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6、ギルベルト

 魔力を使って酵母を作る。与えられた材料も、用意されている小麦粉も、全て高級品だ。

 綺麗に磨かれた作業台で生地を捏ねる。横から刺さる視線が鬱陶しい。


(お腹壊せ……)


(お腹壊せ……)


(あっ、でも美味しくなれ……)


 一口目でバレたら食べてもらえないだろう。美味しいけどお腹を壊すパン。私だって本当はこんなもの作りたくなかった。

 初めて負の感情を込めて作るパンだ。本当に上手くいくのか分からない。

 上手く行かなかったら、どうなってしまうんだろう。でもやるしかないーーここで1人泣いていたって、状況が良くなるわけではないのだから。

 きっとサイラスさんもジュディさんも心配しているだろう。お店はどうなってるかな。冒険者たちが待っているから、休業はできないだろう。誰かが探してくれているかな?

 あの彼は……店に来てくれただろうか。



 オーブンから香ばしい香りが漂う。毒味をされたらバレてしまうかもしれない。みんな同時に食べてもらわないと。


「や、焼けました」


「これは素晴らしいな。材料も手順も何ら変わらないようなのに、この香りは格別だ」


「本当ですね。これは噂になるわけがわかります」


「よし、食べてみようじゃないか」



 漂う香りに空腹を刺激されていた面々は、毒味など思いもつかないようだ。

 側で作業を見ていて、おかしなものを入れていない事を確認していたからかもしれない。

 あとは私の力がちゃんと使えていれば……


「美味いな……」


「これは……別格ですね」


「力はーーとくに変わりないな」


「我々が今疲労していないからでは?」


「うむ……確かに」


「お前たちも食べてみなさい」


 側でそわそわと見守っていた料理人や使用人達も喜び勇んで私のパンを口にする。美味しい美味しいと感激する人たちを見て心が痛む。

 心を込めたパンを食べてもらいたかったーー皆さんごめんなさい……。



 胸を痛めながら見守っていたそのとき、変化が訪れた。


「ん……んぅ……っ……?」


「腹が……」


「うっ…………なんだ……まさか……」


「いっ痛っ……! んぁ……!! そ、その女は……捕らえておけ……にが、にがしてはならんぞ……!」


 足をぶるぶる震わせながら、内股で去っていく男たち。

 捕らえておけと言うものの、ここにいる人たちは皆同時にパンを食べているのだから、そんな力のある人は残っていない。


(食べ物を無駄にしちゃってごめんなさい!! 死ぬようなものではないはずですから!!)


 心の中で叫びながら、蹲る使用人たちを横目に邸を飛び出し、ひたすら走った。




ーードン!


「痛っ!」


「アンナ!! 無事だったか!!」


 鼻を擦りながら見上げると、そこにいたのは忘れもしない。

 金の瞳の、あの彼だ。


「あなたは……っ!」


 覚悟を決めて飛び出してきたはずなのに、何故だか急に身体がガタガタと震えだす。豪華なドレスは走るには重く、無我夢中で走ってきた足は傷だらけだ。血の気が引いて冷たい指先を、男がそっと両手で包む。


「怖かったなーーよく逃げてきてくれた。頑張ったな」


 瞳に涙の膜が張り、瞬きと共にぽろりと落ちる。大きな手で包むようにしてそっと拭われ、その温かさについ頬を擦り寄せる。


(なんでこんなに、安心するのかしら)


 よしよしと子供をあやすように背中を撫でられ気持ちが落ち着いてくると、じわじわと羞恥が湧いてくる。


(お、男の人に抱きしめられてる……)


 身じろぎをした私に気付いたのか、すっと離れた隙間に寂しさを覚え、そんな自分の気持ちにも戸惑う。



「それで、どうやって逃げてきたんだ? この小さな手で殴ってきたわけでもないだろう?」


「あ、あの……パンを作れって言われて。お腹壊せー、痛くなれーって、思いながら、作って……そしたら本当に、そうなって……」


「……っふ……はははは! アンナは凄いな! 俺が来なくても大丈夫だったか?!」


「そんな! そんなことないです。私、必死で……冒険者さん達の力になるパンを作りたいだけだから! 聖女になんてなりたくないけれど……誰にも、怪我してほしくないの。私の力でその手助けが出来るなら、やりたいわ。それにーーあのまま閉じ込められてたら、あなたに……あなたにまた会いたかったから。あなたの名前を、聞いてなかったから……」


