5、誘拐
最近、ダンジョンの魔物が活性化しているらしい。普段なら初心者が訓練で入るような低層部でも、強い個体が出ている。
もし追いつかずにダンジョンから魔物が溢れてしまえば、街はどうなってしまうのか。
熊鈴屋に来てくれる冒険者たちは、みんな変わらずカラカラと笑いながらパンを買って行ってくれるけれど、なんだか胸のざわめきが消えない。
(冒険者さんたちが怪我しませんように)
(力が湧いてきますように)
癒しの力が広まってはいけないと分かってはいても、祈りを込めることを辞められない。
彼らは私たちの街を守る為に戦っているんだ。それなら私は私にできることをやりたい。
1人でも多くの人に渡るように、朝から晩まで生地を捏ねる。店が終われば、家に帰って酵母を作る。倒れ込むようにソファで眠り、日が登ればまた店に出る。考えてみれば、ちゃんとベッドで眠ったのはいつだったろう?
追われるような焦燥感が消えない。
疲れていたのだと思う。サイラスさんとジュディさんにも、しっかり休むように言われていたのに。
家を出て店に向かう途中、ふらりと眩暈がして立ち止まる。
(ーー大丈夫、まだやれる。今やらなきゃ。わたしには出来ることがある)
ぎゅっと拳を握り、再び歩き出そうとした時、後ろから近付く足音に気付いた。
「君、体調が悪そうだね。うちの馬車に乗って?」
手入れの行き届いたサラサラの金髪に、グリーンの瞳。仕立てのいい服は貴族のものだろう。
近くには、豪華な馬車と従者らしき姿。
確かに、このペースじゃ仕事に遅れちゃう……どこからか甘ったるい香りが漂う。瞼が重い。眠いわ……仕事が……
かくんと膝が折れ、倒れ込むアンナを男が受け止める。
馬車に押し込められ、頭には靄がかかったようだ。
(あの瞳の色……確かリリアが話していた……領主さま……の……)
『ジョアン様はサラサラの金髪にエメラルドのようなグリーンの瞳なのよ! それはもう素敵な美男子で、23歳だけれどまだ婚約もしていらっしゃらなくて、近頃は平民の中でも条件に合う人を探しているって噂よ? 次期領主夫人……いいわね……』
ーーっと見つけ…………れで癒しの……
意識が浮上し、瞼を開くと、見慣れぬ天井に戸惑う。ふかふかのベッドに清潔なシーツ。
ーーコンコンコン
ノックの音に肩が跳ねる。
「はい」
「アンナ様、お支度をお手伝い致します」
「支度? ーーごめんなさい、私仕事に行かなければならないの。寝不足でベッドをお借りしてしまったのかしら。ここはどこ? 助けていただいた方にはお礼を言わないといけないわね」
「アンナ様にはこれからカイナート領主ブライアン様と御令甥ジョアン様に会っていただきます」
にこりともしない侍女に有無を言わさず着てきた服を剥かれ、ドレスを着せられる。こんな豪華な服は初めてだ。この一着で、孤児院のみんなの服がどれだけ買えるのかしら……サイズがちょうど合っている事に、なんだか背筋がぞわりとした。
案内されてサロンに入ると、ごてごてとした調度品はいかにも高級そうだ。窓から望める庭は広大でよく手入れされている。
長椅子には、50代くらいででっぷりと腹の出た男と、その両脇には布が少なく露出の多いドレスを纏った妖艶な女性達が侍っている。きつい香水の臭いで鼻がもげそうだ。高級そうなワインを舐めながら、こちらを検分するような目は鋭い。
「君がアンナか。いやぁ、そのドレスも似合っているよ。美しいね……実にーー良い」
ギラギラといやらしい視線で嬲られているようで、生理的嫌悪感に皮膚が粟立つ。
1人掛けのソファに座っていたのは私を攫ってきた金髪の青年。
「叔父上、彼女は私が見付けてきました。結果はきっと出しますから、まずは私に任せていただきたい」
「黙れ、ジョアン。お前は黙って私の言うことを聞いていればいいんだよ。まずはーーそうだな。君の力が本物かどうか確かめさせてもらおうか? 本当に癒しの力が使えるのなら、こんな掘り出し物はないじゃないか。我が家の血を引く聖女が出れば尚良いね。安心しなさい、力がなくたって見捨てたりはしないよ。私の側においてあげよう。これだけの美しさならばーー愛ても楽しかろうねぇ……」
うっそりと笑うブライアン様と、どこか苦しげに目を細めるジョアン様。
このお二人は……私の力と、それを継いだ子が欲しいということかしら。
このギラギラした男の人形にされるのは真っ平御免だけれど、それにしても、ジョアン様の様子だって何か普通じゃないわよね。
叔父上……って、カイナートの領主様はジョアン様のお父上ではなかった?
ダンジョンがおかしくなっているっていうのに……何が起きているの……?




