それぞれの一週間1
「特訓をしようと思う」
帰りの車で、ヴィーニアスが言う。
「特訓?」
セレナが、訊ねる。
「ブランク明けで体魔術に対応するのは多分きつい。クリス、相手をしてくれるか?」
「ん、いいよ」
「それにしてもヴィシャスに彼女なあ。やることはやってたんだな」
ヴィーニアスは表情をほころばせて言う。
「上機嫌だね、ヴィニー」
「ああ。救われた思いだ。あのお嬢さんには感謝してもしきれない」
「父親ヅラしないでって思ってるよ、あっちは」
「ヘコむこと言わないでくれないか」
セレナが滑稽そうに笑う。
「お父様はそんなひょうきんな方だったんですね」
「そんな差あるかな?」
「あるよー。王をやってる時のヴィニーは息苦しそうだった」
「そりゃ、王たる者には責任があるからな。今は、いい心地だ。勝てる気がするよ、こんな時には」
「そんな希望的観測で秀太さんを帰したんですか……」
呆れたようにセレナが言う。
「一応、ブランク抜ければ秀太より俺のが強いぜ。多分な」
「多分、ですか。あの方も相当人外の域に足を踏み入れてますね」
「殺し合いなら負ける気はしないがね」
ヴィーニアスが淡々と言った言葉に、貴一も、セレナも、背筋を寒くした。
この男は平時の男とは違う。非常時に活躍した男だ。
死を常に背に感じながら歩いてきた男だ。
その覚悟の違いが、剣の重みに違いを生むのだ。
「ま、緊張するな。今度の試合は殺し合いじゃない。レクリエーションだよ」
そう言って、ヴィーニアスは不敵に微笑んだ。
車は廃工場へと向かう。
+++
恵美里は哲也に公園へと連れてこられていた。老人が犬を散歩させ、子供達がサッカーボールを蹴り合っている。長閑な昼下がりだ。
「ジャージ三着も買ってもらって悪いんだけど、なんでこの姿で呼ばれたんだろう……」
かく言う恵美里は、ジャージ姿だ。
哲也は、腕を組んで言った。
「お前の運動音痴疑惑が出ている」
「疑惑じゃなくて事実だよね」
「そこで鬼教官たる俺が訓練をつけるという運びになったわけだ」
「はい、先生!」
「よし、なんだ?」
「面倒臭いです。ダウンロードでヴァイスの筋力もある程度貰えるから十分じゃないでしょうか」
「それを十全に使えていないと言っている。この先、どんな強敵が待っているかわかったものじゃない。ダウンロードしか使えないお前を今後一人前の戦士にすることは重要な課題と言える」
「これでも貴一と秀太を圧倒したこともあるんだけどなあ……」
「ヴィーニアスの記憶が眠っていた頃の貴一と、実戦経験を十分に積んでいなかった頃の秀太にな」
「弱い者いじめしてたみたいな言い方やめてくれるかな」
「しかし、事実としてお前は両者に追い抜かれた」
恵美里は腕を組んで、考え込んだ。
「追い抜き返す必要があると思うがね。そうやって競争して俺達は強くなってきた」
「はい、先生!」
「よし、なんだ?」
「ピピンも大概雑魚専だと思うんですけどそこらどうでしょう」
哲也は顎に手を当てて苦笑した。
「いつ、本気を出したと言った?」
恵美里は、虚を突かれたような表情になる。
「タイマンならピピンも相当な域まで行くぜ」
「けど、ピピンは剣士じゃない」
「そうさな。タイマンで、トラップが使えない環境で、気配を消しても逃げられないような敵が出てきた時は本気の俺を見せてやろう」
恵美里は疑わしげに哲也を見ている。
「信じられないか?」
恵美里は一つ頷く。
哲也はますます苦笑するしかない。
「まあ、基本的な運動に関しては運動部の俺に聞けば間違いはない。俺の訓練を乗り越えた時、お前は今までに匹敵する強さを手に入れているだろう。というのがヴィニー坊やの計算だ」
「王様のご意向かあ」
「やるぞ。まずはダウンロードせずに走れ」
「はあい」
そう言って、恵美里は駆け始める。
想像を絶する遅さだった。
体は痩せているのにまるで機敏さがない。
「もっと足を上げて走るんだ」
「意味あるの?」
「意味があるかというか、足を効率的に使ったら自然と足が上がるんだよ」
「ふーん」
「足のバネ、アキレス腱を意識して跳ねるように走れ」
恵美里は足を無理矢理に上げて走り始める。
そして、息切れした。
走り始めてまだ三分も経っていない。
「やっぱダウンロードなしじゃキツいわ。疲れた」
「マジかよお嬢さん、カップラーメンすら作れないんだが」
「疲れたもんは疲れたんだから仕方がない」
「ふーむ。そうくるか……」
哲也は顎に手を当てて考え込む。
そして、不敵に微笑んだ。
「じゃあ足腰を鍛えるラン系の練習をメインにスケジュールを組むから、四時間ほどやろうか。足腰とスタミナは全てのスポーツの基本だ。鍛えておいて損はない」
「無理です」
「俺は鬼教官~」
哲也は腰とズボンの間に挟んでいたノートを取り出し、鼻歌を奏で始める。
「無理っつってんだろハゲ!」
「ふさふさ~」
暖簾に腕押しだと気づいた時には、練習量の絶望が恵美里を襲うだろう。
+++
沙帆里は部屋でゲームをしていた。画面では沙帆里のキャラが敵キャラクターを吹き飛ばしていた。
「あの二人も考えが甘いわねえ……」
沙帆里は、一人呟く。
