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異世界の英雄に憑依された件  作者: 熊出
異世界の英雄に憑依された件
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ピピンの弓

 クリスは立ち上がると、肩の短剣を引き抜いた。

 どうやら頭上から落下してきたものが刺さったらしい。血はさほど出ていない。


「まいったな」


 そう言うと、クリスは沙帆里の方に歩いていき、彼女の肩に刺さっている短剣を抜いた。

 そして、左手をかざして傷口を癒やす光を放つ。

 しかし沙帆里は、苦しげに呻くだけだ。その姿は熱を出して苦しんでいる人のようにも見えた。


「呪いがかかってる」


 クリスは、淡々と言うと、沙帆里を背負った。


「呪い?」


 貴一は、状況を整理できておらず、混乱しつつ問い返す。


「ピピンは剣も魔法もさほど使えなかった。だから、闇の魔術を学んでいてね。これは呪いだよ……力の強い人間なら効かないんだけど、一般人には致命的だ」


 貴一は、背筋が寒くなった。


「じゃあ、沙帆里は危ないのか? クリスは?」


 クリスはしばし考え込むと、溜息を吐いた。


「仕方ないか。目立ってたらかばってね」


 そう言うと、彼女は唱えた。


「フル・シンクロ!」


 そうと唱えた途端に彼女の衣装が変わった。ショートパンツに袖のない上着。その下はタイツだ。

 夢の中でクリスがしていた格好だった。


「これで私に呪いは効かない。癒やしの魔法で沙帆里ちゃんの呪いも中和しながら進める。前衛は頼んだよ、貴一」


 哲也の台詞が今更ながらに飲み込めてきた貴一だった。時間制限付き。それは、呪いが沙帆里の命をつむまでの時間。


「注意事項は?」


「ピピンは弓の名手だ。針の糸を通すとはあのことだね。だから、長い廊下や窓際に立つ時は気をつけよう」


「了解した。行こう。ダウンロード」


 そう言って、双剣を手に呼び出す。

 そして、前を歩き出した。

 下足箱の前で外履きを脱ぎ、内履きに替えようとする。


「あー。そこ、危ないな」


 クリスの言葉に、貴一は手を止める。

 クリスは、足元に落ちていた小石を貴一の内履きの傍に投げた。

 瞬間、そこからナイフが数本飛び出してきて後ろの下足箱を突き破っていった。


「な、なんだこれ?」


 貴一は戸惑うしかない。


「闇魔術のトラップ。迂闊に踏めば体中穴だらけだ」


「俺の内履きが……」


 ナイフでボロボロになっている。もう二度と使えないだろう。


「くそ、哲也の奴。捕まえたら弁償させてやる」


「そう、呑気な話だといいんだけどね」


「話せばわかるはずだ。だって、哲也なんだぜ?」


「……そうだね」


 含み有りげに一拍置いて返事をすると、クリスは苦笑した。

 貴一は再び歩きだす。そして、違和感を覚えて階段の前で立ち止まった。


「学生がいないな」


「睡眠魔法で眠らされてるみたいだね。巻き添えは避けたか。賢明だ」


 そして、クリスは手を上げて貴一が前に進まないようにと止めた。

 貴一にも見えていた。

 階段の上、踊り場の前に、黒い扉ができている。


「トラップだね。逃げながら仕掛けたか……」


「あの扉がトラップなのか?」


 クリスはポケットから小さなボールを取り出すと、階段に向かって投げた。

 その一段目に触れた瞬間、槍が地面から生えた。

 二段目は短剣の山。

 三段目は左右から伸びる槍。

 二段目でボロボロになっていたボールはそこで弾むのを止めた。


