第二十八話 山越えの道
ビーチェとジーノが昼飯代わりのパンを食べている間、結局ウルスラもパンを買ってきてクロワッサンを一個だけ食べ、亜空間の中へ仕舞ってしまいました。
二人はパンを食べ終える頃――
「さてと―― そろそろ出発ね。二人とも今から説明することを聞きなさい」
「ん? モシャモシャゴックン うん」
「モグモグ―― ゴクリ なに?」
「ロッツァーノまでは街道が二つあるの。一つは主要街道で道はなだらかだけれど大回りになる。それでも馬車や多くの旅人はそっちを通っていく。もう一つの街道は近道になるけれど山越えしないといけないわ。私たちは敢えて山越えの街道を進むことにするよ。道自体は舗装されているし歩きやすいんだけど――」
「なんかあるの?」
「山道だけあって、獣が出たり野盗が出てくることがある。この前私が通ったときは魔物もいたわ」
「全然問題無いよ。蹴散らすだけでいいんでしょ?」
「俺たちに掛かれば魔物だろうが怖いモノ無しだぜ!」
ビーチェもジーノも、バルからの修行とゴッフレード討伐の経験があるので粋がってます。
そんなことはウルスラも承知しているんですが、何故注意を促しているのでしょうか。
「魔物はアレッツォにいるやつらより強い。私が見たのはヌルヌル液体状の魔物が厄介でね。スライムっていうんだけれど、あんたたちは打撃中心だし毒も持ってるからダメージを与えるには難しいね」
「そりゃヤバいね……」
「ひいい!? ウルスラはその時どうしたんだ?」
ジーノがウルスラに尋ねます。
日本のゲームに出てくるスライムとは違って可愛くなく、本当にベトベトの物体なんです。
これは二十五年以上前の、ヴィルヘルミナ帝国であった大魔王との戦いにもいましたね。
「私は魔法があるから何てことは無い。凍らしてすぐ終わったよ」
「そうなのか…… 出てきたら嫌だなあ。ウルスラがいるから良いけど」
「私は助けないよ。何が出てきても修行なんだからあんたたちで何とかしなさい」
「「ぎえー!!」」
そんなこんなで数分の後に三人はビゴッティを出発しました。
ここまで来る時と同じようにビーチェとジーノの後に付いて、ウルスラが杖に乗って飛びながら電撃魔法で二人を煽って――
街道を通る旅人には、瞬間的に通り過ぎる謎の悲鳴が聞こえたと後に噂になりましたとさ。
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二人はウルスラに煽られながら突っ走り、十分後には近道になる山越えの街道に入りました。
道の両側は深い山林ですが、元々標高が低い山地であるため勾配とカーブは緩めです。
長い登坂になるためさすがの二人でもスピードは半分に落ちてしまいました。
それでも百メートル走のアスリートより速いんですから、凄いですね。
スタタタタタタタタタタタタタタタタ――
「おいビーチェ、あそこだけ道が濡れているのはなんだ?」
「靴が汚れそう。飛び越えるよ!」
「おう!」
ジーノが前方で路面が濡れている場所を発見し、走りながら相談して飛び越えることにしましたが――
「てやっ!」
「とうっ!」
すると、謎の透明な液体から急に突起が四本飛び出し、鞭で絡めるようにして二人の足首を捕まえてしまいました。
「ぎゃあああ!!」
「どわあああ!!」
ボテッッッ
二人は前から豪快に路面へ叩き付けられてしまいました。
この謎の液体はもしや?
