近づく心
貴一達がダンジョンに入って一週間が経とうとしていた。
「どう思う? 哲也」
静が部屋を訪ねてきた。
「わからんところだ。携行食はまだまだ余裕があるはずだが」
「カロリーメイトとチョコレートでどこまでやれるのかしらね……」
静が、溜息混じりに言う。
「もどかしいわ。こんな時のための私の回復術だと思うのに」
「けど、魔法剣を使えるのはヴィニーだけだ」
「わかってはいるんだけれどね」
「まあ、ヴィニーも歴戦の冒険者だ。そうそうヘマはしないだろう」
静は、しばし考え込んだ。
「そうね。今は、信じることしかできないわね」
「素直になったじゃねーか。ちょっと前まで貴一を毛嫌いしてた癖に」
「それとこれとは話が別よ」
そう言って、静は逃げるように去っていった。
(素直じゃない奴ー)
(お前も相当だと思うがな)
(五月蝿いよピピン。さて、朝食だ)
そう言って、哲也は歩き始める。優香の部屋へと。
扉をノックする。
「おはようー、哲也君が七時をお知らせします」
「あーうん、おはよう」
優香はきまりの悪い顔で部屋を出てきた。
「で、朝食の誘いかしら」
「ご名答!」
「飽きないわねえ……」
「一人で食うよりはマシだろ」
「それもそうね」
そう言って、優香は歩き始めた。
哲也は、その隣に並ぶ。
さて、今日はなにを話そう。哲也は考え込む。話題は昨日のうちに山ほど考えてある。
「今日、暇?」
珍しく、優香の方からアプローチがあった。
「うん、超暇。暇で死にそうだったところ」
「暇じゃ死なないでしょ」
「俺がその初めての例になりかけてたとこ」
優香は、僅かに微笑んだ。
「冗談が上手いわね、哲也は」
「おう」
その笑顔を引き出せただけで、哲也にとっては値千金の一撃なのだ。
そして、二人は朝食を摂り、昼になった。
(暇かって訊かれたけど誘うとは言われなかったなあ、そう言えば……)
哲也はそう考えて、僅かに沈む。
その時、扉をノックする人物がいた。
哲也は、慌てて外に出た。
待っていたのは、静だった。
「ねえ、最近沙帆里の調子がおかしくない?」
そう言えば、沙帆里は初日から少し不安定な態度を取っていた。
「食事も一緒に摂らないし、哲也の部屋にもあまり来てないんじゃない?」
「あー……そう言えばそうだな」
「あんたの妹なんだから、しっかりしなさいよ」
「つってもアレはほとんどセレーヌだぜ」
「それでも、沙帆里はあんたの妹なのよ。それを忘れちゃ駄目だと思う」
哲也は考え込む。
沙帆里はほとんどセレーヌに乗っ取られてしまっている。
それを妹として扱うのは難しい。友人と思ったほうがしっくりとくる。
しかし、それが間違いだと静は言っているのだろう。
「わかった。今度部屋を訪ねてみるよ」
「お願いね。私が行ったら、火に油を注ぎそうだから」
「ああ」
そうして、静は去っていった。
(マメな奴)
(集団の管理にはマメさが必要だ。哲也は身内に関しては雑すぎる)
(わかっちゃいるんだけどな。俺はセレーヌの存在が不満なんだろう)
(それを言われるとなにも言えんな)
哲也は部屋に戻って、ベッドの上で胡座をかいた。
テレビ番組を見る。
本当に見たい番組はやっていないのに、落ち着かない気持ちでテレビ番組を見続ける。
部屋の扉が、ノックされた。
「はいはーい」
言って、部屋を出て行く。
優香が、外出の準備をして立っていた。
「暇って言ってたから、誘うわよ」
「ああ」
哲也は、微笑んだ。
外に出る準備は既にできているようだ。陰陽連の関係者が、優香の傍に付いていた。
