異変
夕焼け時、二人でキャッチボールをする。
上手くいかないと優香は苦笑し、最初はそんなものさと哲也は返す。
「それにしても、今日の敵はなんだったんだろうな……」
哲也は呟くように言う。
ショッピングモールで生えてきた敵の手。あれは一体なんだったのか。
「なんだったんだろうね」
優香の顔から、感情が抜け落ちる。
彼女は受け取ったボールを、投げ返した。
「今度から外出は注意したほうがいいなー」
「外出してるじゃん」
哲也は転がってきたボールをしゃがんで受け取り、投げ返す。
「ここならすぐ味方が来るだろ」
「まあ、それもそうね」
優香は苦笑顔でボールを受け止める。
そして、また投げ返した。
白球は二人の間で応酬される。
「君の子供はきっとキャッチボールを仕込まれるんだろうなあ」
「ああ、当然だ」
「野球部に入って、泥んこになって、奥さんは大変だ」
「まあ、それを言われると耳が痛い」
「けど、微笑ましく見守るんだろうね」
「それが優香でも俺は一向にかまわんのだが」
優香が、目を丸くした。
彼女がキャッチしたボールが、グローブから落ちる。それを、彼女は慌てて拾った。
「やめよう、そういう話は」
苦笑顔で、彼女はボールを投げ返した。
「チャンスはないかな」
哲也は受け取ったボールを片手で弄びながら、問う。
「やめようよ、そういう話は。苦手だ」
「けど」
優香が近づいて来て、哲也の唇に人差し指をつけた。
「やめよう」
優香の人差し指が、哲也の唇から離れる。
「急ぎすぎたかな」
「早い遅いの問題じゃないんだよ」
「じゃあ、なにの問題なんだ?」
「多分、私の問題」
そう言って、優香は哲也に背を向けた。
「今日も綺麗な夕日だね」
「そうだな」
(急きすぎたかなあ)
(どうだろうなあ。十分に仲良くなったとは思うが)
夕日が輝いている。それを、二人で眺めた。
それが、日課になればいいと哲也は思う。
+++
ある日、哲也はスマートフォンで通話していた。
相手は、美鈴だ。
「今五回裏が終わったところ。二対一で勝ってるよ」
そう、美鈴は告げる。
「そうか……」
哲也は、安堵の息を吐く。
部屋の扉がノックされた。
静辺りだろうと思い、部屋の扉を開ける。
優香だった。
「やあ、今、いい?」
「野球の中継聞きながらでもいいなら」
「いいよー。入るね」
そう言って、優香は中に入ってくる。そして、座布団の上に座った。
哲也は、ベッドの上に座る。
哲也はスマートフォンを操作して、会話を周囲にも聞こえるように設定する。
「今六回の表が始まった」
美鈴の声が周囲に響く。
「野球中継? こんな時間から試合やってるんだ?」
「高校野球だよ」
「へー。高校野球まで見てるんだ」
「うちの母校の試合」
「ああー」
「ん?」
美鈴が怪訝そうな声を出す。
「聞き慣れない女の子の声が聞こえる。哲也、あんたまたナンパした?」
哲也は慌てた。
「普段の俺はナンパしてるんじゃないの、女の子が勝手に俺の方によってくるの」
優香は愉快そうに微笑む。
「違うからな」
哲也は、念を押すように言う。
「おやおや、余計な一言だったようだ」
「北野優香です、よろしくお願いします」
「私は美鈴、よろしくねー。どこの人?」
「熊本です」
「おおう、遠くの人だ」
「美鈴さん、試合は?」
「ヒット一本出た。打順は二番。アウトは一個も取れてない」
「クリーンナップに繋がるのか……嫌だなあ」
「クリーンナップって?」
優香が訊ねてくる。
「三番四番五番の中軸バッター。優秀でよく飛ばせるバッターが並んでいることが多い」
哲也は淡々と答える。
「あっ」
美鈴が唖然とした声を上げる。
「あっ、あっ、ああー……」
美鈴の悲痛な声が響いた。
「どうなった、美鈴さん」
哲也は、嫌な予感を覚えながらも訊ねる。
「ホームランだ。敵に二点入って逆転だ」
「そうか……」
その後、哲也の母校は、逆転することができず、そのまま負けた。
「今日はありがとう、美鈴さん」
「いいってことよ」
「じゃあ、また」
「うん、頑張ってね」
通話が途絶える。
沈黙が部屋を包んだ。
「来年があるよ」
優香が、気まずげに言う。
「先輩には、今年しかなかった」
哲也は、静かな声で言う。
「俺と貴一さえいれば、一点差ぐらい引っくり返せたんだ……! わかってて選んだ道だった。けど、多少辛いな」
「そっか」
優香は、立ち上がって哲也の肩を抱き寄せた。
「君は頑張ってる。頑張らないと野球どころじゃなくなっちゃうんだもん。君は、頑張ってるよ」
「ああ……」