「あ痛たたたた―― 何?」
「おい! 液体から腕みたいなのが伸びて俺たちを捕まえてる!?」
「あーこれね。さっき言ってたスライムよ。早く何とかしないと、引っ張り込まれて溶かして捕食されちゃうわよ」
「えええ!!??」
「ぎゃー! それを早く言ってよお!!」
「実戦形式の修行だから言ったら意味が無いでしょ。でもこれだけはアドバイスしてあげる。パンチしても切っても飛び散ってまた再生するからね」
「冗談じゃないってば!!」
「うげええええ! どうすればいいんだああ!?」
そう言っている間に、二人は路面にしがみついていますがズルズルとスライムのほうへ引きずり込まれています。
溶かして食べちゃうなんて、そんな危険な魔物がいるんですから人が通らないわけです。
昔はここらに魔物がいなかったから街道が作られたんでしょうけれど。
「ぐうぅぅぅぅ あともうちょっとで食べられちゃうぅぅ!」
「なんとかしないとなんとかしないとなんとかしないと!!」
「ほらほら。あと二メートルしかないわよ」
必死に路面にしがみついている二人はどうにかしようと考えています。
そして、暢気に脚を組んで、浮いている杖に座って二人を煽るウルスラ。
ただの鬼教官なのか彼らを信じているのか、危険な魔物なのにあまり心配して無さそうですが――
「ビ、ビーチェ…… 俺に考えがある……」
「なんだぁ……? 早く言ってくれ……」
「俺たちのオーラを全力で思いっきり足からスライムに流し込んでみるんだ…… どうなるかわかんないけれど、少なくとも足からは外したい」
「わかった、やってみる……」
(ふふふ…… 何か思いついたようね。上手くいけば良いけれど)
ジーノの発案で、二人でオーラを爆発させてスライムを流し込むようです。
ゴッフレードとの戦いでもオーラをふんだんに使い、倒すことが出来ました。
直接打撃では倒せないスライム相手にどうするつもりなんでしょうか。
「いくぞビーチェ! ふぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「ハァァァァァァァァ!!」
ジーノとビーチェは足にオーラを一気に集中させています。
するとスライムが捕まえている液体の腕から煙が湧いてきました。
どうやら水分が蒸発して湯気が出ているようです。
「なんか上手く行きそう!?」
「よしっ! もっとやるよお!! うぉぉぉぉぉぉ!!」
二人がオーラの出力を上げた途端、スライムの腕からさらに湯気が出て、本体からもジュワッと勢いよく蒸発が始まり周りは温泉のように湯気が立ちこめてしまいました。
「フゥゥゥゥゥゥゥゥン!!」
「ヌウゥゥゥゥゥゥゥン!!」
そのままオーラの出力を続けていると、本体のほうから一気に蒸発して消えてしまい、次に四本の腕も消失しました。
残ったのはカピカピに乾いたヌメリの跡だけ。
二人は立ち上がると、この状況を見て万歳してます。
「おお!? スライムをやっつけたぞ!」
「やったなジーノ! オーラでこんなに簡単に倒せるとは思わなかったよ」
「パン! はい、良く出来ました。まあ、バルから散々オーラを活用しろと言われていたんだから、これくらいは切り抜けられて当然よね」
ウルスラは一回だけパンと手を叩いて、小学校の先生のような物言いをしてます。
オーラを使えば簡単に倒せたとは言え、危険な魔物なのに随分あっさりしてますね。
「ウスルラ、実はこいつ弱っちくて本当にヤバい魔物なの?」
ビーチェが、疑うような表情でウスルラに質問しました。
「本当よ。帰ったらバルに聞いてご覧よ。彼ったら若いときに違う種類のスライムに服だけ溶かされてたんだっけ。スッポンポン! アッハッハッハ!」
「ああ…… そう」
いくらウスルラの立体映像魔法でバルの若い頃を見たことがあっても、今おじさんになってるバルのほうがずっと見慣れてますから、裸なんて想像したくないですよね。
「さっ 二人とも。出発するわよ」
「ああ…… ダルぅ……」
「俺たちどのくらい進んだっけ?」
「ロッツァーノまでまだ十分の一くらいよ。さあさあ行った行った!」
「「うぇぇぇぇ……」」
二人は気怠そうに、渋々と走り出しました。
すれ違ったり追い越した旅人はとても疎らで、先に前へ進んでいる人がいるということはビーチェたちが通過する直前にスライムが通せんぼしてきたんでしょうか。
スライムはオーラを感じない低級魔物ですからたまたまだったんでしょうね、
二十分も進むとカーブが多くなって来たのでペースを落として走っていると、道の右側が拓けており山の下の景色が俯瞰して見られるようになっていました。
小休止でいったんそこで立ち止まることにします。
