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異世界の英雄に憑依された件  作者: 熊出
異世界の英雄に憑依された件
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ヴィニーの正妻、セレーヌ

 屋上の扉は開いていた。

 外に出ると、給水タンクに背を預けて、哲也が座り込んでいた。

 服はローマ字のブイの字状に切り裂かれ、赤い血が白い生地に染み込んでいる。


 彼が手に握っている弓を蹴り飛ばすと、静は治療を開始する。

 穏やかな光が周囲を包んだ。


「なんでこんなことしたんだよ、哲也」


 貴一は戸惑いながら問う。


「なに」


 哲也は頭上に視線を向けた。


「ほんの余興さ。お前がヴィーニアスの器に相応しいか見定めたいと五月蝿い奴がいたんでな」


「五月蝿い奴……?」


「茶番だとは思っていたけど、そういうことか」


 静が、淡々とした口調で言う。


「どういうことだよ?」


 貴一は戸惑うしかない。


「いるんでしょ。セレーヌ」


 聞き覚えのある名前だ。


「わかっちゃった? クリス」


 まだ幼さが残る声。背後にいる沙帆里の声だ。

 その表情を見るのが恐ろしくて、貴一は背後を振り向けない。


「えー。わかりますとも。密着して魔力的に接触してたら、わかりもするわよ」


「そっか。ええ、そう。今回のことは全部私が仕組んだ茶番。貴一の資質を確かめるための試練」


 その声は、もはや少女のものではなくなっていた。

 貴一は、恐る恐る振り返る。

 黒いローブに身を包んだ、美しい女性がいた。夢で見たことがある。セレーヌだ。


「だから言ったでしょう? 貴一。貴方は、まだまだ向上の余地があるって」


「あれって……そういう意味だったのかよ」


 沙帆里は確かに、ことあるごとに貴一にさらに上を目指せと言っていた。

 一体いつから、彼女は貴一の中にヴィーニアスがいると気づいていたのだろう。


「ま、俺達は味方ってわけだ。よろしく」


 そう、気楽そうに哲也が言った。


「なんで最後、避けなかった?」


 貴一は哲也に、問う。ピピンとの間には、距離があった。避ける余地はあったはずだ。


「双破猛襲斬でもきたら体が千切れてたから避けたけどな。双破斬ならなんとかなると思った」


「双破猛襲斬……?」


 哲也が、怪訝そうな表情になる。


「お前、まだ思い出していないのか? いてっ」


 静が、哲也の傷跡に触れていた。そして、口を開く。


「ヴィーニアスはまだ目覚めていない。フル・シンクロはおろか、その実力の全てを引き出すこともできない」


「あらあら、あんたがついててなにやってたのよクリス」


 セレーナが、呆れたように言う。


「あんたこそ、クリスに慌てて身を現したんじゃないの? セレーヌ」


「言うわね、小娘が……」


 セレーヌは苛立たしげな口調になった。


「まあ、正妻の私がいればおいおい思い出すでしょう」


 そう言って、セレーヌは貴一の肩を抱いた。豊満な胸が腕に辺り、貴一は気恥ずかしい気分になる。


「正妻……?」


「ええ、正妻。それも思い出していない? 私はセレーヌ。ヴィニー国王の正妻。国の妃」


 貴一は衝撃を受けた。ヴィーニアスはクリスと結ばれたものだと思っていた。それが、セレーヌと結婚していようとは。

 ヴィーニアスはなにをして、なにを考えてその決断に至ったのだろう。

 貴一にはわからない。


「わからないんだ。ヴィーニアスが見る夢は、いつも青春時代の夢ばかりだ。国王時代の夢とかは、見たことがない」


「ふうん」


 セレーヌの指が、貴一の顔をなぞっていく。そして、耳を掴んだ。