「ね?」


「遠回りするしかないってことか」


「いや、方法はないでもない」


 クリスがそう言うと、その体が淡く輝き始めた。


「体魔術六十パーセント……!」


 そう言うと、クリスは沙帆里を抱えたまま軽々と跳躍した。人間の速さではない。まるで獣のようだ。

 そのまま彼女は扉を蹴り飛ばすと、後方へ軽々と戻ってきた。

 扉は、開かなかった。


「魔術的な干渉が必要か。時間を使っただけだったな」


 そう言うと、クリスの体から輝きは消えた。


「他のルートを調べよう」


「わかった」


 貴一は他の階段を求めて一般教室棟を歩き始めた。

 所々で、倒れている生徒を見ることができた。


「これ、起きてきたら大惨事だな」


「それも含めて時間制限付きなんじゃないのかな。なに考えてるのかはわかんないけどさ」


「ピピンって、そんな悪に近い奴だったのか?」


 クリスはしばし考え込んだ。


「ヴィーニアスと仲良かったよ。悪友ってのはああいうのを言うんじゃないかな。メンバーのしきりも上手かった。彼がいなければ冒険は成り立たなかった」


「じゃあ、なんで?」


「私が聞きたい。哲也の側に不満があったのかもしれないけれどね」


「と言うと?」


「高校野球、できなくなるじゃん」


「なるほど」


 しかし、そんな理由で妹まで巻き込むだろうか。やけになったとしても哲也は最後の一線を越えはしない。そんな確信が、貴一にはある。


「前世でも嫌だったなあ、その男同士でわかりあってます感漂わせるの」


 クリスがぼやくように言う。

 次の階段に辿り着いた。


「罠はないね、行こう」


 クリスの言葉に従い、貴一は慎重に第一歩を踏み出そうとした。しかし、踏み出せない。


「本当に大丈夫なんだよな?」


「む。クリスお姉さんを疑うの?」


「いや、そういうわけじゃないんだけど。ちょっと怖いなって」


 クリスはポケットからボールを取り出した。

 それを弾ませ、階段に投じる。

 ボールが乗っても、階段はなんの反応も示さなかった。


 安堵の息を吐いて、貴一は階段を上がり始める。


(ヴィーニアス。お前の親友が裏切って大変なことになってるぞ)


 心の中で、声をかける。ヴィーニアスは、反応しなかった。

 こんな時にまで眠っているならば、どんな状況なら目覚めるのだろう。少し貴一は呆れてしまった。

 二階に上がった。


「さっきの階段からそのまま上に行ったと思うか?」


 貴一の声は、知らず知らずの間に上ずっていた。この状況に、落ち着かなさを感じているらしい。


「弓兵としては高所に陣取りたいと思うだろうけれど、どうだろうね」


「全部で三階。全てを調べている時間はあるか?」


「フル・シンクロで少々負担がかかる。ただでさえ最近私が前に出張っていたからね。本体の魂が侵食される恐れがある」


「イチかバチかで上、行くか?」


「丁寧に一つ一つ調べていこう。教室にでも潜伏されていたら酷いことになる」


 クリスは冷静さを欠いてはいなかった。

 二階の一般教室棟を歩き始める。

 そして、そこを抜けると、次の階段の上に禍々しい扉が居座っているのが見えた。


「どうやら彼は直進したらしいね。この階にはいないと見るべきだろう」


 クリスの言葉に、貴一は頷く。


「ちょっと職員室の鍵を確認していこう」


 そう言って、クリスは歩きだす。

 貴一は慌てて、その前へと進んだ。

 職員室に入ると、異様な光景がそこには広がっていた。ソファーで、机に突っ伏して、教師達が寝入っている。コーヒーが書類を濡らしている机もある。


(気の毒に……)


