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鷹使い、神鳥の神子となる。(旧題・ニヌムと天空の覇者)  作者: 国枝桜子


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10/13

十話

「……増えてないね」


 川を覗きこんで、ニヌムは「うーん」とうなった。

 一日経っても異変がないので、サンシュと連れだって川のようすを見にきたのだった。


「早とちりかな」


 と、恥ずかしそうに肩をすくめるニヌムの横で、サンシュが難しそうな顔をしている。


「じいちゃん?」

「ニヌム、川の水はまだ冷たいか?」


 手をひたしてみる。

 あいかわらず氷のように冷たくて、ずっと浸かっていると痛いほどだった。


「うん、すごく冷たい」

「それなら、雪がとけているのは間違いあるまい。きっと上流のどっかで引っかかってやがるな」

「あ、そうか。きっと流れの細いところに、雨で流されてきた枝や葉っぱがたまって、流れがせき止められてるんだ」

「そうだ。だが、堤を切ったら、一気に水が流れるだろう? それと同じように、つまってる枝や葉がたえられなくなったら、まずいことになる」


 うん、とニヌムは真剣な顔でうなずいた。


「ひょっとして、さっきから水鳥の声がしないのも、そのせいかな?」


 ふと、なにげなく言っただけのつもりだったが、サンシュは目を丸くした。


「おお。よく気がついたな」

「うん。いつもならカモとかサギとか、セキレイなんかもいるよね。でも、今はぜんぜん鳴き声が聞こえないし、変だなって」

「よく見ている。鷹使いはそうやって、視野が広くないといかん」


 サンシュは満足げに笑った。


「そうだな。鳥たちも川が変になってることに勘づいて、逃げちまったのかもしれん」

「そんなことってあるの?」

「もちろんだとも。鳥だけじゃない、自然の生き物ってのはそういう力がある。おまえさんだって聞いたことがあるだろう。トンビが高く飛ぶと晴れ、ツバメが低く飛ぶと雨、スズメが朝早くさえずれば晴れ……」

「朝鳴きのトビは雨で、昼鳴きは日和とか?」

「そうだ。だから、川に鳥が近づかないってのも、バカにできん」


 とにかく村のみんなに知らせよう、とニヌムが立ち上がったとき、ふと視界のはしでなにかが揺れた気がした。

 ひらりと舞うそれに、なにか生き物かと顔を向けたが、もう木々の向こうに消えてしまっていた。


(……なんだろう?)

「おい、ニヌム。置いていくぞ」

「あっ、待って、じいちゃん」


 追いかけるころにはもう、ニヌムは洪水の不安でいっぱいだった。




       ※




 引退したとはいえ、長らく鷹使いをしていたサンシュの自然を見る目はたしかだ。

 道すがら農作業中の人たちに声をかけていったら、噂が噂を呼び、気がつけば村中の人々が集まってきていた。


「あのあたりは土手が高くなってるから、ここまで水があふれることはそうそうないと思うが……」

「だが、万一のこともある。いつでも丘のほうへ移れるよう、荷をまとめておこう」

「女や子どもは先に行ってもらうか」


 口々に話し合う中、遠くから「おおい」と村人のひとりが慌てたようすで走ってきた。


「たいへんだ! 昨日のお貴族の坊ちゃんが行方不明だと!」

「ええっ!?」


 村人たちは驚きにざわめいた。


「なにかあったのか?」

「わからん。今朝方、屋敷からいなくなっていたらしい。いま、奥方と侍従(じじゅう)らがひっしになって探しとる」

「まさか、川に落ちたんじゃないよな?」


 いままさに話し合っていたせいか、村人たちの頭に水難の恐れがよぎる。

 ニヌムははっとした。


(あのときに見たの……いま思えば衣だったかも)


 森の奥に消えていった“なにか”が思い起こされる。


「わたし、その子を見たかも」

「なにっ!?」

「どこでだ?」

「じいちゃんと川を見にいったとき……。どうしよう、あの子は川が危ないことを知らないよ。ほんとうに水難にあうかも!」


 ニヌムはあわてて身をひるがえし、元きたほうへ駆けだした。


「あっ、ニヌム! 待ちなさい!」

「みんなもきて! こっち!」


 おさない正義感を胸に、ニヌムは走る。

 急げいそげ、と胸の奥がはやしたてるから――みんながついてこれるかどうかは、頭からすっぽり抜けていた。




       ※




 森を抜けると、土手の向こうに川が流れているのが見えた。

 今朝ごろサンシュと降り立ったのは、このすぐ下にある川べりのあたりだった。


「ここ! このあたりだったよ! ね、じいちゃ――」


 振り返ったニヌムは、そこでようやく誰もついてきていないことに気がついた。


「ちょっと、速く走りすぎちゃったかな」


 ニヌムは小柄なぶん、かけっこは村の子どもの誰にも負けない。

 とくに足場が悪い野山では、おとなでもついていけないほどだった。鷹使いとして鍛えた彼女の足は、悪路でもウサギが跳ぶように走ることができる。

 おそらく、走っているうちに振りきってしまったのだろう。


「でもきっと、じいちゃんが場所を覚えてるだろうし、そのうち追いついてくるよね」


 おとなたちと合流できるまで、その場で待ってようと思ったニヌムだったが、遠くのほうに人影を見つけて、あっと声をあげた。


 一里(約四キロメートル)先まで見とおすという鷹の目にはとても敵わないが、ニヌムはかなり目がいい。

 間違いなく昨日の少年が、川の中でなにか探しているようだった。


(川に入っちゃってる! そこは危ないのに!)