「思い出したくないんだ、ヴィニー」


「仕方のないことだ」


 哲也が言う。


「あんなことがあったんだ」


 静は、無言で治療を続けていた。


「あんなことって、なんだよ!」


 貴一は、セレーヌを引き剥がし、思わず叫ぶ。

 自分一人だけ置いてけぼりにされているような感覚がある。


「じきに思い出すわ」


 静は、淡々とした口調で言う。それはまるで、距離をおいているような。最初から見捨てているような。そんな口調だった。


「貴方の罪も、下された罰も」


 貴一は絶句するしかない。

 その日は、静の消耗が激しかったので、そのまま解散ということになった。

 帰ると、貴子が病院に行く準備をして待っていた。


「お兄ちゃん、早いね。野球は?」


「休部中」


「お母さんが大変だから気を使ってくれたんだ」


 全然違うのだけれど、貴子が上機嫌になるならそう思わせておこうと貴一は思った。

 叔父に車を出してもらい、県の中央の病院へ行く。

 母の部屋では、相変わらず心電図が鳴っていた。

 貴子は熱心に母に語りかける。

 母はまだ、意識不明だ。

 凄まじい生命力です、と医師は言った。

 クリスのおかげなのだろう。

 その日は、夜歩きもせず、早いうちに横になった。


(あのキスはなんだったんだろう……)


 クリスと交わしたキスを思い出す。

 ヴィーニアスはクリスと破局したのだろうか。

 そもそも、クリスはエルフだ。人の国の妃としては相応しくないと思われたのかもしれない。

 自身を王室警護隊だとクリスは言った。

 その辺りに、静の言うヴィーニアスの罪が隠されているのかもしれない。

 ならば、下された罰とはなんだ。


 なんとなく眠れずに、時計の針の音を聞きながら時間は過ぎていった。



+++



 哲也は目を覚ました。

 退部届は昨日のうちに出した。

 けど、仲間の捜索は一週間ほどの休憩をとってからと決めてある。

 クリスの魂が静の魂を侵食しかけているからだ。

 魂は脆い。一度侵食されれば、生涯に渡って影響が出る。

 その実例を、哲也は他でもない身内の出来事で知っていた。


 二段ベットの下の段で寝ている女性に声をかける。


「朝だぞ、セレーヌ」


 セレーヌは布団に丸まったまま壁の方向に身体を向けた。


「私低血圧なのよ……服もなんかきっついし」


「そりゃー沙帆里の服だからな」


 セレーヌはそこで、ふと気づいたように体を起こした。


「ああ、またやっちゃったか」


 そう言って、セレーヌの姿は、沙帆里の姿に戻った。


「お前はいつになったらその体から出ていってくれるのかな」


「魔物を封印し、役割を終えたら」


「沙帆里の人生はどうなる」


「私だって予想外だったのよ」


 沙帆里は視線を逸して、肩を竦める。


「私が目覚めるのが早すぎた。沙帆里の記憶量を私の記憶量は遥かに上回っている。魂に影響が出るのはごく自然なことだった」


「お前は沙帆里を乗っ取っている」


 哲也は、弾劾するように言う。


「聞き飽きたわ」


 沙帆里は、疲れたようにそう言った。


「精々人生に影響が出ないように振る舞うわよ。それどころか私のおかげで一流中学にも入学できるわよ。喜ばしい出来事じゃない?」


「勉学だけが人生のすべてじゃない」


「そう言って勉学を疎かにした者が蹴落とされるようにこの世の中はできている」


 沙帆里は、淡々とした口調で言う。


「私はそう見ているけれどね。私達の世界に比べて随分と生き辛い世の中ね」


「……飯、食うか」


「うん、お兄ちゃん」


 上機嫌に沙帆里は言うと、先を駆けていった。

 哲也は思う。

 沙帆里が元に戻るならば。


(沙帆里が元に戻るなら、俺はなんにでも手を染める……殺人でさえも)


