それぞれの一週間2
「八割方回復ってとこかなあ」
三日後、ヴィーニアスは両手の剣を落とすと、廃工場で言った。
クリスが槍を抱いて座り込む。
「まだ鈍ってるね。ブランクは大きいね。全盛期のヴィニーの鋭さはないわ」
ヴィーニアスは両手を下げて左右に振る。
「手が痛いのですか? お父様」
「痒いんだ。体魔術の一撃を弾き続けてたら痺れを通り越して痒くなってきた」
「完璧に受け流していない証拠だーねえ。多分、全盛期との差は数秒以下の時間の差。その差が、受け流した際に蓄積したダメージを増加させている」
「仰る通り」
「私レベルでは話にもついていけません……」
呆れたようにセレナは言う。
「間に合うかな」
「間に合うさ、ヴィニー。そろそろ、体魔術百パーセントで行くよ」
「ああ、頼む」
ヴィーニアスは、そう言って、双剣を拾い上げた。
決戦まであと四日。特訓は続く。
+++
三日、走った。
足は全体が筋肉痛で、膝が笑っている。湿布の匂いにも慣れた。
恵美里は、まだ走っている。
いや、辛うじて走ってると言えるだけで、ほぼ歩いている状態に近い。
「はい、はっしれーはっしれー」
後ろから声をかけてくる鬼教官が鬱陶しい。
「走らなかったら今晩のアイス抜きな」
「畜生……」
恵美里は歯を食いしばって、再び足を上げ始めた。
「哲也はきつくないの? このマラソン」
「いいリハビリになる。最近筋肉が衰えていたからな。マシントレーニングでもできればもっと効率よくやれるんだが」
「このスポーツオタめ。だから運動部の奴とは話が合わないのよ」
「そうか?」
「そうよ。なんか人生楽しいですってオーラ出してる奴ばっかりだし。憎くて仕方がない。私達陰キャはパリピが嫌いなのよ」
「貴一もか?」
恵美里は、足を止める。
「別に」
「はい、はっしれーはっしれー」
哲也に背を押されて、再び走り始める。
くたびれた。もう休みたい。時間はどれほど経った? まだ昼食の時間にはならないのか?
徐々に暑くなっている気温が、肌にまとわりついた。
「はい、はっしれーはっしれーごーごーえっみりー、ふぁいとーえっみりー、はっしれーはっしれー」
鬼教官はこれ以上なくノイジーだった。
「ねえ、私、痩せるかな?」
「俺はもう少し肉付きがいいほうが好みだ」
「てめぇの希望は聞いちゃいねえ……」
「現実的に言うと無理だな。大体一キロつき七千キロカロリー。ランだけでそれを消費するのは不可能だ」
「じゃあ美脚は?」
少しでも希望になる話を聞きたい。
「専門じゃないからわからんな。けど、筋肉はつくぞ。ムキムキとした筋肉じゃなくて、引き締まる」
「ちょっとやる気が出た」
「はっしれーはっしれー」
「私、陸上部だけは一生入らないって決めた」
「はっしれーはっしれーぷりちーえみりー、はっしれーはっしれー、ごーごーえみりー」
「恥ずかしいからヤメレ」
「掛け声がないと退屈でな」
「運動部の奴とはこれだから話が合わないのよ」
二人は走り続ける。
その時のことだった。
恵美里は、地面を足で掴んだ感触を今までより強く感じていた。バネが、足を前方へと跳ね上げる。足が大きく上がった。
「おっ?」
逆の足も同じ。バネが、足を前方へと跳ね上げる。
それを繰り返して、恵美里のペースは上がった。
「おっおっおっおっ?」
恵美里は駆けていた。
足がやっと肉体の一部となったような感覚があった。
「鬼教官! 今の私のランはどうだ?」
「ああ、様になってるな。第一段階は終了といえるだろう」
「じゃあ!」
やっと休める。恵美里は目を輝かせる。
「逆上がり、できるか? 次は上半身を目覚めさせるぞ」
鬼教官は容赦がなかった。
「あんたってそうやって運動馬鹿として一生を終えていくんだわ……」
恵美里は絶望して、座り込む。
「可愛い女の子と一緒に運動できて嬉しいなーちやほやしたいなーとか思わない?」
「お前はちやほやされたいと思うような女か?」
恵美里は、少し考えて答える。
「それはそれで面倒臭そう」
「くくっ、だから俺はお前を気に入ってるんだ」
鬼教官は、悪魔のような笑みを浮かべた。
「ジムに行って本格的なマシントレーニングに移る。俺が補助するから臆するな。その前に」
鬼教官は時計を見た。
「昼食にしようか」
恵美里は、安堵の息を吐いた。
心の中に、不可思議な感情が芽生える。
それは、恵美里が今まで感じたこともないような、達成感だった。
人並みに走れるようになった。ただそれだけのことが嬉しかった。
+++
時間は、飛ぶように過ぎた。
沙帆里としては、退屈な一週間だった。
疲れて帰ってくる一同に、スーパーで買ってきた値引きの弁当を運ぶ日々。
ある日、四人は疲れ果てのか、弁当を食べ終えてそのまま寝入ってしまった。
「……満足感ある顔してる」
沙帆里は苦笑して、四人に布団をかけていく。
今なら、違和感なく言える。この四人が、仲間なのだと。
沙帆里は貴一の布団に入って、横になった。
「お休み、愛しい旦那様」
そう言って、沙帆里は目を閉じた。
(明日は良い一日になりますように)
最後の一週間も、残り一日となっていた。
次回『最後の一日』