最後の一日
「最後の一日だ。今日は休息を取ろう。肉体的疲労を残して決戦に挑むのは愚策だ。侵食率も下げなくてはならない」
哲也の言葉に、恵美里が安堵の息を吐く。
貴一にも異論はない。静も同様のようだった。
場所は、貴一と哲也の部屋だ。この部屋に沙帆里を除く四人が集まっている。
「私達の出番もあると思う?」
静は、悩むように言う。
「万全の準備は整えておくべきだと思うがね」
哲也は冷静に答える。
「そうね。なにがあるかわからないからね」
かくして、一日休憩となった。
「静、出かけないか?」
貴一の言葉に、静は少し思案するような表情になったが、そのうち無感情に頷いた。
「いいわよ」
「じゃあ恵美里は鬼教官と栄養摂取の旅に出るか」
「鬼教官嫌い……」
「そう言うな、美味いものを食わせてやるぞ」
「美味いもの……」
恵美里は少し悩んだようだ。
「私達と一緒に来てもいいわよ?」
静が言う。
「鬼教官と過ごすよ」
恵美里はそう言って苦笑した。
各々、腰を上げる。最後の一日が始まった。
+++
繁華街で車が停まる。
そこから、貴一と静は外に出た。
「六時頃に迎えに来るから時間潰しててくれ」
運転席のピピンはそう言うと、車を発進させた。
「六時か。結構時間あるな」
「そうね。どうやって潰したものかしら」
「映画でも見るか?」
「あんたってそればっかりね。他の県まで来て映画を見ることもないじゃない」
静は呆れたように言う。
貴一は慌てて、スマートフォンを取り出した。
「待ってくれよ。県の名産品とか調べるから」
「身構えなくてもいいよ。自然体でいい」
静は淡々とした口調で言う。
それにしても、進歩したものだと思う。会話もなかった時代を思えば雲泥の差だ。
それは、ヴィーニアスを見て静が考えをあらためたからなのかもしれない。
貴一は焦燥感に苛まれながらスマートフォンを触り、そしてあるものを見つけて安堵した。
「近くに近江牛の店がある!」
「昼ご飯にとっときましょう」
そう言って、静は歩き始める。
「ちょっと散歩でもしましょう」
「そ、そうだな」
静の横に並んで歩く。その手が、近くにある。
握りたい。一度は握った手だ。しかしそれが、今は遠くに思える。
「一週間、特訓漬けだったわねえ」
「仕方がないさ。体魔術は脅威だ」
「幹部二体を倒した相手だものね。化け物同士の戦いだわ」
静は呆れたような口調だった。
「忘れ物があるんだ」
貴一は、恐る恐る言っていた。
「ん? なんかマンションに忘れた? まさか財布じゃないでしょうね」
ジト目で静が見てくる。
「いや、そういうんじゃなくて。ヴィーニアスの前世に」
「ああ……」
静は、納得したような表情になる。
「忘れたものを、取り返せればと思う」
貴一は、決意を込めて言う。
「そうね。ヴィシャスが納得するなら、私も納得するしかないわ」
静はそう言って、大きく伸びをする。
「私ね、伊集院さんに叱られちゃった」
予想外の言葉に、貴一は戸惑うしかない。
「なんて?」
「平和な場所で傍観者を気取っているのは卑怯だって」
「意味が分からないな。まあ、あいつはそういう奴だ」
「……あんたってそういう奴よね」
呆れたように静は言う。
貴一はますます戸惑うしかない。
「少し行った場所に観光地があるわ。行きましょう」
そう言って、静は前を歩いて行った。
貴一は、その後に続いた。
+++
「正直疲労感が強い。寝そうだ。異常に眠いんだ」
助手席で、恵美里はぼやくように言う。
「寝てもかまわんよ」
ピピンは飄々とした口調で言う。
「哲也の横で寝る勇気があればな」
「苛めっ子だ……」
恵美里はぼやくように言う。
そのうち、車はどこかの店の前で止まった。食事を提供する店のようだ。
ピピンが、哲也に変わる。
「休むことの重大さを教えていなかったな」
そう、ハンドルに手を乗せて哲也が言う。
「休むことの重要性?」
「ああ。ピアニストみたいな連中は一日サボったら取り返すのに何週間もかかる。けど、スポーツ選手は別だ。体を休ませる時間を取らなければならない」
「その割には毎日動かされたけどなあ」
「運動神経を鍛える目的があったからな。運動と言っても、全般ではない。特に、高負荷のマシントレーニングだ」
恵美里は黙って、哲也の話の続きを待つ。
「負荷をかけると、体はそれに耐える状態に成長しようとする。そして、筋肉は以前より強くなろうと休憩の中で進歩する。超回復という奴だな。だから、筋トレには超回復を意識した休憩の時間が大切というわけだ」
「ムキムキになりそうで嫌だなあ」
「あの程度の負荷でムキムキにはならんよ。栄養もそんなに摂っていないしな。運動後三十分以内にたんぱく質を摂るのがベターだ」
「色々考えてるんだねえ」
「これでも野球選手志望なんでね」
「でっかい夢だ」
恵美里は、感心してしまう。
「私に、夢なんてないな」
そう思うと、恵美里は寂しい気分になる。
「平和に暮らせればそれが一番だと思う」
一瞬、貴一の顔が脳裏をよぎった。けれども、それはいけないことだ。忘れなければならないことだ。