 ニヌムは慌ててそちらへ走った。

 土手を駆けおりようとして、


(まてよ。このままわたしまで水難にあったら、本末転倒だよね)


 と思い、とっさに(つつ)から忍縄(おきなわ)を何本か取り出して、それを重ねて太い束にしてから、土手の上にある樹木と、自分の腰紐に巻きつけた。


 忍縄(おきなわ)は鷹を調教するときに、足につないで逃げないようにするヒモで、三十五(ひろ)(約五十三から六十三メートル)ほどの長さがある。

 ただし、細いヒモなので、強度は期待できない。気やすめていどだが、ないよりマシである。


 ついでに水筒(みずづつ)の中身を捨ててから、ゆっくりと少年に近づいてゆく。


「こんにちは!」


 なるべく驚かさないよう、まずは声をかけてみる。

 少年――たしか〈アサヒ〉といったか――は、弾かれたように振り返った。


「なにかお困りですか? 探しもの?」

「あ、あのときの……」

「はい、ニヌムといいます」

「わたしはアサヒ。……ところで、この川には魚がいないのだろうか」

「さかな?」

「ああ。ほんとうは、獣の一匹でも獲れたらよかったのだが……」


 アサヒはちらりと川のほとりに目をやる。りっぱな仕立てだが、子ども用だろうか――やや小ぶりな弓と矢筒が置いてある。


「そううまくはいかぬか」


 がっくりと肩を落としている。


「狩りがしたかったんですか?」

「ああ。わたしがひとりでも狩りができるとわかれば、母上の心労も少しは浮かばれよう」


 詳しい事情はわからないが、さてはこっそりと成果をあげて、みんなを驚かせたかったのだな、とニヌムにもなんとなくわかった。


「じゃあ、わたしが教えますから、一緒にやりませんか?」

「そなたが?」

「はい。だから、まずはそこから出ましょう。そこは危険なんです」

「どういうことだ?」

「洪水するかもしれなくて、村のみんなで避難するところなんです」

「……こんな浅瀬なのに?」


 アサヒは膝下にある水面を指差し、疑わしげな顔をする。


「上流のほうで水がたまってるみたいなんです。だから――」


 そのとき、遠くから誰かの叫び声がした。


「水がくるぞ――っ!!」


 はっと上流のほうを見ると、遠くのほうに大地を削りとって溶かしこんだような、真っ黒な高波が見えた。波はあちこちにぶつかっては砕けて、次々と白い飛沫(しぶき)をあげている。


「こっちきて! 早く!」


 慌てて手招きする。


 アサヒもようやく事態を飲みこめたらしく、水をかき分けて川岸に向かった。――が、とちゅうで藻でも踏んだのか、ばしゃん、と滑って転んでしまう。

 転んだひょうしに脱げた草履が、見るみるうちに流されてゆく。


 ニヌムは迷わず川へ飛びこんだ。手をのばしてアサヒの衣をつかんだ次の瞬間、巨大な水の腕がふたりを飲みこんだ。


 水の中で、ふたりは上も下もわからぬほど、めちゃくちゃに転がった。小石や枝が体中に当たっては、おさない柔肌を傷つけたが、つかんだ衣だけはぜったいに離してなるものかと、指に力を入れる。


 幸いなことに、腰に巻きつけていた忍縄(おきなわ)の束が、ふたりをそれ以上流されないよう繋ぎとめてくれた。ギチギチと嫌な音がしたが、かろうじて切れていない。

 ヒモを支えに、どうにか地面を探り、これでもかと足に力を入れる。上体を起こすと、やっとの思いで水面から顔を出すことができた。続けてアサヒも浮上する。


「これ持って!」


 空の水筒をアサヒに押しつける。竹でできた筒は、小さいながら水に浮く。頼りないが、ないよりマシだ。

 ふたりはどうにか岸辺まで泳ごうとしたが、水の流れが早すぎて、うまく進むことができないでいる。


(このままじゃ、ヒモが切れちゃう!)


 焦ったニヌムは、ふところを探った。手になじむ固い感触がする。


(これだ!)


 取り出した呼子(よびこ)(鷹を呼ぶための竹製の笛)を、思いきり吹き鳴らす。


 ピィ――――――ッッ!!


 誰かの耳に届けばいいと思った。

 後を追ってきているであろうサンシュや村人たち、アサヒを探しているはずの女主人や従者たち。


 だが、届いたのは、そのどれでもなかった。

 否、そもそも人ですらなかった。



 うすく霞む春の空にただひとつ、不自然なほどくっきりとした雲が浮かんでいる。

 それはニヌムの吹く笛の音色に呼応するように、美しい音曲を奏でた。


(〈双睛(そうせい)〉……)


 神鳥が、ふたたび頭上で舞っている。

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