「……君は……っ」


 またいつかのように、口元を押さえながら空を見上げる彼の耳が赤いーーなんなら首まで赤いーーぼそぼそと何やら呟き、それから大きく息を吸い、ふぅと吐いて、私の瞳を真っ直ぐに射る。


「俺は、ギルベルトだ。君に会いに熊鈴屋に行ったら、サイラスさんとジュディさんが慌てていたんだ。君が無断で休むことなんてないし、家にも人の気配がないと。それで俺が捜索を買って出た。君が抱えられて馬車に乗せられるのを見ていた人がいたんだよ。心臓が止まるかと思った……アンナ。君が無事でよかった」


「……ギルベルトさん。助けに来てくださって、ありがとうございます。また、お礼に私のパンを食べていただけますか? あなたのために……作りたいわ」


「もちろん。ーーさぁ、みんな待ってる。帰ろうか」



 差し出された大きな手にそっと手を重ねると、そのままぐいっと引かれて思わずよろける。再び広い胸に抱き込まれるような体勢になり、頬がぼっと熱くなる。


「なっ……! なに……!」


「すごく綺麗で似合っているけれど、君にはもっと走りやすい服が似合いそうだ。城の奥で大人しく守られているお姫様じゃないんだろうね。でも今はーーこの腕で、君を守れる栄誉をいただきたい」


 そう言って悪戯っぽく笑うと、膝の裏に手を回し、ひょいと抱き上げられてしまう。物語の騎士様のようなキザな台詞も、彼に言わせるとしっくりきてしまうのか。

 足の怪我に気付いていたのだろう、その気遣いがただただ嬉しくて、恥ずかしくて、胸を熱くする。



 両親を亡くし、ずっと生きるのに必死だった。孤児院の先生たちも、サイラスさんもジュディさんも、みな親切で優しかった。けれど、家族ではなかった。自分を守れるのは自分だけ。そう思って踏ん張って生きてきた。いつだって必死で走ってきたのだ。


ーー守られる? 守られても、いいの……?


 1人の暮らしに、忙しい仕事。ダンジョンの異常に、聖女の力。そして、領主による誘拐ーーどうしたらいいのかと、抱えきれないと、思っていた。


 しっかりと抱き上げられ、ゆらゆらと揺れる腕の中は温かい。緊張の糸が切れ、瞼が重くなる。


「……お……とう……さま」




 夢でも見ているのだろうか、アンナの閉じた瞼の端から一粒涙がこぼれ落ちた。拭ってやろうと抱き直した時、アンナの身体が揺れ、胸元からシャラリとペンダントが溢れ出る。


「……これは」


 ペンダントに刻まれた、龍と大剣がクロスするように交わったその意匠は。



『ーーおじさん、ぼくが大きくなったら、・・・とけっこんしていい?』


『ギルがおじさんより強くなって、・・ナを守れるようになったらな!』


『わかった! ぜったい強くなるから、やくそくだよ!』


『まぁ、ギルったら気が早いのねーー・ンナは素敵な騎士様に守られて、幸せね』



 それは、ギルベルトが持つ大剣に刻まれている、見慣れた意匠。


(ーー何で忘れてしまってたんだろう)


 父が呪いを受け、おじさんが死んだ後、あの優しく美しかったおばさんは錯乱し、物事が分からなくなってしまったと聞いていた。

 父から必死で技術を教わる修行の日々は厳しく、忙しい日々の中で、幼い頃の記憶は薄れていく。

 



「ーーおじさん、おばさん。アンナはこれから、俺が守っていくよ」



 呟く言葉は誓いのように、眠るアンナの額に唇を落とす。

 ペンダントが胸元でまたひとつ、シャラリと揺れた。

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