なんですね? それは良かったです。うふふ」
「あ、ああ…… ありがとう……」
素直に喜んでくれているマハーさんを余所に、ウルスラは無言でジーノの肩をポンと叩き、ニヤニヤと笑っていました。
ビーチェとのことは彼女に気づかれなかったと思いますが、きっとジーノの一人遊びだと思われているのでしょう。
おいたわしやジーノ……
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表彰式は明日。
私はゆうべのパーティで、教皇からまたアルテーナ大聖堂へお呼ばれされたので今日はそちらへ。
ビーチェたち三人は下町にある市場へ行きたいというので、別々の行動になります。
それぞれ、一般人らしく魔動軌道車に乗って目的地へ。
ウルスラはアルテーナに詳しいようなので魔法で飛んで行けば済むのですが、不案内なビーチェたちはウルスラに付いて街を走り回るのも迷惑になりますから。
私は結局教皇にベタベタされるだけであまり面白くない話なので、ビーチェたちの方を見てみましょう。
アルテーナ市街北部にある市場。
ボナッソーラやロッツァーノより遙かに規模が大きく、ビーチェとジーノはびっくり。
この二人、意外にも気まずい様子でなくいつも通りの距離感です。
青果店、精肉店、お菓子の店、生活雑貨店、本屋、服屋、香辛料専門店、ジェラート専門店、惣菜店、鮮魚店など大小さまざまな屋台が並んでいます。
人通りも多く活気がありますね。
「どっひゃああああ! すんごい広い! 向こうが見えないくらいだよ!」
「うはあ! あっちこっちからすげえイイ匂いがしてくる! もう腹が減ってきた!」
「男の子ねえ。さっき朝食食べたばかりでしょ」
ジーノはもう食い気だけみたいですね。
さっそく焼き鳥を買ってきて食べてます。
地球のイタリア風焼き鳥(Spiedini di pollo)に似ていて、鶏肉の間はローリエの葉が挟んであります。
味付けはオリーブオイルと胡椒のようですが、私は見てるだけで匂いがわかりません……
「モグモグモグ―― うんめえ!」
「五本も…… よく食べるわねえ」
「こいつおっさんになったら絶対太るよ」
「俺はおっさんになっても鍛えるからバルみたいになるんだよっ」
「バルはムキムキマッチョ過ぎ!」
「うぷぷっ それは言えてる」
などと喋りながら屋台通りを歩いていました。
通行人の視線が彼女らに向いているようですが……
「ひゅー! すっげえいい女が二人歩いてるぞっ」
「うほあ チチでけえ」
「チッ なんだあのガキ、何者だ? あんないい女連れて羨ましい!」
「あっはんうっふんやってんじゃねえの? クソッ」
「いや、ただのボディーガードだろ」
「あの谷間に顔をツッコミてえー」
下品な声があちこちから聞こえてきます。
それもそのはず、今日は少し暑いですからビーチェはデニムのショートパンツに、お腹がチラ見している白いチビTです。
ウルスラも鶯色のショートパンツに、外着用の黒いキャミソール。
二人ともむっちり太股が露出し、ビーチェは胸元がシャツで隠れてますがウルスラは谷間がばっちりです。
ちなみにジーノは白のTシャツに枯草色のチノパン。
こんな格好で下町をうろうろ出来るのも、少なくとも国で最強クラスの三人ですから恐怖心というのは全くありません。
気を付けて手加減しないと、痴漢でも死んじゃいます。
その後、女子二人も軽くデザートを買い食いしたり、ビーチェはお店で使う食器をいくらか仕入れていました。
勿論買った物はウルスラの魔法で亜空間へ。
高級商店街で売れている食器では、お店には相応しくないですからね。
「さてと、ちょっと私の用事に付き合ってもらうわよ。面白いかどうかわかんないけれど、珍しいところかもね」
「どんなとこなの?」
「着いてのお楽しみよ」
「お楽しみにはなるんだ」
ウルスラがどこかへ用事をしに行くようです。
ビーチェとジーノがつっこみますが、秘密なんですね。
世界最強クラスの賢者が行く用事って、何なのでしょうか。
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屋台通りから路地へ入り、裏通りへ出ました。
民家や空き家、ちょっとした商店が並んでますが綺麗な街とは言えません。
人通りは少なめで、ところどころに怪しい男たちが立っています。
「おっ!? 姉さん、久しぶりじゃないですかい!」
一人の怪しい男がウルスラに声を掛けてきました。
スキンヘッドで口髭を蓄えてますが、あまり逞しい体つきではありません。
「あら、スパルタコ(Spartaco)じゃない。元気?」
「へえ、お陰様で。へへへ…… そちらの若いお二人さんは?」
「私の仲間の弟子だよ。市場の見物に田舎から連れて来たんだよ。あんたより遙かに強いから変なことしちゃダメよ」
「とんでもねえです、姉さんのお仲間に…… スパルタコってんだ。よろしくな!」
「あたしビーチェ!」
「俺ジーノ! よろしくな、おっちゃん!」
「おおおおっちゃんじゃねえし! まだ二十三だし……」
「あんた昔から老けてたからね。髭剃ったら少しでも若くみえるんじゃない?」
「いやあ、髭は俺のトレードマークですから…… で、今日はやっぱりあの店へ?」
「ああ、そうだよ」
「ソーマの在庫が切れててさあ。姉さんが作った腹痛のソーマはすごくよく効くから」
「あなたが食い意地張って変な物食べて腹壊したんじゃないの?」
「いや…… さすがにそれは……」
「今は元気そうで何よりね。じゃ、私たちは行くから」
「へい! 姉さんもお元気で!」
悪いやつでは無さそうですね。
ウルスラは昔からここへ通っていたということですか?
