闇と、光と
喫茶店にヴィニーは辿り着いた。
会いたくない顔がいた。
憎き仇敵。ヴィニーから家を奪った男。
「久しぶりです、王子殿下」
ウェイトレスがやってくる。相席だと告げるとすぐにカウンターの奥に戻っていった。
シグルドの向かいに座る。
「会いたくはなかったよ、シグルド。けど、僕らはどうあっても啀み合う運命にあるらしい」
「宿業ですかな。来世でも相見えるかもしれませんな」
「冗談じゃないぜ」
「今日は王子殿下に用があるわけではない」
「と言うと?」
「宿主様とお話したい」
「……伏兵がいるんじゃないだろうな」
「はっはっは。光の結界で探ってみればよろしい。光の精霊の加護を受けた今、殿下の力の前には近ければいくら隠しても隠しきれますまい」
「そうだな」
(いいか? 貴一)
(あー、よくわからんけど、いいぞ)
ヴィニーは、貴一に変わった。
貴一は肩を強張らせて目の前の相手と向かい合う。
目の前にいるのが、敵のボス。この長い旅の終着点。そう思うと、力が入るというものだ。
「名前は?」
貴一は黙り込んでいる。魔物に迂闊に名乗ればなにに使われるかわからない。
「まあ、いい」
シグルドは、薄く笑って白髪頭をかきあげた。
「人類とは本質的には死にたがっている生き物だ。君は、そう思わないかね?」
思いもよらない言葉に、貴一は一瞬返事の言葉を失った。
「そうは思わないね」
「彼らは人といると不安になる。殺してしまわねば自分が殺されると思い込む。そうして科学技術は発展した。化学兵器は進化の一途を辿る一方だ」
男は、そう言って、両手を掲げる。
「人は三人集まると不安になる。自分は阻害されるのではないかと。自分は置いていかれるのではないかと。人間を突き動かすのは不安だ。人は、不安から開放されることを望んでいる」
「あんたの希望的観測だ」
貴一は苦い顔で言う。三人でだって仲良くすることはできる。確かに化学兵器は発展しているだろうが、それは抑止力だ。
しかし、抑止力を必要とするということは、この男の言うように、人は人を恐れているのだろうか。
貴一の心は、僅かに揺らいだ。
「君はまだ若いからわからないかもしれないね」
「一生わからないさ」
貴一は心の中の僅かな動きに目を背けて、はっきりと断言する。
「なら、もっと身近な話にしよう。君は今学生だ。自由がある。しかし、いずれ社会人になる。毎日毎日仕事、歳をくうまで奴隷のように働く」
貴一は、黙って相手の言葉の続きを待つ。
「これの、何処が幸せだろう?」
「仕事にだってやりがいはある」
「なら、なぜ過労死は後を絶たない。自殺は後を絶たない。人々は感じている。生き辛いと。一歩間違えば自殺を選ぶかもしれないと。それにね、自分の望んだ仕事に就ける人ばかりではない」
シグルドは両手を組んで顎を乗せた。
「僕の知り合いに派遣工がいてね。色々な人を見てきたと言っていたよ。リストラされた人、試験に落ちた人。一度弾かれるとこの社会は復帰するのが難しくなる。新卒カードという言葉は知っているかな? 新卒じゃないと条件の良い会社に入れないということの証明だ」
シグルドの手が、テーブルの上を滑る。
「望まぬ仕事をしている人間が、世の中に何人いると思う? 望んだ仕事を選んでも、パワハラや実力不足で肩を叩かれる人は何人いると思う? 人はね、死ぬのが怖いからしかたなく生きるんだ。生まれたからしかたなく生きるんだ。楽しんで生きるんじゃない」
「俺は楽しんで生きている」
「それは、君が学生だからだ。もしくは成功者だからだ。東京を覆う闇の結界を見たかね?」
シグルドは、目を細めて微笑む。
「あれは、この国の人間の社会への不満の縮図だよ。私はそれらを利用してシステム化したにすぎない」
「で。あんたは俺になにを望む?」
「仲間になれ、とは言わんな。寝首をかかれんとも限らん。なあに、しばらく大人しくしてくれているだけでいい。全て済むさ」
全て済む。その些細な一言に、貴一は背筋が寒くなるのを感じた。
自分達の大事な人全てが巻き込まれる魔物の復活。そんなものを許してはおけない。
「俺は嫌だ」
「子供の駄々だな」
一蹴されて、貴一は黙り込む。
「君も働いてみるといい。いかに人生というシステムが勝者に都合よく作られているかわかるぞ」
「けど、東京の結界は光が半数を占めた」
シグルドは黙って貴一の言葉の先を促す。
「これは、人の心の光の現れだと思うが、あんたはどう思う?」
「そう。人は気まぐれに優しい。気まぐれに道徳を持つ。気まぐれに信じあう。全ては脳内分泌物が作り出す錯覚だよ。その錯覚を信じて人の善と呼ぶのは虚しいとは思わないか?」
「あんたは腐りきっている」
貴一は確信した。この男は厭世家だ。人の世に絶望した男だ。
同じ土俵で話すだけ無駄な手合だ。
「残念だよ。この世で生きてきた君だからこそ同意を得られると思ったのに」
今の話の何処に同意を得られる確証があったのだろう。貴一は相手の神経を疑った。
(こういう奴だ、こいつは)
ヴィニーが溜息混じりに言う。
(人の不安を煽動することしかしない。根っからの悪魔なんだ)
「じゃあ、交渉は決裂だ。私は去るとしよう」
「やけに潔いな」
「一対一と言っただろう? それに、テニエスを解放して貰わねば困る」
シグルドは去っていく。
「じきに魔物は目覚める。近いうちにな。占い師のように殺されたくなければ、大人しくしておくことだな」
貴一は思わず腰を上げた。
しかし、攻撃できなかった。
今戦えば、負けることを知っていたから。
「君達の実力なら崩壊後の世界でも生き抜けるだろう」
そう言って、シグルドは扉を閉めて、外に出ていった。
(今の台詞、どう思う? ヴィニー)
(……はったりであればいいのだが)
ヴィニーは気弱な口調でそう言った。
次回『陰陽連の復興』