「へー そんなにきつい坂道じゃなかったけれど、ずいぶん高いところまで上がったんだねえ。小さな村がもっと小さく見えるよ」
「あ、ホントだ。あんなところに村がある」
「あの村はどっちの街道からも外れた山岳民の村だね。あまり外へ出ないで農業と狩りで細々と暮らしているんだよ。戦闘力も平地の住民より高いはず」
ビーチェとジーノが景色を眺めていると、ウルスラが解説しました。
「ウルスラはよく知ってるねえ」
「ふっふっふっ 伊達に七百年以上生きてないし、ロッカ族は脳の処理能力も普通の人間より高いからね。だから魔法を何重にも同時に掛けられるんだよ」
「ふーん、なのにどうして店ではバカになってるの?」
「あっ 俺もそれ気になる」
「チチチ わかってないなあ。楽しいときはバカになるのが一番楽しくなるんだよ」
「そんなものなのかねえ。俺にはまだわかんないや」
「ジーノも酒を飲める歳になればわかるって。ひっひっひ」
ウスルラはジーノの肩を抱いて、悪魔が囁くように笑いました。
当然それを見たビーチェの反応は、ブスッとした顔になりました。
「ウルスラ! ジーノを悪の道に引き込むなよっ」
「あらあら。お酒の楽しさを教えてあげようと思っただけなのにねえ」
(ウルスラがまだ俺におっぱいを押しつけてるし、わざとやって揶揄ってんのか? でも有り難みが無いよなあ。どうせなら生でじっくり触ってみたいぞ)
そうして十分弱休憩した後、また走り始めました。
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三人は順調に進み峠を越えて、ロッツァーノがあるレオンツィオ伯爵(Leonzio)の領地へ入りました。
左カーブに差し掛かり、左側が崖になっているので先がよく見えません。
それでもビーチェがスピードを落とさずジーノより少し先へ進んでいました。
「しまった! 人がいる!!」
ビーチェはスピードを出して走りながら視界が悪いカーブを進んでいたので、人がいるのに発見が遅れてしまいました。
減速しましたが間に合わず、前にいた人たちが集団で道いっぱい横並びに歩いていたので避けることも出来ませんでした。
もし飛び越えようと思ったら勢いで右側の山林へ突っ込み山の下の方へ落ちてしまいます。
結局、デカい図体の男の背中にぶち当たってしまいました。
ドカァァァァァァァン!!
「ぎゃあああああああ!!」
「なんだなんだ!?」
「敵襲か!?」
「ボ、ボスぅぅぅぅぅ!!」
ビーチェは大男に不意打ちで体当たりしてしまった格好になり、大男は前方へ吹っ飛ばされ、ビーチェはその場で倒れてしまいました。
「何やってんだよビーチェ!」
「ありゃありゃ、やっちゃったねえ」
すぐに追いついたジーノとウルスラが、ビーチェの様子を見て呆れていました。
前にいた集団の男たちは飛ばされた大男も含めて八人もいます。
柄が悪そうな風貌なので、もしかして山賊でしょうか。
ビーチェはすぐに立ち上がり、土埃を叩いてから男たちに向かって文句を言います。
「痛ててて…… チッ おまえらが道を広がってるから邪魔なんだよ」
ビーチェの言い分もわかりますが、スピードの出しすぎで突っ込んだのは彼女の方ですからそれはないんじゃないですかねえ。
「なんだとお!? ぶつかって来たのはそっちなのに何を言ってやがる。ん? 可愛いお嬢ちゃんがどうしてこんなところに? むーふふふふ――」
一番前にいるボスの取り巻きっぽい男が言いました。
最初は憤慨していたのですが、ビーチェの姿を見るなりデレッとしてしまいます。
「あたしが可愛いのは当然だよ。で、あんたらこそ何?」
「ふっふっふ。俺たちは泣く子も黙るチーム『フェデリーニ』だ!」
「そんなの知らないってば」
フェデリーニですって。弱っちそう。
パスタの種類で、スパゲッティーニよりもっと細いんですよ。
あれ? スパゲッティーニって前にどこかで――
ジーノとウルスラが、ビーチェの後ろまでやって来ました。
「ビーチェ、かかわるのはやめなさい。こいつらどう見ても野盗でしょ」
「ヒューヒュー!」
「ヒャハー!」
「すっげえいい女が出てきたぞ!」
「チチでけえ!」
「あの脚に挟まれたい!」
「げっ でも浮いてるぜ!? あの女、魔法師か!」
ビーチェに注意するウルスラを見て、野盗共が口々に騒いでいます。
ヒャハーって叫んでいた男、モヒカン頭に肩パット着用じゃないですか。
もろにどこかで見たような風貌で、笑っちゃいますね。
「ぐぬぅぅぅ…… よくも俺様をぶっ飛ばしてくれたなあ?」
ボスらしい大男がメンバー二人に両側から支えられて、こちらへ戻ってきました。