そして、二人は車に乗せられ、大きなショッピングモールの手前で降ろされた。
「午後五時にまたここで」
「わかりました」
運転手が優香と会話を終えると、黒塗りの車は去っていった。
「行くわよ」
「行くって何処に?」
「映画館よ!」
そう高らかに言って、優香は前を歩いて行った。
(これ、デートかな)
状況が信じられずに、ピピンに問いかける。
(誰がどう言おうとデートだぞ)
気分が高揚してきた哲也だった。
+++
洞窟の中に入って、一週間が経とうとしていた。
日の差さぬこのダンジョンでは、時計だけが時間を告げるアイテムだ。
スマートフォンの電源は、とうの昔に切れてしまっていた。
十階の広いフロアを抜けると、ダンジョンは再び迷宮に戻った。
最初は重かった分岐路に置く石を積めた袋が、今は軽い。
そして、二人はついに、二十階に辿り着こうとしていた。
「場所は近いか?」
「徐々に近づいてはいる。あとちょっとだと思う」
「携行食の残りは?」
「まだ潜れる」
恵美里の返事は言葉少なだ。
疲労が、緩やかに二人に伸し掛かっていた。
階段を降りて、貴一はしばし口籠る。
「広いフロアだ」
「なんか既視感覚えちゃうなあ」
恵美里が嫌そうに言う。
嫌な気持ちは貴一も一緒だった。
前回は、こんな場所でゴーレムが出た。
今度はなにが出てくるかわかったものではない。
その時、フロアの奥で、光が灯った。
それは、炎だ。巨大な炎だ。
炎を纏った四メートルはある石像が、二人に向かって吠えた。
地面が揺れる。圧迫感が襲い掛かってくる。
階段は、その石像の奥で、岩に埋もれていた。
「……ボスだな」
貴一はそう言って、ヴィニーに変わる。そして、双剣を手に呼び出した。
恵美里は、無言で大剣を呼び出す。
巨大な火球の数々が、二人に向かって放たれた。
(魔法剣が効くといいが)
(当たって砕けろだ)
王様は存外と乱雑だった。
呆れた貴一に、ヴィニーは微笑んで見せる。
(そうしないと進める道も進めないだろう?)
(納得)
ヴィニーは火球を回避しながら、勢い良く駆けた。
+++
映画を見終えて、哲也と優香はカフェでコーヒーを飲んでいた。
「いやあ、凄かったわね。巨大怪獣が東京タワーを倒しちゃうあのシーン」
「怪獣物が好きだったとは意外だったよ」
「私は好き嫌いなくなんでも見るんですー」
「ほー。これが、君の隠してた趣味?」
「まあね」
優香はそう言って、悪戯っぽく微笑む。
「私は、映画を見るのが好きなの。登場人物に感情移入したら、色々な世界に連れて行ってもらえるわ」
「じゃあ、俺達と一緒に来ないか?」
哲也は、自然とそんな一言を放っていた。
「俺達は日本中を旅する。色々な場所に行けるぜ」
(車のキャパシティ考えて発言しろ、哲也)
ピピンが五月蝿いが無視しておくことにする。
優香は、少し考え込んだ。
その表情が、不意に沈む。
「そうね。それは凄く楽しいのかもしれない。日本中を回って、皆と精霊に会って。きっと、凄く凄く楽しいんだと思う」
「なら!」
哲也は腰を上げた。
「できないの」
優香は、窓の外を眺める。
「私の魂は、熊本に置いていくわ。そうと、決めたの」
「そっか……」
骨を埋めるつもりということだろう。
なら、哲也はそれを否定する材料を持たない。
「会いに来るよ、また」
「その頃には、世界は平和になっているんでしょうね」
「勿論さ。俺達が平和にするんだからな」
「強気な人ね。けど、その強気を少し信じかけている私がいるわ」
「リューイなら信じろって言うだろうよ」
