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第四話

 道具をひととおり持ちこむと、ニヌムは嵐窓(あらしまど)と戸口を閉めた。


 たちまち、鷹部屋はひとすじの光すら入りこまない暗闇へと変わる。


 月明かりも星明かりもない漆黒の中、ニヌムは息をひそめ、じっと時機をうかがった。


 やがて、暗闇に目がなれた頃合いを見て〈丸鳩(まるばと)〉を取り出し、〈エガケ〉をつけた左手に持った。


〈丸鳩〉とは、ハトの頭と首づるを取りのぞき、胸の毛と皮をはがして胸肉をむき出しにしたものだ。ハトは赤身で栄養価が高いので、鷹がもっとも好む餌動物のひとつである。


 ニヌムは、イモギの右前からゆっくりと近づいて、彼女のようすをうかがった。


 闇に視界を奪われたためか、おとなしくじっとしている。


 ニヌムは左手に持った肉をタカの足元に近づけ、指の上に乗せると、息を吸いこみ、



「チュチュッ、チュチュッ」



と、ネズミの泣き真似をした。これは〈ネズ鳴き〉と呼ばれるもので、獲物が足元にいると思わせ、エサに食いつかせる技術である。


 弱っていたせいかイモギの反応は悪かったが、空腹には勝てなかったか、やがてゆっくりと肉に食らいついた。



(――よし、今だっ!)



 エサに集中しているのを見はからい、ニヌムは右手に持っていた〈伏衣(ふせぎぬ)〉を使って、イモギの体をすっぽりとおおってしまった。


 チリチリチリチリ、とイモギが鳴き声をあげる。嫌がっている声だ。だが、やらねばならない。


 ニヌムはタカを仰向けにすると、ぬるま湯につけた手ぬぐいで、ケガをした左目をすばやくぬぐっていった。


 ――だが、傷口を押さえつけないように、慎重に加減をしていたせいで、彼女は自らにせまる凶器に気づかなかった。



()……ッ、つぅ」



 エガケをしていない右手に、イモギのするどい爪が食いこんだのである。


 とっさに腕を引いたのが幸いして、そこまで深いものではなかったが、完全に食いこんでしまえば、ひどい出血になるだろう。


 あわてて外そうとした彼女は、だが寸前で思いとどまった。



(今、むりに外そうとしたら、抵抗してよけいに食いこんでしまうかも)



 そこでニヌムは、とっさに手にした手ぬぐいをイモギの顔に目がけて投げつけた。


 するとイモギは、おおいかぶさってきた手ぬぐいに反応し、ニヌムの手から爪を引いて、代わりに手ぬぐいをガシッとつかんだのだった。



(ああ、よかった……)



 ポタポタと床にニヌムの血がしたたり落ちている。あれ以上、深く切り裂かれていたら危なかった。


 どんなに人間に慣らされていても、鷹は愛玩動物ではないのだ。それを肝に銘じなければならない。


 反省したニヌムは、今度は慎重に手当てすることにした。



(考えてみれば、爪嘴(つめはし)をするわけじゃないんだから、爪をこちらに向ける必要はないんだった。頭側からやれば、つかまれることはないはず)



 イモギの体勢をくるりと変えて、上から手当てすることにした。


 猛禽は、目をおおってやるとおとなしくなるという習性がある。そこでくちばしだけを残し、頭に手ぬぐいをすっぽりとかぶせた。そしてケガした左目だけすき間から出して、優しくていねいにぬぐった。


 ぬるま湯をかけて、細かなよごれやゴミを取りのぞいていく。


 都人が使う〈伏衣(ふせぎぬ)〉は、表は絹、裏が花色木綿だという。ニヌムの家では木綿のもので代用しているが、今はかえってそれがよかった。木綿は蒸れずに体温があがりにくく、作業しやすい。


 それでも、〈伏せ〉は鷹にとって嫌なことだ。興奮して体温が上昇し、時間をかければかけるほど鷹のいのちに関わる。〈伏せ事故〉は、決してめずらしいことではない。ニヌムは、できるだけすばやく、ていねいに進めた。


 傷口をきれいにしたら、生薬を塗ってやる。これは季節によって配合が変わるが、おもにオトギリソウ、アオキ、ヨモギ、ウコン、シャクヤク、ジオウ、紫根(しこん)、ゴボウの種などの薬草を、椿油、ごま油、アマニ油などの油でつないで調合したものだ。


 サンシュの師匠の、そのまた師匠の、ずっと前から代々伝わる、秘伝の鷹薬(たかぐすり)であった。


 それを塗り終えたら、上からガマの花粉を振りかけてやる。


 最後に、〈足革(あしかわ)〉と〈大緒(おおを)〉をつける。足革は鹿革でできた柔らかい脚絆(きゃはん)で、鷹の両すねに巻く。大緒は足革にむすんで鷹をつなぐための、二間(約三メートル半)ほどの長さのひもだ。


 たとえるならば、犬の首輪と綱のようなものである。



「――よし、できた!」



 すべての作業を終え、伏衣(ふせぎぬ)をはずして架木(ほこぎ)に戻してやると、ニヌムの予想とは裏腹に、イモギは神妙な顔つきでじっと黄色い瞳を向けてきた。


 そして、先ほどまでの態度がうそのように、手ずから与えられたエサをすなおに食べはじめた。



(ああ、よかった。食べる元気があるなら、だいじょうぶだ……)



 ニヌムはようやく安心すると、張りつめた糸が切れてしまったように、へなへなとその場にすわりこんだ。


 そして、いつの間にか意識を失ってしまったのである。




       ※




 翌朝、ニヌムがいないことに気づいた家族は、上を下への大さわぎとなった。


 やっとの思いで、鷹部屋にいるニヌムを発見したホーコは、うでを組んで仁王立ちになると、



「こらあ、ニヌム!」



と、特大の雷を落としたのだった。


 ふしぎなことに、あれほど気が立っていたイモギはすっかり落ちついていて、床に丸くなって眠るニヌムを守るかのように、注意深くホーコをにらみつけていた。


 ニヌムがひとりで〈伏せ〉をしたことは、とうぜんサンシュにも知らされることとなった。


 三日間眠りづつけていた祖父は、しかし目をさましてから聞かされたことの次第に、孫をきびしく叱りつけた。



「タカもおまえも危険なことだった。とても向こう見ずな行いだ」



 だがその一方で、



「でも、あのままじゃイモギが落ちて(死んで)しまっただろうし、じいちゃんには頼れないでしょう? わたしがやるしかないと思ったの」



と言われれば閉口するしかない。それに、ひとりで〈伏せ〉を成功させた孫を感心する気持ちもあった。


 そんなサンシュの考えがわかったのか、母は、



「もっと叱ってくださいな。孫のうでに、また傷ができてしまったのよ!」



と憤慨するのだった。


 ともあれ、イモギは片目こそ失ったものの、落鳥だけはどうにかまぬがれた。


 サンシュも一時は危険だったものの、どうにか一命を取りとめた。


 だが代償として、祖父は片うでを失ってしまった。つね日ごろから、いのちより大事だと豪語していた左うでだった。


 鷹使いにとって、鷹を()える左うでを失うということは、生命を絶たれるに等しい。


 一家の大黒柱だった鷹使いと、優秀なタカを失ったことは、彼らの人生を大きく狂わせることだった。


 そのことを、このときのニヌムはまだわかっていなかった。


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