流石にゴッフレードほど大きくないですが、身長は二メートルくらいありそうです。
見た目はまるで地球のフランなんとか言う小説に出てきた怪物にそっくりです。
フンガーって言ったら面白いんですが、普通に喋ってますね。
「ふえええ、なんか凄いのにぶつかっちゃったんだなあ」
「そうか、おまえか…… 小娘のくせに俺をあそこまでぶっ飛ばすとはタダもんじゃねえな?」
「ボス! そこの浮いてる女も魔法師だからヤバそうですぜ!」
「ゴメンねえ、うちの連れの不注意で。怪我は無かったかしら」
「あの程度で怪我をする俺様じゃねえ」
ボスと言われている大男はドスが利いた声でそう言いました。
悪党にしてはちょっと変わったボスですね。
ぶち切れて落とし前をつけさせるのが常だと思っていました。
「あっ!? フェデリーニとスパゲッティーニ! 思い出したよ! スパゲッティーニって、ずっと前にボナッソーラへ行く途中であたしたちが退治したやつらじゃん!」
「ああ! あの馬に乗ってたやつな! 懐かしい!」
ビーチェとジーノがパスタの共通名で思い出したようです。
まだあれから三ヶ月も経ってないんですが、二人にはもう遠い昔のことのようになってるんですね。
「なっ…… スパゲッティーニが倒されたという噂を聞いたが、おまえたちだったのか!!」
「それだけじゃないよ。あたしたち、あのゴッフレードも倒したんだから。おっちゃんたちもヤラれてみる?」
ビーチェはそう言いながら、右手から長いオーラランスをフッと出しました。
「「「ひいぃぃぃぃ!!」」」
「なんだありゃぁぁぁぁ…… ブルブル」
「絶対あいつらおかしいぜ……」
光る槍がブオンブオンと細かな振動で唸っている音が野盗たちに恐怖感を与えています。
「ま、待ってくれい! おおお俺たちは他の盗賊を襲ったりすることはあるが、普段は狩りをして暮らしているだけなんだ! 悪いことはしちゃいねえ!」
「ふーん、その盗賊たちが善良な人たちから盗んだ物をさらに盗んでるってことだよね。じゃ、やっぱり退治しとくか」
「「「ぎえぇぇぇぇ!!」」」
ビーチェがオーラランスをブルンと振り回してから構えると、ウルスラが後ろからこう言いました。
「待ちなさいビーチェ。こいつらの手配書は前に王都へ行ったときも、ビゴッティでも見かけなかったしねえ。うーん…… それとも手配書が目立たないから見逃していただけかなあ」
と言いながら、ウルスラは杖の先に魔法でプラズマの球を発生させて、ビリビリと脅しています。
ビーチェとウルスラのほうが悪いやつに見えてきますね。
「いいいいや! ビゴッティは知らないがロッツァーノは俺たちが行っても捕まることは無え。信じてくれ!」
ボスがそう言った後に二十秒ほど間が空いて空気が緊張していましたが、ウルスラが僅かに微笑みながら口を開きます。
「はっ…… もういいわ。見逃してあげる。あんたたち山岳民でしょ? ぶつかった詫びに、これで街へ行ったときに美味いもんでも食いな」
と、ウルスラは懐から八万リラ分の紙幣をボスへ手渡しました。
さすが、ソーマでしこたま儲けている金持ちですね。
「貰えるもんなら有り難く貰っておく。おまえたちは察するにずっと南の地方から来たようだが、ロッツァーノへ寄るのか?」
「そうよ。泊まるだけで先を急ぐんだけどね」
「なら良いことを教えてやる。ロッツァーノではちょうど今日から一週間、サリ教の神ディナ様の感謝祭が始まるはずだ。歩いて行っても間に合うだろう」
「え!? そうなの? ディナ様ってよく知らないけれど、祭りがあるんだね! おっちゃん!?」
「おっ おぅ…… やたら食いつくなこの子は……」
ビーチェは祭りの話を聞いて、急に目をキラキラさせました。
ディナ様の感謝祭!? 私のお祭りぃ!? そんなの初めて聞きましたよ!
確かにサリ様の感謝祭は全世界共通で春に行われるんですが、まさか私の祭りがロッツァーノという街にだけ独自にあるってことですか?
すっごく気になるんですけれどお!?
「ビーチェ! こりゃ急いで行かないとな!」
「祭りがあるなら尚更宿を早く押さえないといけないじゃない! ぶっ飛ばして行くよ!!」
「「よっしゃあ!!」」
ババババーーーーーンッッッ
三人はやる気満々でダッシュし、あっという間にフェデリーニ集団の視界から見えなくなってしまいました。
この調子なら今日の半日分は楽しめそうですね。
「うわああボス…… あいつらが走ってる速さ、人間じゃねえですよ。手え出さなくて良かった……」
「あ、ああ……」
フェデリーニの男たちはゾッとした目で三人を見送りました。
噛みついたりしなかったので、命拾いしましたね。うふふ