「ねえ、あのおっちゃん何なの?」
「あいつがガキの頃、私からお金をスろうとした上にお尻を触ったからちょっと締めてやったのよ。勿論お金は亜空間の中に入れてるからハズレだったんだけどね。この辺の裏事情には詳しいからいろいろ調べさせて食べ物と金を都合してやったら懐いちゃってさ」
「ふーん、大衆小説にありがちな話だね」
「それ言っちゃあダメよ。て言うか、あなたもそんな小説読むんだ」
ビーチェがウルスラに問うと――
やっぱりあの男はゴロツキで、ウルスラの舎弟というわけですか。
それで、ウルスラたちが歩いて一分もしないうちに、とある店の前に着きました。
白い建物で店っぽい構えですが看板も何も無い、一見何の店かわかりません。
ウルスラがドアを開けると、チリンチリンと音が鳴りました。
「ガストーネさん! いるう?」
カウンターデスクがあって、ウスルラがそう声を掛けると数十秒後に白髪白髭のお爺さんが出てきました。
「おお、ウルスラか。おまえさんのソーマで在庫が切れてる物が多くてな、待っとったよ」
「遅れてごめんねー いろいろあってさ」
「ふむ。そっち若いのは?」
「昔の仲間の弟子でさ。この子たちに稽古つけてんだよ。けっこう強いよ」
「おまえさんがそう言うなら、相当強いのだろう。俺はガストーネ(Gastone)というソーマ売りだ」
「あたしビーチェ」
「俺はジーノ」
この店はソーマを売ってるんですね。
お爺さんがいるカウンターデスクの後ろはソーマが入っている小瓶がずらっと並んでいたり、粉薬が入っていると思われる小さな引き出しがたくさんある箪笥もありました。
それ以外は殺風景で、薄暗く薬の独特な匂いがこもっています。
「この店はちょっとグレーゾーンの薬やソーマを扱ってる店でね。それで私も出入りしているんだよ」
「あー、何となくわかったよ」
「ひょっとしてご禁制のソーマも入れてるの?」
「――ヒュー ピー ヒュヒュー」
ウルスラはジーノの言葉を聞かなかったふりをして、無言の後にわざとらしい下手な口笛を吹いて誤魔化してます。
なるほど、そういう店だから看板が無かったのですね。
「――そんなことより、ソーマを出すわね」
「おう」
ウルスラは魔法で亜空間の穴を出し、次々とソーマがたくさん入っている小瓶を出しました。
小瓶のひとつひとつは茶色いガラスで、高さが数センチの本当に小さな物でラベルも貼ってあります。
ウルスラがラベル貼りまでやってると思うと不思議なんですが、人を雇っている様子は無いし、この量じゃたぶん全部魔法を使ってるんでしょうね。
「これが風邪のソーマ…… ゴトン これが腹痛のソーマ…… ゴトン んで、これが頭痛のソーマ…… ゴトン これが外傷のソーマ…… ゴトン 目のソーマ…… ゴトン 造血のソーマ ゴトン これは毛生えのソーマ…… ゴトン これが男性向け媚薬でこっちが女性用…… ゴトン ED治療のソーマ…… ゴトン」
ウルスラがデスクに次々と木箱を置くので、お爺さんは魔法で浮かせて店の奥へ放り込んでいます。
なんか毛生えとか媚薬とかとんでもないソーマがあるんですね。
それよりこのお爺さん、魔法が使えたんですか。
「――で、これが注文入ってた一日分の記憶を無くすソーマで、これが三時間仮死状態になるソーマ、肌が二十代になるソーマ、十分だけ認識阻害のソーマ、女声になるソーマ、服だけ融けるソーマと…… あっ 服が融けるソーマは三十倍くらい水に薄めてぶっかけて使うから」
うわっ とっても怪しいソーマですよ!?