 それは、哲也の固い決意だった。



+++



 母が意識を取り戻したのは、ピピン事件があってから二日後のことだった。

 貴子が安堵して母に泣きついた。

 貴一は、微笑んでそれを見ていた。


 最近、色々と目まぐるしい。クリスとの出会い、ドットとの戦い、ピピンとの戦い、セレーヌとの邂逅。

 それが一時的に収まって、安らぎに満ちた日常を取り戻せたような気分だった。


 ずっと世界がこうであればいい。貴一はそう思う。


「そういうわけにもいかないわよ」


 そう言ったのは、学校の帰り道で一緒になった沙帆里だ。


「魔物の封印をしないと世界中が破壊されてしまう。人類に逃げ場なしってね」


「封印は、あと何年もつんだ?」


「わからない。こっちに転移する前の時代に私達の魂を憑依させたから、まだ時間はあると思う」


「曖昧な話だなあ……」


「私達としても吃驚よ。死んだ後まで奮闘するはめになるなんてね。全盛期の姿で復活できたのはよしって感じだけど」


「……セレーヌと喋ってるのか沙帆里と喋ってるのかわからんな」


「セレーヌと思ってくれていい。そして私はヴィニーと喋りたいです」


「目覚めないんだ。あいつ。罪とか、罰とか、よくわからないけれど。たまに喋ったりするんだけどな」


「ふうん……」


 沙帆里は、前に出て、興味深げに貴一を見上げる。


「私を抱いたら思い出すかしら」


「馬鹿言え」


 貴一は慌てた。

 そういうからかいに対応できるほど貴一は大人ではない。


「冗談よ」


 笑うように言って、沙帆里は前を歩き始めた。

 一週間の休暇。それは、刻一刻と終わりに近づきつつあった。

 静とは会話をしていない。


「お前がクリスだったんだな」


 と学校で声をかけた時に無視されたことで、心がくじけてしまったのだった。

 どうして静にあんなに嫌われるのか、貴一にはわからない。

 クリスはあんなに貴一に優しいというのに。



+++



 一週間の休暇が終わった。

 静は、自身の状態を確認する。クリスに侵食されているという悪寒はない。

 夕暮れの町に、四人の戦士が集結する。

 貴一、静、哲也、沙帆里。いずれも英霊に憑依された人間だ。


「じゃ、適当に町の中を探索するか。男組と女組で分けようぜ」


 哲也が提案する。


「反対」


 そう言ったのは沙帆里だ。


「私はヴィニーがいい。クリスばっかり卑怯だわ」


「お二人でご自由に」


 静はつい拗ねたような口調になる。


「まあそう言うなよ。お互い、積もる話もあるだろう。それに、身体能力に長けたクリスがセレーヌについているほうが安心だ」


 結局、理屈で押し切られてしまった。

 ああいうところは、ピピンの影響が出ているなと静は冷静に考える。

 そして、夜と夕方の狭間の時間を、沙帆里と共に歩き始めた。


「恨んでいるんでしょうね、私のこと」


 沙帆里が、呟くように言った。


「クリスは貴女を恨んでなんかいないわ。私が一方的に苦手がっているだけ」


「そう。けれども、私達がクリスにした仕打ちは許されるものではなかった」


「そうね……国を追われ、定住できる地もなく、随分と苦労したようだったわ」


「思ったわ。私が王宮で食べているものをクリスに分け与えられたらどんなに良かっただろうと」


「そう思っていれば罪悪感は薄れるからね」


 沙帆里は苦笑する。


「手厳しいわね」


 二人はしばらく、無言で歩き続ける。

 いつの間にか、周囲は夜の闇に包まれていた。


「休戦しない? 同じ男を愛した者同士」


 沙帆里が、呟くように言う。


「休戦しましょう。共に冒険した者同士」


 そう言って、静は自動販売機でコーヒーを買うと、沙帆里に投げた。

 沙帆里はそれを受け取って、静が自分の分を用意するのを待つと、缶を掲げた。


「乾杯」


 こんな子供にまで意地を張るほど、静は幼くはない。


「……乾杯」


 缶と缶がぶつかって、乾いた音をたてた。

次回『魔剣1』

今週は二本投稿です。

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