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9、約束

「やあ、先日は世話になったね。聖女アンナ」


(私の祈りはどうやら届かなかったみたい)


 ささやかな幸せが崩れ落ちていくような、ガラガラという音を頭の中で聞きながら、私は震える手をぐっと握りしめた。


 朝、ギルベルトと並んで熊鈴屋へ向かう道すがら、私たちの目の前にはあの日と同じように、ジョアン様が立っていた。

 朝日を受けるサラサラの金髪は今日も……あら、少し、ほつれているかしら。そういえば目の下にはくっきりと隈が浮いている。

 あのパンの効果は流石にそんな強烈ではなかった……わよね?もしかして、もしかしなくても、私は大変なことをしてしまったのではーー


 目の前が真っ黒に染まってよろけた私の腰を、ギルベルトががしっと捕まえ、支えてくれた。


(ああ、もう1人で戦わなくてもいいんだ)



「あなたはジョアン様ですね。僕達のような下々の者に何か用が? 次期領主様ともあろう方が、まさかか弱い女性を、無理やり攫うようなことはなさらないでしょうし」


「はは、聖女様には優秀な護衛騎士が付いているようだ。ーーその際は、悪かったね。叔父上に悟られないように君と話をしたかったのだが……知らぬうちに、私にも見張りが付けられていたようだ。ああ、今日は問題ないよ。隙をつかれたのでなければ、私とてカイナートの領主になるべく教育を受け、鍛錬を積んでいる。叔父上の手の者をどうにかするなどそう手間ではないからね。君のパンの方がよほど強敵だったさ」


 はははと笑うジョアン様の顔は、疲れを見せてはいるものの、裏があるようには見えない。

 ギルベルトもそう感じたようで、私を守るように支え強張っていた手の力が少し抜けた。



「それで……要件は何ですか」


「本当はもっと時間をかけて丁寧に説明し、協力を仰ぎたかったのだが……状況が変わってしまった。それは君の聖女の力が本物だったからだ。叔父上は今、君を何としてでも手に入れようと、破落戸を集めている。君を危険に巻き込むつもりはなかったんだーーだが、叔父上はもう止まらない。あの人は欲に溺れて、超えてはいけない一線を超えてしまった」


「ジョアン様? あの……カイナートの領主は、ジョアン様のお父様ではなかったですか? その事と今回のことは関係があるのですか?」


「父上は……あいつに殺された」


 ひゅっと息を呑む私と、私を支えるギルベルトの手にグッと力が入る。


「君も冒険者なら分かるだろう? 今のダンジョンはもう、限界ギリギリだ。このままでは近いうち、魔物は街まで溢れるだろう。そうなってしまえば取り返しがつかない。僕にはーーこの街を守る義務がある」



 ジョアン様のエメラルドの瞳は決意を決めたように、私たちを真っ直ぐ見据えていた。それはただ飾られるだけの宝石ではなく、統治者として民を導く光に見えた。



 人目を避けてジョアン様の馬車に乗った私たちがそこで聞いた話は、想像を絶するものだった。

 災厄の龍は、カイナートのダンジョンそのものであるということ。その管理を任されているのが、代々の領主であること。ジョアン様のお父様である前領主様は、この仕組みに異を唱えていたことーーカイナート発展のために必要であれば、龍の封印を解いて命を喰わせ、ダンジョンをより深くするーーダンジョンの規模が大きくなればなるほど人は集まり、経済が動く。それは確かに、街が発展することだ。ただ、そのために犠牲になる命もまた、カイナートの民だ。

 アンナの父も、そうであったように。


「父上は、龍を屠るべきだと言っていた。カイナートはもう十分発展している。ダンジョンの成長が止まっても、消え去るわけではない。この街には、ここに住まう民達が積み上げてきた歴史がある。それを信じてもいいのはないかとーー民のためにと言いながら民の命を奪うなんて、それは間違っているのではないかと……。私も、そう思う。新しい産業でもいい。観光でもいい。ダンジョンに頼らない領地運営だって様々あるはずなんだ。努力は必要だろうがーー叔父上は、それが許せなかったんだ。今手にしている富を、力を、少しだって手放したくない。民は、街のために生きているのだから、その目的のために死ぬのは本望であろうと……」


「……っそんな!」


「父が叔父上の手にかかった時、龍の封印の鏡が奪われてしまった。龍と対峙するにしても、まずはあれを取り返さなければならないんだ。そしてーー私の大事な人が、人質に取られてしまっている。彼女は……身体があまり強くないんだ。前回君のところに行った時は、彼女の身体を聖女の力で治して欲しくて、それを頼むつもりだったんだ。結果として君の力を叔父上に知られることになってしまって、本当に申し訳なかったが……彼女を叔父の手の内から助け出すことができれば、多少強引な方法も取れると思っている。なにしろ時間がない。勝手な言い分だとは重々承知の上だが、君たちの手を借りることは、出来ないだろうか……?」


「ジョアン様はそれで……街の中から癒しの力がある者を探しておられたのですね?」


「ああ、そうだ」


「ーーわかりました。お手伝いさせて下さい」


「アンナ!!」


「大丈夫よ、ギル。私に出来るのはパンを焼くことだけだもの。私のパンで力が湧く人がいるなら、焼くだけよ。それに……大切な人がいなくなってしまうかもしれないなんて、考えるだけで胸が張り裂けそう。今の私には、ジョアン様の気持ちが分かるわ? ギルも……そうじゃない?」


「……そう、だな」


「ふふ。それに、危なくなったって、ギルが守ってくれるでしょう?」


「ああ、勿論だ。そうだなーーわかった。俺は今まで龍を倒すために修行を積んできたんだ。やってやろうじゃないか。ジョアン、君が、今よりもっと良い街を作ってくれると約束してくれるなら」


「必ず。必ず、そうしよう。約束する」



 こうして私たちは、ブライアンから封印の鏡を取り返し、龍を屠る事を誓い合ったのだ。

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