今度は一本ずつ小瓶を出しています。
「ウルスラ……」
「ああ、こういうのはお貴族様がお忍びでここへ買いに来るのよ。要望があればここで注文して私が作る。本当に死んじゃうソーマとか効能時間がもっと長いのも作れるけれど、さすがにそういうのは断ってる」
「うへえ……」
(あ、EDのソーマがあるなら、EE(早く出ちゃうやつ)のソーマもあるのかな…… でも聞きづらい……)
ビーチェとジーノはジト目で呆れてましたが……
ジーノは何か考え込んでますね。何でしょうか?
「これで全部よ。明細書はこれね」
「わかった。計算してくるから、ちょっと待っててくれ」
ウルスラは明細書を渡し、ガストーネ爺さんはそう言って店の奥へ引っ込んでしまいました。
ビーチェたちは退屈そうに待っていましたが、十分もするとお爺さんが白い大袋を三つ持って戻ってきました。
「支払いの金だ。三億一千四百九十五万七千リラ入っている。確認してくれ」
「ありがと」
ウルスラは大金が入った袋を受け取ると、魔法で袋から札束を一気に宙へ浮かばせました。
それを見たビーチェとジーノは……
「ぎええええ!! なんじゃこの金は!」
「は、初めて見たこんな大金……」
「静かにして。計算してるから」
ウルスラは浮いている札束を前に両手を広げ、魔法で札束を数えているようです。
それも一分足らずで終了。
札束は袋の中へ戻っていきました。
「そ、そんなに儲かるのか……」
「ほとんどさっきの注文品の収入なんだけどね。三億弱」
「ひえええ…… ウルスラが気前良いわけだ……」
「で、ガストーネさん。確かに三億一千四百九十五万七千リラあったわ。毎度ありー」
「こちらこそ儲けさせてもらってるぜ。ふふふ…… 今度はこんな注文が入ってる」
ウルスラは袋を亜空間に仕舞ってから領収書を渡すと、代わりにお爺さんはウルスラにメモ紙を渡しました。
「だいたい大丈夫だけれど…… この『脚が長くなるソーマ』はダメね」
「さっすがにウルスラでもそんなの出来ないよなー ハッハッハッ」
「え? 出来るわよ」
「「出来るんかいいい!!??」」
ビーチェとジーノはツッコミ。
え? 本当に脚が長くなるソーマが出来るんですか? 私が使ってみたい……
「個人面談してその人の骨格とか考えて調整しながら作るけれど、全然知らない人間にそんなの面倒臭いからやらないわ。ガストーネさん、無理って言っといてね」
「ああ、わかった」
「じゃあまた、三ヶ月以内に来るわ」
「よろしくな」
こうしてガストーネさんのお店から出ました。
アルテーナで他の店にもソーマを売っていたみたいなので、相当儲かっていますね。
彼女はそんなお金持ち生活をしているわけではないのに、使い道はどうなんでしょうね。
三人はまた屋台がある表通りへ出るために歩きました。
すると、ジーノがそわそわしながらビーチェから離れてウルスラに話しかけました。
「あのさあ…… 相談があるんだけど……」
「なあに? あなたが私に相談なんて、珍しいわね」
「ここじゃ話せなくて、今晩ホテルか、ダメだったらアレッツォへ帰ってからでもいいからさ」
「いいわ、今晩で」
「ありがとう……」
何の相談でしょうね。
ジーノとウルスラと二人きり…… うっひっひ
「――なんか嫌な感じがするわ」
ウルスラは何か嫌な空気を感じたのか、独り言を言いつつさっきと違う路地へ入ると……
ん……? 男が倒れてます。
「誰か倒れてるよ!」
「行ってみるか」
先にビーチェとジーノがその男のほうへ駆け寄ってみたら……
「ああ! おっちゃん!?」
「ウルスラ! さっきのスパルタコさんが血まみれになってる!」
「ううう……」
「何ですって!?」
スパルタコさんは、打撲や深い切り傷で血まみれになって倒れてました。
意識が朦朧としていますが、息はあるようです。
誰が何のためにこんなことを!?




