身近なところに……?
「あんた、部活辞めたんだってね」
朝食の時間、母に言われて、貴一は竦んだ。
「ああ、まあ……」
母は、軽く溜息を吐く。
「中学生の頃からやってきたことじゃない。ユニフォームや諸々の経費を出してきたお母さんに相談もなしに」
「ちょっと、やることができたんだ」
「やることって、なに?」
母が、顔を近づけてくる。
その分、貴一は背後に下がった。
「今は、言えない」
母はしばらく貴一を眺めていたが、そのうち、溜息を吐いて椅子にもたれかかった。
その顔が遠くに行き、貴一は椅子を元の位置に戻す。
「貴方もお父さんと一緒ねー。勝手に決めて勝手に行動して。んで勝手にいなくなるんだわ」
呆れたように母は言う。
「いなくならないよ……」
貴一は、消え入るような声で言う。
ある日突然失踪した父。それは、貴一にとっても侮蔑の対象だ。
「まあ時間がないから夜にちょっと話しましょうか。遅くなるかもしれないけど、起きてなさい」
そう言って肩を回すと、母は鞄を持って仕事に出て行った。
貴一はそれを見送ると、一人呟いた。
「なにやってんだかな」
冒険は確かに楽しい。しかし、そのために色々なものを犠牲にしている。
クリスといるのは楽しい。けれども、何故よりによって自分にヴィーニアスの魂が憑依したのか。
わからないところだった。
外に出ると、春の暖かい空気が体を包んだ。
「夜は家族会議かぁ……」
溜息混じりに言う。
それに参加できるかも定かではないのだが。
貴一は一人、通学路を歩いた。
昔は、二人だった。静と、共に歩いた。
それが、遠い昔のことのように思えた。
「大事なものは手から滑り落ちていくんだな」
思わず、呟く。
人の世の無常を感じるには貴一はあまりにも若すぎた。
+++
放課後、鞄に教科書とノートをしまって、学校を出る。
家に帰ると動きやすい服装に着替えて、外に出た。
集合場所の公園に、クリスはいた。
学校の制服を着て、しゃがみこんでいる。
「……クリスってさ、コスプレとか好きなの?」
「ん?」
クリスが、面白がるように顔を上げた。
「だってそれ、うちの制服じゃん。補導されるぜ」
「逃げればいい」
「鞄は置いてきてるってことだから家に一度帰ってるんだろうけれど、なんで制服?」
「へっへーん、似合うだろう?」
「いや、青い髪とミスマッチだ」
「ふむ……はっきり物を言う」
クリスは、ますます面白がるような表情になる。
「わかる気がするなー。君にヴィニーが憑依したの」
「勝手にわかられても……」
「不粋で素直なところがヴィニーそっくりだ」
そう言って、クリスは切なげに微笑んだ。
その表情を見て、貴一は思わず心拍数が上がるのを感じた。
今のクリスは、絵に描いたように綺麗だった。
「まあ」
そう言って、クリスは子供のように微笑んで、立ち上がった。
「今日も行くか」
クリスの手が貴一の背中を叩く。
貴一は戸惑いながらも、クリスの後に続いた。
二人は夕暮れ時の道を歩き始める。
「結界に反応はない?」
「ないね。敵はいないってことなのかな」
「わからないよー。普段は普通の人間の面を表にして、魔物の部分を裏に隠しているのかもしれない」
「そういうものか。じゃあ前世よりサーチは困難になっているんだな」
「そうなるねー。なんで招かれざる人々までこの世に送り込まれたのかは目下の謎だけど」
しばらく、無言で歩いた。
「優しいね」
クリスが、呟くように言った。
「なんだよ」
いきなり褒められて、貴一は頬が熱くなる。
「私の歩幅に合わせてくれるからさ。君はガタイがいいから私の歩幅のほうが小さくなる」
「ああ、癖さ。幼馴染が小柄な奴だったからなー」
「ふーん? 好きなの。その子のこと」
「馬鹿言え」
咄嗟に、答える。
「本当の本当に?」
「本当は……」
好きだった。初恋の相手だった。けれども、関係を壊すのが怖くて告白できなかった。
そのまま、二人は疎遠になった。
その時、クリスの右手が自身の頬を大きく殴った。
クリスは他人の体でも扱うように右手を掴んで、元の位置に戻す。
「……なにしてんの?」
貴一は、呆れたように言うしかない。
「いや、ちょっと宿主に叱られた。貴一君を困らせるなってさ」
「あんたの宿主って一体誰なんだ? 見たところ、歳上だけど」
「エルフに歳を訊くのは無益なことだよ」
誤魔化された、という実感があった。
しかし、言いたくないのならば仕方がない。
「それにしても果てしないな」
「そうかな」
「だって世界は広い。そんな中から五人のメンバーを集める。難儀なことだぜこれは」
「けれども、知人達がいる」
クリスは、確信めいた口調で言う。
「知人?」
「敵の魂が現世に出てきたように、私達の知人の魂も現世に来ているってことだと思う。それは間違いなく私達を導いてくれるはずだわ」
「知人、ねえ……」
夢に出てきたメンバーは、ヴィーニアス、クリス、ピピン、セレーヌ、ヴァイスの五人だけ。名も知れぬ人々も沢山いたが、何人がこの世に来ているのだろう。
「それにね、私達、精霊にお願いしたの。憑依先は近くにしてくださいって。意外と身近なところに精霊の加護を受けた仲間はいるのだと思うわ」