「世界の破滅を望んでいた奴の言い分とは思えんな」
からかうように哲也は言う。
「随分この旅で丸くなった。学生時代は苦行のようなものだった」
「旅が終わっても鍛えてやろうか」
「勘弁願いたいね」
「お前は中々筋がいい。運動神経が鈍いのかと思っていたが、基礎を知らなかっただけだ。鍛えていけばどこまで伸びるか見てみたい気持ちもある。大学では運動系のサークルにも入れるぞ」
「パリピは嫌いだ」
「お前の運動部はパリピって印象どこからきてるんだろうな……」
呆れたように哲也は言う。
「まあ、旅が終わってさようならじゃ寂しいだろう?」
「そうだね……それはまあ、そうだ」
「旅の終わりを思うには、まだ早すぎるかもしれんがな」
「焦ってるの?」
哲也は黙り込む。
そして、しばし故郷に思いをやった。
「野球部の地方大会の試合が近づいてきている」
「そっか。帰りたいね」
「そうもいかんさ。世界の危機だ。それに、一度帰れば両親の監視は厳しくなる。また旅に出るのは困難だ」
「なんかいいね。一つの目標に向かって皆で頑張るの。羨ましいと思う」
「なに言ってんだか」
哲也の言葉に、恵美里は戸惑うような表情になる。
「恵美里も今、世界を救うって目標のために皆で頑張ってるだろ。俺達は、仲間だ」
そう言って、哲也は恵美里に手を差し出す。
それに、恵美里は掌を恐る恐る重ねた。
柔らかい手だった。あんな大剣を振り回しているとは思えないほどに。
「ああ、仲間だ」
そう言って、恵美里は微笑んだ。
哲也は虚を突かれた。
悪戯っぽく微笑んだ恵美里が、あまりにも無邪気すぎたから。
「なんだ、どうした? 哲也」
「いや。飯でも食おうや。栄養つけてもらわんとな」
「……訓練、まだ続くの?」
「嫌か?」
「嫌だ」
断言されて、哲也は苦笑する。
「けど、皆で見る未来のためだ。頑張るよ」
「その意気だ」
そう言って、哲也は車の外に出た。
なんだかおかしな話になってきたな、と思う。
弟子が一人できた。
けど、悪い気はしなかった。
+++
沙帆里の部屋に、セレナが訊ねてきたのは、午後も三時を過ぎる頃だった。
「今日はお母様お一人なのですか?」
「みーんな出かけてる。訓練でしょ、どうせ」
そう言って、沙帆里は部屋に入っていき、ゲーム機の前に座る。
「あ、これ最新のゲーム機ですね」
「中々面白いわ。集中力を高めるのは魔法のコントロールに影響を与えるしね」
「こじつけではありませんか?」
「こじつけよ」
沙帆里は、言いながらも、コントローラーを操作する。
「ケーキ買ってきたから、紅茶淹れますね」
「ん。任せた」
コンロの点火する音がした。
「いよいよ明日、ですね」
「うん」
「お父様は勝てるのでしょうか」
「勝つよ、ヴィニーは。あいつは、こんな時は勝つ。それよりも、私が負けそう」
「お母様が?」
セレナが、怪訝な表情になる。
「静に」
セレナは納得したように、口を噤んだ。
「育ってからが勝負だと思っていた。けど、決着は早々につこうとしている。マラソンで数週遅れで走ってる気分だわ」
何故、貴一は沙帆里より何年も早く生まれたのだろう。
その運命が、憎らしく思える。
「心中お察しします」
「私にしかわからないわよ。この気持は」
「諦めるのですか?」
「二番手でも目指そうかしらね。前世でも二番。今世でも二番。運命は私を弄ぶ」
「そう悲観したものではないですよ。年の差婚なんて今時珍しくもないですし」
「そうなんだけどねー……」
静と貴一は今日も一緒なのだろうか。それを思うと、感情が揺さぶられる。それが沙帆里の感情なのかセレーヌの感情なのか、最早境界は曖昧になっている。
セレナがケーキと紅茶の用意を終えた。
沙帆里はスタートボタンを押してゲームの画面を停止させて、テーブルに向き直る。
「こうして二人でくつろぐのも久しぶりね」
「親子水入らずといきましょう」
二人でケーキを食べ始める。
「私も、複雑なのです」
セレナが、独白するように言った。
「兄がいると知って、お父様の愛情を取られそうで怖い。けど、同時に、私は前世、お父様に厳しくされるたびに、優しく慰めてくれるお兄様がいてくれたらと思っていた」
「ヴィシャスは貴方に対して優しかった?」
「ええ、とても。上に立つ人間は大変だろうとよく労ってくれました」
セレナは、ケーキを食べる手を止める。
「また、あのような関係に戻ることができたなら……」
「できるよ」
沙帆里は、微笑んだ。
「こういう時に、ヴィニーは私の期待を裏切らない。それだけは信頼している」
「そうですね」
セレナが、相好を崩した。
二人は、かしましく喋りながらケーキを食べていく。
+++
夕焼け空の下、貴一と静は歩いていた。
「最後の一日も終わりだな……」
「取り返してね」
静が、呟くように言った。
「ん?」
「取り返してね。前世に置き忘れたもの」
「ああ。俺とヴィーニアスに任せろ」
そう言って、貴一は微笑む。
「スタバにでも入って時間を潰しましょうか」
「そうだな」
夕日が傾いていく。
決戦の時は、刻一刻と近づきつつあった。
次回『決戦』