7、アンナの瞳
「ギルも忙しいのに、本当に大丈夫?」
「良いんだよ。またいつ狙われるか分からないだろ? なんなら、アンナが夜寝ている時だって、側で見守りたいくらいなんだから」
「ーーっ! ギル!」
あれから、私の家から熊鈴屋までの道のりを、ギルベルトが送り迎えしてくれることになった。
大した距離ではないのに毎日来てもらうのは……と遠慮したものの、実際その距離で攫われた事もあり、正直なところ少し怖かった。
それが、ギルベルトと他愛もない話をしながら歩く時間が楽しくて、あっという間にそんな気持ちも忘れてしまう。
愛称呼びもまだなんだか慣れなくてくすぐったいし、ギルベルトが私を見る目がなんだか甘く蕩けるようで、口元がムズムズしてしまう。
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詳しい出自は決して口にしなかったが、所作の美しさや癒しの力を持つことからしても、母はおそらく貴族の出だったのだろう。2人は子供の頃から想いあっていたと話していた事からして、父は使用人か、護衛などを担っていたのかもしれない。その2人が許されざる恋をして、家を捨て、王都から遠く離れたこのカイナートでアンナを産んだ。
贅沢は出来なくとも、愛があった。アンナは幼く、仕事に出かける後ろ姿しか記憶になくても、父のことが好きだった。母が寝物語に語って聞かせるのは彼の素晴らしい冒険譚だったし、たまに帰って来た時には少しの隙間もないほどくっついているような仲の良い夫婦だった。
「アンナの瞳は本当に綺麗ね」
父の遺伝子を濃く継いだ青い瞳を、母はよく褒めてくれた。
蕩けるように甘い微笑みを浮かべて私の頬を撫でる姿は光り輝くように綺麗だった。
「ーーガイ……ガイはどこかしら……まだ帰らないの……?ガイ……あぁ……またダンジョンなの?仕方のない人……ガイ……私の愛するガイ……」
父が死んで、母は壊れてしまった。
呟くように名前を呼びながら、父を探して彷徨う母。心配して知り合いが訪ねてきても、『ガイはね、今日もダンジョンなのよ』と笑う。気まずそうに、痛ましそうな顔をして去っていく大人たち。
アンナは、そんな人たちを見ながら、父がもう帰らないことを理解した。
どこか虚な母と2人の暮らしが2年を過ぎた頃、父とパーティを組んでいた冒険者のおじさまが訪ねて来た。彼は龍との戦いで呪いに罹り、以前のように動くことが出来なくなったそうだ。それでもアンナと母を心配して、身体を引きずりながらも様子を見に来てくれたのだという。
「フィーリア、元気でやっているか? アンナも大きくなったね。前に会った時には、こーんなに小さかったのにな」
「おじさまは、アンナに会ったことがあるの?」
「ああ、そうだよ。アンナが3歳になる頃までは、よく遊びに来ていたんだ。覚えてないかい? おじさんの息子とアンナは、仲良く遊んでいたんだけどな」
「うーん……忘れちゃった。でも、おじさまの金のおめめはきれいだから、おじさまに似た男の子なら、とってもすてきなのではなくて?」
「ははは、そうだね。あの頃もアンナは、目が綺麗だからよく見せてと、お兄ちゃんお兄ちゃんってずっと抱っこをせがんでいたもんな」
「ーーはずかしいわ……ね、おかあさま? ーーおかあさま……?」
「ーー瞳……そうね……アンナの瞳は綺麗よね……ガイにそっくりで…………その瞳はガイの……ガイの色よね……その瞳があれば…………あら? そうよね、ーーそうだわ。わたしったら、何で思い付かなかったのかしら? やだ、そうよ、あははは! あはは! その瞳でガイを作りましょう! それがいいわ! ね! アンナもお父様が帰ってきたら嬉しいわよね! お母様はね、聖女なのよ! だから、お父様を治せるの! 治せるわ?ガイが、ガイは、帰ってくるの!! 聖女だから! みんなが欲しがる、聖女の力よ? できるわ? アンナ、ほらこっちへ。こっちへいらっしゃい? アンナの瞳はね、ガイのものなの。ガイの瞳よ。返して? ほらーーーー返しなさい! 返して!! ガイを返せ!!! アンナ!!!! いや!! ガイ!!! ガイっ!!!!」
「いやぁ! 痛い、おかあさま……っ!!」
突然錯乱した母に掴まれて、骨がみしりと悲鳴をあげる。細い腕のどこにそんな力があったのか、グイグイと引かれるその痛みに涙がこぼれ落ちた。
おじさまが顔を青くしながら、必死の顔で駆け寄ってくるのがスローモーションのように見える。
(ああ、大好きな、おかあさま……)
母の細い指がアンナの目を掴み取らんと伸び、そして触れたその瞬間。
母の手から溢れる白く眩しい光に視界が奪われる。
ーーバンッ
テーブルを踏み越えてきたおじさまがアンナと母の間に割って入り、母の肩を右手でドンと押す。
左手で抱え込むように包まれて、ぎゅっと身を縮めた。
それからーー数秒だったのか、数分経っていたのか。そっと瞼を開けて、動かないおじさまの腕から顔を出して覗いた床にはお母様が倒れ込んでいて。
おかあさまももう、かえってこないのね。
アンナには、そう、分かっていた。




