飛行機雲
その日は、珍しく優香に誘われて、哲也は車でショッピングモールに移動していた。
空に、飛行機雲が飛んでいた。
「見て、この澄んだ空」
優香が、窓をあけて手を掲げる。
「伸ばしたら、掴めそう」
「優香は空が好きだな」
「ええ。私は、死んだらお星様になるの」
「メルヘンチックだな」
「というのは冗談で、空がよく見える場所に散骨してもらいます」
「今から死ぬのを考えるのは性急だ」
「哲也は死ぬかもって思った時はない?」
「ないなー。俺は後衛だからな」
「ピピンは?」
「何度もあるって嫌そうに言ってる」
優香は、楽しげに笑った。
ポップコーンを分け合いながら映画を見て、昼食を摂る。
今日の優香は変だった。食欲がないのか、あまり食べない。
いや、最近優香は食欲があまりないようだった。そのせいか、少しやつれて見える。
「今日は、一世一代のお願いをしに来たの」
「と言うと?」
「先に約束して。なんでも、叶えてくれると」
「いいよ。なんでも言いな」
「私を殺して」
空気が凍った。
哲也は、唖然として優香の顔を見る。
「ここ最近私達を襲ってる敵の正体。それはきっと、私だと思うから」
「どういうことか、話してみろよ」
「リューイはね、服従の証として闇の種を植え込まれたの。その闇の種が芽吹いて、自我を持って、動き始めた結果があの有様」
哲也は、いつになく焦っていた。必至に、頭の中から言葉をひねり出す。
「あんな敵、何度も退けられるさ」
「じゃあ、貴方達が去ったあとは?」
哲也は、言葉を失う。
「栄養源である私を殺さない限り、奴は何度も現れる。だから、殺して」
「殺せるわけないだろ」
哲也は、思わず席を立つ。
「俺が、お前を、殺せるわけないだろう」
「自殺も考えたの。けど、怖くてね。踏ん切りがつかないの。もう、期限が決まった命だっていうのに」
「期限が決まった、命?」
「私ね」
優香は、視線を逸した。
「癌なの」
哲也は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「一度手術したんだけれど、もう転移してて。仲間の回復魔法を受けて、痛み止めも使って、なんとか生きているけれど、そう長くないの」
優香は、真っ直ぐに哲也を見る。
その表情は、微笑んでいた。
「最後に会えたのが、貴方でよかった。貴方といる時は、ないはずの未来を思い描くことができた」
哲也は、震える手で優香の手を握ろうとする。
優香は、逃げるように手を引っ込めた。
「私は今、幸せ。幸せなままで、殺して」
哲也は、優香の横に立った。
優香は、目を閉じる。
短刀を手に呼び出す。そして、それを振り下ろすことが、できない。
哲也は、優香を抱きしめていた。
「貴一が戻ってくれば、浄化の魔術が使える。そしたら、どうにかなるかもしれない」
「それまで、何度も襲われるよ?」
「かまうものか。もっと、生きてくれよ! 限界まで、傍にいてくれよ! 楽しい思い、何度も何度もさせてやるから」
優香は、目に涙を浮かべていた。
「未練だね……」
「俺は、優香を殺さない。必ず、助ける」
哲也は、優香の目をまっすぐに見た。
優香の潤んだ目が、静かに閉じる。
唇と唇が重なった。
それが離れた時、世界が変わったような感覚に陥った。
こんなにも世界は鮮やかで綺麗だったのかと、そう思った。
一緒に見た飛行機雲、夕焼け、それらまでが色鮮やかに脳裏に蘇る。
「もう少し、生きてみよう」
「うん」
優香は、涙を零しつつも、微笑んで頷いた。
+++
しばらくは、敵襲もなく日は進んだ。
夕日を優香と見るのが、哲也の日課となった。
他愛ない話をして、二人は笑う。それだけで良かった。
貴一達がダンジョンに入って、かなりの時間が経つ。
それだけ、戻るにも時間がかかるということだ。
(いつだ。いつ戻ってくる)
焦れるような気持ちで、哲也は待つ。
一週間が過ぎようとしていた頃のことだった。
運命のサイレンが、夜の地下施設に鳴り響いた。
哲也は駆け出す。沙帆里、静、優香も出てきている。
四人はエレベーターに乗って、外へ出た。
また、ゴーレムの大軍。
沙帆里がセレーヌとなり、お決まりの手を取る。
「水よ、走れ! 水線華!」
水の線が走ったと同時に、ゴーレム達は細切れになって崩れ落ちる。
「氷よ咲き誇れ! 氷華!」
氷の山にゴーレムの破片は埋もれてしまった。
セレーヌは哲也に目配せする。
哲也はピピンとなり、空へと飛んだ。
その時、漆黒の矢が飛んで来るのを感じて、ピピンは空中で方向転換した。
(なんだ、今の!)
