始まりは終わりとともに
朝、清々しい気持ちで目が覚めた。
(貴一君、おはよう)
(ヴィーニアスも起きたか)
(昨日は迷惑をかけたな)
昨日のことを思い出し、貴一は背筋が寒くなるのを感じた。
ヴィシャスの激しい攻撃。それを全て紙一重で躱した。それを特等席で見た貴一は、どんなアトラクションよりもスリルを味わっていただろう。
いっそ死んで楽になりたいとすら思ったものだった。
(もうこんなのは勘弁してほしいね)
(ああ。もう、こんなのはこれっきりだ)
(なら、いい)
立ち上がってカーテンを開く。
哲也が薄っすらと目を開いた。
「おはよう、哲也」
「おはよう、貴一。今日の朝食はなんだっけ」
「昨日恵美里が作ったハンバーグがある。それで済まそう」
「集合時間は昼だっけか」
「ああ。そこで、黒の兄弟との休戦交渉が行われる」
「長かったような短かったような……」
そう言いながら、下着姿の哲也は冷蔵庫の中身を覗きに行く。その腕が、冷凍庫を開いた。
「アイス、食うか?」
「ああ、食べる」
哲也がアイスを一つ取って貴一に投げてよこす。それを、貴一はキャッチした。
「もう揉めなきゃいいけどな」
「そうさな」
二人は黙々とアイスを食べ始めた。
勝利の味が、体に染み渡った。
その時、チャイムが鳴った。
「はーい、なんですか?」
「私よ、恵美里。皆で朝食食べるでしょう? 開けてよ」
「開けていいのか?」
哲也が悪戯っぽく笑って言う。
「うん? それは当然だけど」
哲也が扉を開けた。
恵美里が微笑んで哲也の顔を見て、その視線が徐々に下へと向かう。
「馬鹿!」
乾いた音がした。
勢い良く扉が閉まる。
「はっは、殴られちゃった」
哲也はそう言って部屋に戻ってくる。
「お前さ。女の子に意地悪するのはガキ臭いぞ」
「なんだよ、フェミニストにでも目覚めたのか?」
「一般論だ。はよ着替えろ。俺だってお前のすね毛だらけの足なんか見ていたくねえ」
「そうさなあ」
そう言って、哲也は着替えを開始した。
騒々しい朝の始まりだった。
+++
昼、黒の兄弟とセレナグループの休戦協定の会議に貴一達は出向いた。
場所は琵琶湖。双方、フルメンバーでの出席だ。
双方から代表格が五人ずつ出て、話し合いを開始する。
空からは、小雨が降っていた。
「休戦は、できない」
ヴィシャスの第一声がそれだった。
「それは、どういうことです? お兄様」
ヴィシャスは机の上を人差し指で数回叩く。急かすように。
「ゴーンズの処分を考えねばなるまい。俺と母は奴のせいで前世では五十年も隠れて生活せねばならなかった。それを、何事もなかったように仲良くはなれん」
セレナは、俯く。
「ゴーンズの処分に関しては私に任せてもらえないかしら」
そう言ったのはクリスだ。
「……母上が納得する形にすると言うなら、僕はかまいません」
「クリス様にお任せします。けど、できれば酷いことはしないでほしい」
双方の代表の意見が一致した。
クリスは、手に白銀の槍を呼び出し、指先で回転させた。
「ゴーンズ。琵琶湖の前に立ちなさい」
「エルフ風情がなにを……」
「立ちなさい」
言ったのは、セレナだ。厳しい口調だった。
ゴーンズは渋々と、湖の前に立つ。
「体魔術、百パーセント」
クリスが唱える。その体が、輝き始めた。
「はっ。殴るか? 刺すか? 恨みで血を流した瞬間、この会議は呪われた物になるだろう」
ゴーンズの声は裏返っている。
「命乞いにしてはいいこと言うじゃん。殴りゃしないよ。刺しもしない」
クリスは笑った。
その手が、しっかりと槍を掴み、引く。
「体魔術を百パーセントまで引き上げたのには理由がある」
先程までよりも強い、神々しい光が、クリスから放たれ始めた。
それは、琵琶湖を照らし、空まで届いた。
ゴーンズは震えながら、それを見ている。
「この技の反動に耐えるには、百パーセントの状態でないといけないからよ……!」
(そう言えば、クリスは言っていたな)
(なにをだ? 貴一君)
(私なら、槍一本で数百人殺せたと。この魔力放出量を見ればそれも納得だ)
(ああ、いかにも。あれがクリスの最終奥義だ)
「一投閃華……」
クリスはさらに槍を引く。その体が拗じられる。
「金剛突!」
眩い光が弾けた。
琵琶湖が真っ二つに割れた。
槍は閃光と共に空間を抉るようにして、直進していき、消えた。
大きな水飛沫が跳ねる。
会議に来ているメンバー達も、びしょ濡れになっていた。