「そうね、そう言ってる」
そう言って、優香は滑稽そうに笑った。
「貴方は五聖の憑依者ってだけじゃない。本当に凄い人なんだなってわかったわ」
「褒めてもなにも出ないぞ」
哲也は、柄にもなく照れている自分に気がついた。
「だって、貴方は……」
そこで、言葉は途切れた。
それに、哲也は違和感を覚えた。まるで、伝えなくてはならない言葉を飲み込んだかのように。
「そろそろ時間ね、行きましょうか」
「そうだな。今日は楽しかった。また来よう」
「そうね。滞在中は何度か誘うかも」
「ぜひ誘ってくれ」
「わかったわ、誘うようにするわ」
「約束だぜ」
そして、二人は帰路についた。
施設に戻ると、哲也は沙帆里の部屋を訊ねることにした。
静の忠告が気になっていたのだ。
しかし、なにを言えるだろう。相手の実年齢は自分より上だ。
「セレーヌ、入るぞ」
扉の前で言っても、反応はなかった。
仕方がないので、中に入る。
鍵はかかっていなかった。
沙帆里は、薄暗い部屋で、電気もつけずに、ベッドの隅で体育座りをしていた。
これは、本格的におかしい。
哲也は、僅かに焦燥を覚えた。
「どうしたんだ、沙帆里。体調でも悪いのか?」
「……って」
「ん? なんだ?」
「出てって!」
顔を上げた沙帆里が発したのは、怒鳴り声だった。
哲也は、ますます戸惑うしかない。
「どうした、沙帆里。俺はなにも悪いことをしてないだろう?」
「ええ、なにもしてないわ! いつだってなにもしてくれないクソ兄貴! ピピンと一緒よ!」
「あー、すまん。なにに対して責められてるのかわからん」
哲也はそう言って、頬を掻く。
沙帆里は再び俯いた。
「貴方に必要なのは大義であって、幸せではないのよ」
「んなことねーさ。俺も人並みに幸せになりたい」
「そうかしら。人を操るのは大義。それが貴方の信条じゃなかったかしら」
「それはピピンだろ」
哲也は苛立ってきた。
そして、やはり彼女はセレーヌなのだと再認識した。
哲也は、溜息を吐いてベッドに座る。
「貴一と静がいい感じになってる」
沙帆里が呟くように言った一言に、哲也ははっとした。
「私は、また、なにもできない……二番手。永遠に二番手」
沙帆里はそう言って、黙り込む。
「あと十年経てば貴一の奴もお前の良さに気がつくさ」
「それじゃあ遅いのよ」
おや、と哲也は思った。
この苛立ちは、年長者たるセレーヌのものではない。
ならば、自分は話しているのか? 沙帆里と?
哲也は、腰を浮かしそうになった。
貴一の存在が、沙帆里の感情を表面化させているのかもしれなかった。
「沙帆里。お前は絶対美人になる。兄ちゃんが保証してやる。そしたら貴一を口説いてやれ。遅いことなんてあるもんか。あの二人なんていつ破局するかわかんねーだろ。そうしたら一途に追ってたお前の勝ちだ。セレーヌみたいにな」
沙帆里は黙り込む。
「本当だって。お前は美人になるよ。俺が言ってるんだ、間違いない」
「今じゃなきゃ意味ない……」
「今は我慢するんだ。貴一がお前を選ばなかったことを後悔する日がきっとくる」
「くるかな」
沙帆里は、僅かに微笑む。
「くるさ。お前は世界有数の美人だからな」
「そしたら、ザマーミロだわ」
「ああ、ザマミロだ。貴一の奴泣いて悔しがるぜ。俺の妹をぞんざいに扱った罰だ」
沙帆里が微笑んだ。
それだけで、幸せだと哲也は思った。
きっと、またすぐに沙帆里の感情はセレーヌの感情に飲まれるだろう。
しかし、妹と久々に会えたことは、哲也の励みとなった。
次回、来週更新