「君は、頑張ってるよ」
優香の温もりが、心地良かった。
ふいに、優香の方を見ると、視線が重なった。
磁石で引き寄せられたように、二人は互いを見つめている。
哲也は、前へと顔を進めた。
その唇に、優香の人差し指がつけられた。
「駄目だよ、哲也」
「ん、そうか」
そう言って、哲也はただ、優香に抱かれるままにしていた。
距離は、日々近づいている。
けど、最後の一線を飛び越えるのを、彼女は躊躇っている。
その原因がなにか、哲也にもわからない。
+++
四人で夕食を摂っている時のことだった。
けたたましいサイレンが周囲に響いた。
次いで、放送が流れる。
「敵襲です。ただちに地上に移動してください」
皆、食事も半ばに飛び出していく。
哲也達も、その後に続いた。
「通してくれ! 俺達は五聖だ!」
哲也の声を聞き、人混みが割れる。
そこを、哲也達は駆けていった。
陰陽連の関係者がスロットにカードを走らせ、エレベーターが開く。
その中に、四人は入った。
エレベーターが上がっていく。
「敵襲……? 敵はどうやってこの熊本支部を見つけたんだ?」
「わからないわ。この前の攻撃もわからないし、わからないことだらけ」
「貴一達はまだなのかな……貴一の結界があれば、犯人探しは容易になるのに」
沙帆里が、焦れるように言う。
「携行食で二人が頑張ってるんだから、お腹いっぱい食べてる私達はもっと頑張らないとね」
静が、励ますように言う。
「ご尤も」
哲也は同意する。
そして、一同は地上についた。
地獄絵図だった。
巨大な黒いシルエットが、幾重にも連なって陰陽連支部に向かってゆっくりと進んでいる。
その一体は、既に支部に取り付き、屋根を壊そうとしていた。
「フル・シンクロ!」
四人は唱える。
リューイがゴーレムを召喚して、屋根を壊そうとしていた敵をひっぺがした。
「これだけの量よ。術師は近くにいる」
セレーヌは、淡々とした口調で言う。
「一投閃華!」
クリスが槍を投じる。しかしそれは、くぐもった音を立てて敵の体に弾かれて戻ってきた。
「鉄? いや、音からして岩の巨人……?」
「任せて!」
セレーヌが杖を地面に突き立てる。
「水よ、走れ! 水線華!」
水が空中に幾重もの線を描いた。そうと思った時には、敵はバラバラになり、地面に落ちていた。
その体が浮かび上がり、再結合を果たそうとする。
「氷よ咲き誇れ! 氷華!」
巨大な氷山が現れ、敵の体を飲み込んでしまった。
「ヒュー、やるう」
クリスが感心したように言う。
その時、ピピンは既に空にあった。
飛行術。ピピンの特技の一つ。
そして、月明かりだけでピピンは敵の術師を見つけることができる。
闇に包まれた人のシルエットが、少し離れた位置にあった。
「恨むなよ。俺は光の精霊とは契約していない」
ピピンは弓に矢をつがえ、引くと、素速く放した。
矢が風に乗って飛んでいく。
そして、シルエットの頭部を正確に射抜いた。
その瞬間、シルエットは溶けるようにして地面に沈んでいった。
セレーヌが捕らえた敵の兵隊達も、消えていく。
敵は、忽然と消えた。
「やったのー?」
クリスが訊ねてくる。
「いや、消えた」
ピピンは、唖然としながらそう答えるしかなかった。
なにか、異変が起きている。そうとしか思えなかった。
+++
「もうすぐだ。本当に、すぐそこだ」
地下洞窟で、恵美里は呟いた。
周囲を照らすのは、恵美里が手に浮かべる炎だけだ。
「食料ヤバイけど、そう言われたら付き合わざるをえないよなあ」
「水分は休憩スポットで摂れるだろう。生きていけるさ」
「そうありたい……こんな地下で無縁仏なんて嫌だ」
「随分と弱気になったね」
「そうだな。地下生活は疲れた」
「私もよ」
そして、二人は広いフロアに辿り着いた。
どういう技術が使われているのか、光が溢れるフロアだった。
恵美里の手から、炎が消える。
「このフロアに、いる……!」
恵美里の声には、確信が篭っている。
そして、フロアを守るように、一人の男が二人を出迎えていた。
「ここを人が訊ねるのは何百年ぶりだろう……」
そう、男は言う。
そして、腰の鞘から日本刀を引き抜いた。
「火の精霊を目覚めさせるわけにはいかない。一対一で私に勝てた時は、その事情を聞いてやろう」
そう言って、男は日本刀を構えた。
貴一がヴィニーになって前へと出る。それを、恵美里が片手で制した。
「私の精霊だ。私がケリをつけるよ」
「そうか」
ヴィニーは素直に、貴一に変わる。
恵美里と男の決戦が始まろうとしていた。
次回『師、再び』