ゴーンズは無傷だった。無傷だったが、心は折れているのが瞳を見ればわかった。
彼は震え、膝を折り、悪夢でも見ているような表情をしていた。
その胸ぐらを、クリスは掴む。
「前世では、犯人がわからなかったからこれができなかった」
清々した、と言いたげな口調だ。
「ヴィシャスにちょっかいかけたら容赦しないよ」
低い声で、クリスは言う。
ゴーンズは放心状態で、それを聞いていた。
クリスは立ち上がり、皆に向き直る。
「裁きは終わった。これで手打ちとしよう」
「母上がそう言うなら、無念ですが僕に異論はありません」
「お兄様がそう言うなら、私にも異論はありませんわ。それでは、休戦の方向で考えていいですね?」
「ああ、それでいい。僕は、十分戦った」
ヴィシャスは、どこか満足げだった。
その視線が、セレーヌに向けられる。
「セレーヌさん。水の精霊の眠っている位置まで案内しましょう。僕の後についてきてください」
「わかったわ。不意打ちで斬りかかるなんてやあよ」
「僕もヴィーニアスの子です。親族に手は出しません」
「ヴィニーの名を出されたら、信頼するしかないわね」
ヴィシャスが歩いていく。その足が、止まった。
その指差す方へ、セレーヌは移動する。
「深い階層の魔術結界に守られています。数週間は覚悟しておいてください」
「ふむふむ。確かに魔術結界に守られているわ」
セレーヌは、杖の先端で力強く大地を突いた。
「えい」
その言葉と共に、青い光が彼女の足元から走り始めた。
「え……?」
ヴィシャスが戸惑うような表情になる。
「この程度の魔術結界なら、私なら一瞬で解ける」
セレーヌは、淡々とした口調で言う。
そして、一同の前に、水の精霊は姿を表した。
それは、青い光の塊だった。エネルギー体と言ったほうがいいだろう。
「誰です、私の眠りを妨げる者は……」
穏やかな女性の声が、周囲に響く。
「今、世界は危機に瀕しています。巨大な魔物が誕生しようとしているのです。それを封じるために、貴女の力をお借りしたい」
セレーヌは、臆せずに言う。
「人の子よ。水を汚し世界を我が物面で闊歩するその所業を改めたら協力も考えましょう」
「それでは時間が足りぬのです。魔物はいつ復活するかわからない。復活した暁には、人の世も地球も滅び去るでしょう」
「ふむ……」
水の精霊は、少し考え込んだようだった。
「確かに、闇の波動を感じます。良いでしょう。貴女に力を貸しましょう」
青い光が、周囲を照らし始めた。それが収縮し、飴玉サイズになり、セレーヌの中に飲み込まれていく。
「人の業とはいつの世も深いものですね……」
それが、水の精霊の最後の言葉だった。
光は、消えた。
「セレーヌ! 成功か?」
ピピンは訊ねる。
セレーヌは振り向いて、笑顔で親指を立てた。
しかし、貴一はその時、その奥にあるものを見ていた。
「虹が出ている……」
貴一の言葉に反応して、皆が空に視線を向ける。
両足を大地まで伸ばした綺麗な虹が、琵琶湖にかかっていた。
大きな、完全な形の虹。貴一が今まで見た中で、一番綺麗な虹だった。
(この世は辛いことばっかりだ。けど、今日、綺麗な虹を見た。もう一年、生きてみるか。ヴィーニアス)
(そうだな。生きよう。生きれば、明日がある)
貴一は胸に手を置いた。
(ヴィニーでいい、貴一君)
(それなら、俺も呼び捨てでいいよ、ヴィニー)
虹はまだ、消えそうにない。
+++
また、一日、予定が空いた。
出発は早朝がいいだろうということで、その日の午後は自由時間になったのだ。
宴会が行われている廃工場の裏で、貴一は、静を呼び出していた。
「忘れ物、取り戻せたよ」
「遅いよ」
静は、待ちくたびれたとばかりに言う。
「悪い」
「けど、私もおかげですっきりできた」
「これからは、共に歩こう。ヴィニー達も、胸に抱いて」
「……そうね」
静が、貴一の手を取った。
「共に、歩きましょう」
それは、告白と言うにはあまりにも曖昧な言葉。
しかし、二人は以前より距離をつめた。
それは、小さく見えるけれども本人達にとっては大きな一歩だった。
「さ、戻りましょう。ヴィシャスと会えるのは今日が最後なんだから」
「そうだな」
二人は手を繋いだまま、駆け足で、廃工場の中へと戻っていった。
琵琶湖攻防戦は、こうして幕を下ろした。
次回から阿蘇山地下迷宮編となります。
来週までお待ちください。