 どこか呑気にそんなことを言っていると、クリスが言葉を発した。


「特殊教室棟の鍵は使われてないみたいだね。音楽室の鍵がないけれど、これは多分吹奏楽部だ」


「つまり、三階の教室棟?」


「屋上の鍵がない」


 クリスは、呟くように言った。


「決戦の場所は決めているらしい」


 そう言って、クリスは歩き出した。

 貴一は、その後を追う。


 特殊教室棟の階段が近いので、そちらを使って上の階へと移動した。


「苦手なんだよなあ。この魔力が充満した甘い匂い」


「俺はなにも感じないけど……」


「それは問題だよ、貴一。鈍いってことだからね」


 そう言っている間にも、クリスの手は動いていた。

 バトン状の棒を伸ばして、槍を作り出す。同時に、ガラスの割れる音がした。飛んできた矢を、鈍い音をたててクリスは弾いていた。


「そう来るか!」


 貴一にも見えた。屋上の給水タンクの上にピピンがいる。弓に矢をつがえて引いている。

 大きな弓だ。あの弓ならば、威力の高い一撃を放てるだろう。


「体魔術、六十パーセント!」


 そう唱えると、クリスの体が輝き始めた。

 そして、クリスは槍を投じようと掲げる。

 ピピンの手が、矢を放した。

 それは圧倒的な速度でクリスに迫った。

 クリスは、一歩を移動してそれを避ける。

 ピピンが微笑んだのが見えた。

 二の矢が飛んでくる。


 クリスは、今度は避けなかった。


「一投閃華!」


 クリスの槍が輝きを放った。

 それはそれそのものがが命を持つかのように放たれ、矢を吹き飛ばして前進した。

 ピピンは動じない。矢を放って、槍の起動を変えようとする。

 しかし、無駄だ。槍は全てを飲み込んで、前進する。

 ピピンは、給水タンクから降りた。


 クリスは目に見えない糸を引く。

 それに引かれて、槍は戻ってきた。


「逃したか」


 さらに、ピピンの攻撃は続く。

 給水タンクの前で、矢をつがえてクリスを狙う。


(なにやってんだよ、哲也……!)


 沙帆里が苦しげに呻き声を上げる。クリスが命の危機に晒されている。

 こんな状況なのに自分はなにもできない。説得さえも。


(いや、できることはあるはずだ)


 それは、自分の心の声ではなかった。

 渋みのある、まったく別の人間の声。


「ヴィーニアス……? 目が、覚めているのか?」


 返事はない。


(アテにならない奴)


 心の中で、思わずぼやく。


「あれができるなら、いけるのか?」


 自問自答する。

 貴一は双剣を振りかぶる。その瞬間、双剣に生命エネルギーを吸収されたような脱力感があった。しかし、かまわず双剣を構え続ける。

 ピピンが気づいた。貴一に向かって弓を構える。そこから放たれる矢は一瞬で貴一を串刺しにするだろう。

 しかし、彼は一手遅かった。


「双破斬!」


 唱えて、貴一は双剣を振り下ろす。光刃が発生し、圧倒的な速度でピピンに迫った。

 ピピンは、避けずに、微笑んでいるように見えた。

 鮮血が上がった。

 ピピンは光刃を受けて、その場に崩れ落ちた。


「なるほど。そういうこと、か」


 クリスが呆れたように言う。


「そういうことって、どういうことだよ? 早く哲也の奴を治療しないと」


「茶番よ、茶番」


 そう言って、クリスは沙帆里を下ろす。

 沙帆里は、自分の足でしっかりと立った。そして、貴一を見上げて微笑んでいる。


「校内の罠と魔法は解かれた。私はフル・シンクロ状態が長く続いたから本体に変わるわ」


 クリスはそう言うと、槍をバトン状の物に戻して腰にしまう。


「五月蝿いわね、侵食されたいの? 耳元でぎゃーぎゃー騒がないで。これは仕方がない措置よ」


「いや、俺なにも騒いでないけど……」


 クリスは疲れたような視線を貴一に向けた。


「本体と話してるの」


「治療、急がないと……」


「わかってる。後は、よろしく」


 そう言うと、クリスの体が姿を変え始めた。青く長い髪は黒のボブカットに、長い耳は短く。

 そして、そうしてその変異した人物の姿を見て、貴一は目を丸くした。


「静……?」


 貴一に不服気な視線を向けている彼女は、紛れもなく静だった。


「行くわよ。哲也が死んじゃう」


 無愛想にそう言うと、静は駆けていった。


(静が、クリス……?)


 戸惑いながらも、その後に続いた貴一だった。

 こうして、学校の異変は去った。


次回『ヴィニーの正妻、セレーヌ』

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