(気をつけたよう。今日の敵、いつもと違っているぞ)
黒い人形のシルエットの背後に、細身で長身の男がいた。
「これは良い技術だ。しかし、まだ荒い。私なら使いこなせる。十全に」
悪魔のように微笑んで、男は言う。
そして、男は、黒い人形のシルエットを丸呑みにした。
「うーん、美味!」
なにか危ない。そう感じ、ピピンは矢を三本取り出すと、弓につがえ、一本ずつ放った。
次の瞬間、セレーヌの氷華が粉々に砕け散った。
その中央には、巨大な一体のゴーレムが佇んでいた。
合体したとでもいうのだろうか。
「戸惑いが仇となったね、弓兵君」
男が微笑んでいるとわかる声だった。
ゴーレムの巨大な腕が、ピピンに向かって振るわれる。
それを軽々と回避して、ピピンは男に向かって矢を放つ。
男は、漆黒の矢状の物を手から放っている。
ピピンと男の戦いは、狙撃戦となった。
+++
リューイは驚いていた。
自分のゴーレムにこんな使い道があったのか、と感嘆する思いだった。
巨大なゴーレムは一歩を踏み出す。
そして、セレーヌの氷華に足を取られて地面に向かって倒れ始めた。
巨大な岩の塊が三人の上に降り注いでくる。
「体魔術、百パーセント! 一投閃華……!」
クリスが腰を捻って槍を引く。
「金剛突!」
一投閃華金剛突が放たれる。巨大な魔力の塊となった槍は、ゴーレムを吹き飛ばして天へと昇っていった。
そして、次の瞬間にはクリスの手元に戻っている。
「転ばせる場所は考えて、セレーヌ!」
「アテにしてたのよ、アテに」
「なにか打開策はある?」
「水線華でも足を崩しても、即時再生されちゃうだろうからなあ。かと言って、氷漬けにしても破られる」
ゴーレムは再び立ち上がる。
「金剛突のダメージもすぐ回復か」
クリスが、呆れたように言う。
「魔力が篭って鉄以上の硬度になっている」
リューイの中で、優香が叫んでいた。
生きたい、と。
まだ、戦いたいと。
(そうだよな、優香。僕達は、立ち止まる訳にはいかない)
リューイは、念じた。
自分の新たな可能性を念じた。
そして、願いは聞き届けられた。
敵のゴーレムに負けない巨大なゴーレムが、三人を守るようにして立っていた。
「リューイ!」
クリスが、弾んだ声を上げる。
「やるじゃん!」
セレーヌも喜んでいるようだ。
ゴーレムとゴーレムがぶつかりあう。岩の破片が大地に降り注ぐ。
(私は哲也を信じる。哲也は、敵を倒してくれる)
優香は、祈るようにそう思っていた。
野球が上手い哲也。いつもおどけていた哲也。母校の敗戦に気落ちしていた哲也。食事を食べる時も黙らなかった哲也。
色々な哲也が自分の中にいる。
なににも負けたくない。今日だけは、そう思った。
+++
ピピンと敵の矢の押収はまだ続いていた。
敵は素速く、遠距離戦慣れしているようだった。
(なら、これでどうだ)
トップスピードで敵を追い越し、振り向きざまに近距離射撃。
すると、敵の口が大きく開いた。その中には、闇が見えた。
放った矢は闇の中に吸い込まれていき、消えた。
「スキルイーターのペンズか」
敵の、幹部だった。
「いかにも」
ペンズはうやうやしく礼をして、その隙に哲也は上空へと逃れる。
「我が闇は吸収の闇。放つ矢も、食べる喉も。同胞の気配を察知してやって来たら面白いものが食えた。貴方のスキルも食わせていただこうか」
「厄介な敵が出た……持久戦だ」
ピピンが、苦い口調で言う。
矢と矢の押収が再開される。
リューイはいつまで保つ? リューイの中にいる優香に負担はかからないだろうか。
不安に思いながら、ピピンは矢を放っていく。
矢筒の矢が切れた。新しい矢筒を呼び出す。
それが、隙となった。
「大食い」
ペンズが唱える。
その口が、大きく開かれた。
物凄い吸引力だ。ピピンは徐々に引かれていく。
攻撃できる角度はない。
ピピンは徐々に引かれていくしかない。
(こんなところで死ぬのか……? リューイもまだ頑張ってるのに)
(嫌だ)
駄々っ子のように唱えたのは、哲也だ。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!)
脳裏に蘇る、優香との記憶。
そして、今必死に戦っている優香の思い。
それが、ある日二人で見た夕日のような光となって、ピピンの元に落ちてきた。
「これは、光の力……」
ピピンは、唖然として言う。
「そうか。全ての人の心にあるものか」
ピピンは光を矢に灯し、思い切り引いて、放った。
光の矢は、敵の中に吸い込まれたが、次の瞬間に爆発的に膨れ上がっていた。
「食いすぎたら太るぜ」
ピピンが呟くのと、敵が爆発するのは同時だった。
エレベーターから援軍が出てくる。
けれども、もう戦いは終わった。終わったのだ。
ピピンとリューイは、哲也と優香に戻り、駆け寄り、抱き合った。
月夜は優しくそれを眺めていた。
「いつの間に……」
「兄貴ばっかりずるい」
仲間達も、それを見ていた。
次回『虚しいコール音』にて第四章は完結となります。