「仲間、かぁ……」
思い当たる節はまったくない。
「そしてそれは、彼なのかもしれない」
そう言って、クリスは立ち止まった。
貴一は、戸惑いながらもそれに続く。
クリスが、矢のような勢いで後方に跳躍した。
貴一の視線が一秒遅れてその先を追う。
クリスは、青年の腕を捻り上げて地面に伏せさせていた。
「気配の消し方は一人前ね! 私もさっきまで気が付かなかったわ!」
クリスは青年の腕をますます捻り上げる。
「いてててててて!」
「で、あんたは敵? 味方?」
「わけわかんねえよ!」
その声に、聞き覚えがあった。
「哲也?」
貴一は、戸惑いながらもその名を呼ぶ。
山上哲也が、クリスに捻じ伏せられて歪んだ顔を上げた。
「おう、貴一。このねーちゃんどうにかしてくれや。ドラフト前の体にひでえことしやがるぜ」
「クリス、放してやってくれ。同級生だ」
クリスは、まじまじと哲也の顔を見ると、脱力したように手を放した。
「なんだ、哲也か」
「なんだってなんだ。お前にそんな扱いされる覚えはねーんだからな!」
「なにやってんだよ、哲也」
「なにやってるんだはこっちの話だ、貴一!」
哲也はそう言って、貴一の傍までやってくると、胸ぐらを掴んだ。
「退部届け出したって、マジかよ」
貴一は、一瞬言葉を失った。そして、視線を逸して、答える。
「……ああ、マジだ」
「俺達同じ目標を見てたんじゃないのかよ。んで部活やめてなにやってるかと思ったらなんだ? コスプレババアとデートかよ!」
「コスプレバ……」
クリスがそこまで呟いて絶句する。
そして、哲也の首を羽交い締めにして、締め上げた。
「ぐ、ぐ、なんつー馬鹿力だこのババア」
「お姉さん、でしょう? 口の利き方がなってないようねえ哲也君」
「放せよババア! お前警察に突き出したるけんな!」
「そっか。じゃあ口封じもやむなしか」
「やめろって二人とも!」
貴一は二人の間に割って入る。
クリスの手を掴む。確かに、怪力だ。岩のように動かない。
(本当に首の骨折られちまうな……)
こうなったら仕方がない。
「ダウンロード」
貴一はやけ気味に呟いた。
ヴィーニアスの身体能力が貴一の体に宿る。
クリスの手を、貴一は無理矢理に引き剥がした。
哲也が咳き込んで、首を押さえてしゃがみこむ。
「クリス、やりすぎ」
「乙女心が傷ついたからつい……」
「乙女って精神年齢じゃねーだろあんた。前世を謳歌したんだから」
「まあねー」
クリスは拗ねたようにそっぽを向いた。
「哲也。話してないのは悪かった。俺には、俺達には、探しているものがある。それを見つけるまで、部活には戻れないんだ」
「……それって、親父さんかよ」
「違う。それ以外の。けど、必要なものなんだ。世界を救うために」
「世界を、救う……?」
哲也が珍妙な表情になる。
貴一はしまったと思った。言葉のチョイスを間違えた。
「ともかく、夜間の外出が増えるから、部に迷惑をかけたくないと思ってだな。まあ、話すと長くなるんだが」
「話せよ。聞くぜ」
「いや、それがにわかに信じ難い話でな」
「いいぜ、聞こう」
哲也は、真っ直ぐな目で貴一を見る。
それに、貴一は怯んだ。
「あ、家族会議の時間が近づいてる。俺、帰らなきゃ」
「おい、それはないぜ」
「明日、学校で」
「そうだね。明日学校で話せばいいよ。このクソガキ」
クリスが口を挟む。
「クソバ……」
「締められたいのかな?」
「お姉さん、わかったよ」
「よろしい」
クリスは微笑むと、貴一の背を押して駆け始めた。
「ややこしいことになってきたなあ……」
貴一は暗鬱な気持ちを込めて言う。
「いや、シンプルになったかもしれない」
そう、クリスは呟く。
「と言うと?」
「気を抜いていたとはいえ、私に気取られないほどに気配を消せる人間は稀だ。人類史上で五指に入ると言ってもいい。そんな人間、私は一人しか知らない……」
貴一は、息を呑んでクリスの言葉の続きを待った。
「ピピンだ」
「ピピン? 哲也が?」
貴一は、戸惑いながら言う。
「そうだよ。間違いない。あいつはピピンだ。あのクソ生意気な態度を見て確信した」
「哲也が、ピピン……」
友人を巻き込むかもしれない。そんな複雑な貴一の気持ちなどお構いなしに、クリスは貴一の背を叩いた。
「一歩前進だ、貴一」
貴一は苦笑して、頷いた。
「そうだな。クリスがそう言うのなら、そうなのかもしれない」
哲也がピピンなら、残るメンバーはあと二人。
これは、案外あっさりと仲間集めは終わるかもしれない。
そんな楽観的な気分に、貴一はなった。
+++
「貴子ー、お母さん帰ってるかー?」
「知らないよー」
家に帰って、妹の貴子に貴一は声をかける。
妹の返事はそっけなかった。
父が失踪した時、誰よりも泣いたのは、この妹だっただろう。
それも今では成長して、我関せずを貫くマイペースな人間となっている。
貴一は居間のソファーに腰掛けると、テレビのチャンネルをつけた。
特に面白い番組はやっていないようだ。
何気ない日常。失いかけているもの。それを噛みしめる。
電話が鳴った。
そこから先のことは現実味がない。
母が車に轢かれた。そう、電話口の相手は告げた。
次回、来週更新予定