「反抗期の子供に勉強しろと言って時間を与えたとして、素直に勉強するわけないじゃない。休めって言われても休まない。目に見えてる」
復活した敵キャラクターを、再び沙帆里は攻略し始める。
「まあ、それで上手く行ってると思ってるヴィニーを見ると、言うのも野暮だわね」
そう、ぼやくように言う。
「本当、身内のことになるととたんに弱くなる、あの人は……」
沙帆里のキャラクターが反撃を受けてダメージを受ける。しかし、致命傷には程遠い。コンボ攻撃が敵を襲った。
「暇ね。誰も帰ってきやしない」
沙帆里は呟いた。
魔法使いセレーヌ。こと魔法に関しては、その技術は完成してしまっているのであった。
+++
「一週間の休戦?」
リーンの言葉に、ヴィシャスは怪訝そうな表情になった。
「侵食率を下げろとの王のお達しです」
「ふざけやがって。こんな時だけ父親面か。罠ではないのか?」
「罠でも、私は負けたからメッセンジャーになるしかない」
リーンはそう言って、気まずげに視線を逸らす。
「それに、事実、侵食率を下げないとヤバいよ? 透」
ヴィシャスは、沈んだ表情になる。
「けど、ヴィシャスの望みはこのままでは果たされない……体魔術をもっと効率的に運用することを考える。俺には、まだ強くなる余地がある」
「透が消えるのは嫌だって亮子は言ってる」
「今は我儘に付き合うと透は言っている。悪いが、俺は戦わなければならん。何百年も待った、待望の時なのだ……」
リーンは神妙な表情で黙っていたが、そのうち苦笑した。
「悔いは残さないようにね。これは神様がくれたロスタイムなのだから」
「水の精霊と交渉に移る前に父上が現れたのもなにかの因縁だろう。俺は、その運命に打ち勝つ。それでこそ、新生五聖を名乗る芽もあるというものだ」
「新生五聖、か……」
リーンの呟きが、小さな部屋に溶けて消えた。
+++
夕方、貴一は静とマンションに帰る。
入り口で、汗まみれの恵美里と遭遇した。傍には哲也もいる。
「どうしたの、その格好」
静が怪訝な表情で言う。
「鬼教官に苛められた……」
恵美里は息も絶え絶えといった様子で言う。
「適度な運動だよ。恵美里はスポーツ経験がなさすぎる。少し鍛えてやった」
「なるほどねえ。こっちも特訓明けだから汗が鬱陶しいわ」
「上手くいきそうか? ヴィニーは」
「十分に間に合うと思う。一週間という期間は、俺……ヴィーニアスにとっても必要な時間だ」
哲也が、目を細めた。
「魂の侵食には気をつけろよ。ヴィーニアスは目覚めた。今までとは負荷がダンチだ」
「と言われても、実感ないんだよな。侵食されてるって」
「俺も最初はそうだった。けど、最近顎に手を当てる癖がついている。ピピンの癖だ」
疎むように哲也は言う。
「魂までは侵されないように気をつけよう」
貴一は、哲也が心配になった。
そういえば、ピピンと哲也は切り替わってもあまり変化がない。
その原因が精神が似通っていること以外にあるとすれば。
恐ろしい未来が見えた気がした。
心を読んだように、哲也は苦笑した。
「行くぞ」
その声に合わせて、四人は歩きだす。エレベーターに乗って、自分の階に行き、それぞれの部屋へ直行した。
数十分後。各々シャワーを浴びて、貴一と哲也の部屋に集合する。
静がうんざりした表情で声を上げた。
「げ」
「げ、とはなによ! これでも一生懸命やったんだからね!」
弁解しているということは沙帆里にも負い目があるのだな、と貴一は察した。
貴一と哲也の部屋のテーブルには、料理があった。
焦げた魚。大きなキャベツが沢山混じっているポテトサラダ。水っぽいシチュー。
「シチューなんて箱の説明書通りに作ればいいだけなのになんでミスるかな」
静が呆れたように言う。
「ある種天才的……」
傾いて壁に寄りかかっている恵美里が言う。
「暇だから料理してあげたの! 感謝なさい!」
「人生二回使ってこの料理とかどういうことよ。食材の神様に謝りなさいよ」
静は辛辣だ。平常運転とも言える。
「あっさりした味のシチューと思えばどうだろう」
貴一はシチューを一口食べて言う。
「ただ申し訳ないけど言いたいことがあるとすれば、焦げた味するんだ……」
沈黙が漂った。
作り直すのが手っ取り早い。しかしそれも悪くてできない。
なにより、皆疲れていた。
各々、無言で席につく。
「なに? 食べるの?」
「恵美里。運動したあとは食事を摂ることが肝要だ。いくら鍛えても栄養を摂らなければ筋肉にはならない」
「ああ、覚悟はできたよ、鬼教官」
「ぱーっと食ってぱーっと寝ましょう」
「そうだな。女の子の手料理だ。悪くはない」
四人はそう言って目配せして、覚悟をしたように一つ頷いた。
そして、四人で食事をがっつき始めた。
「なんだ、皆素直になったんじゃない。私はアイス食べてるけど、おかわり自由だからね」
見ると、沙帆里の食器はない。彼女はアイスを晩御飯にして終えるようだ。
「二度はないと思え」
低い声で静は言う。
その日、静と恵美里は早々に部屋に戻った。
哲也と沙帆里がずっとゲームで対戦していたが、それが気にならぬほど心地よい眠りにつけた。
悪夢は、見なかった。
次回『それぞれの一週間2』




