三つの誤算
ピピンは屋根の上から琵琶湖周辺を眺めていた。
ピピンの目なら、この闇夜の中でもヴィシャスを簡単に狙える。
弓も射程圏内。相手は矢による攻撃を予測してはいない。
ピピンは弓を構えて、矢をつがえた。
そこで、動きを止めた。
時間が経過する。黒の兄弟は水の精霊を起こそうと躍起になっている。
(あまりにもむごい)
そう思い、弓を消す。
そして、屋根の上から軽々と地面に降り立った。
「どうでしたか?」
車の中にいるゴーンズが問う。
「ああ、無理だわ」
そう、ピピンはとぼける。
「これはおかしなことを言う。五聖とは不可能を可能にする存在ではなかったのか」
「ひとまず、拠点に戻ろう」
ピピンは、ゴーンズの言葉を受け流して拠点へと戻った。
拠点の廃工場では、貴一が治療を受けている最中だった。
「どんな調子だ?」
静かな表情をしているクリスに問いかける。
「目立った外傷はないけれど、蹴られた時に内臓が傷ついている。治療にはちょっとかかる」
「これもお前のせいだ、クリスティーナ!」
ゴーンズが怒鳴る。
「国王陛下との間の子だと! そんな偽りを我が子に教え恨みの原因を作った。全ては貴様が元凶だ!」
クリスの目が鋭く細められる。その視線が、ゴーンズを捉えた。
「誰がなにを言おうと、あの子は私とヴィニーの子よ。あの顔立ちを見て違うなんて言える?」
ゴーンズは反論されたのが予想外だったようで口籠る。
クリスは鼻を鳴らすと貴一に再び視線を向けた。
「本当に、あの子は二人のお子様なのですか?」
セレナは戸惑うように言う。
「ああ、そうだ」
答えたのは、ピピンだった。
「ならば、なんてむごいことを……」
セレナはそう言って、呆けたように座り込む。
「どういうことなんだ……?」
いつから目を覚ましていたのか、貴一は目を開いていた。
「何故、クリスとヴィーニアスの子供が俺達に敵対する? いてて、それに俺は随分恨まれていたようだが……」
「そうさな……」
ピピンはしばし考え込んだ。その間、沈黙が周囲に漂った。
そして、これ以上隠していても仕方がないと口を開いた。
「クリスが王室警護隊を去ったのは、妊娠したからだ。ヴィニーがそれを知ったのは後になってからだったが、知ってからは何度も用事をでっち上げてヴィシャスの様子を見に行っていた。俺も何度か付き合わされたが、とても仲の良い親子だったと記憶しているよ」
ピピンの言葉が、闇の中に溶け込んでいく。
「初めての子だ。ヴィニーは溺愛した。剣を教え狩りを教え、俺や近所のエルフに頼んで弓まで学ばせた。ヴィシャスが一人前の戦士に……と言っても、エルフとしてはまだ子供の年齢だったが……育った時に、誤算が起きた」
「誤算?」
貴一は、ゆっくりと体を起こす。
「ヴィシャスは、王宮でヴィニーの役に立つことを望んだんだ。それは、権力争いで揺れている王宮にとって厄介なノイズでしかなかった」
+++
「陛下。申し上げたいことがあります」
ヴィーニアスは、玉座に座り、部下の申し出を聞く姿勢を取った。
「なんだ?」
「陛下とクリスティーナ様の子供を名乗る人物が、陛下の部下として役に立ちたいと申し出てきたのです。確かに、体魔術を扱い、魔法剣を扱う。陛下とクリスティーナ様の特技を受け継いでおります」
ヴィーニアスは、胸が締め付けられるような思いになった。
「その者、名前はなんという」
「ヴィシャス、と申しておりました」
ヴィーニアスは、玉座に体重を預けた。
「そうか……」
「どういうことです、陛下」
「跡継ぎも決めぬままにさらに跡継ぎ候補が増えると?」
この頃、王宮は権力争いで揺れていた。暗殺事件が起きるほどに。
その中にヴィシャスが混じれば、神輿として担がれることは確実だ。
王宮はさらに混迷を極める。
それだけは、防がねばならない。
父としての喜びを、王としての理性が上回った。
「知らぬ」
「は?」
周囲の面々が、戸惑うような表情になる。ただ、ピピンだけが苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「そのような者は私もクリスも知らぬ。牢に繋いでおけ」
「は!」
それが、第一の誤算。ヴィシャスが王宮に来たがったこと。
ヴィーニアスの日常の歯車が、微妙にずれ始めていた。
その夜、ヴィーニアスとピピンはお忍びで牢屋を訊ねた。
ヴィシャスは牢の隅で体育座りをして、沈んでいるようだった。
「ヴィシャス」
ヴィーニアスは声をかける。
「父上!」
ヴィシャスは立ち上がり、ヴィーニアスの傍に駆け寄ってくる。
「し、声が大きい」
ヴィシャスは不満の一つも見せずに、声のトーンを落としてみせた。
「どういうことなのです、父上。ピピン様の言う通り、出された食事は摂りませんでしたが」
「明日にはこっそりとお前を逃してやる。その後は、王宮に来ようとは思うな。今、王宮は権力闘争の最中だ。お前がその中に入れば、不幸になるのは見えている」
「しかし、僕は父上の役に立ちたい」
ヴィーニアスは、ヴィシャスの手を握った。
「お前が生きていて、元気に森の中で暮らしていてくれるだけで私は幸せなのだよ。ヴィシャス、お前は森で暮らすのだ。けして王宮に来ようとしてはいけない」
ヴィシャスは泣きそうな顔になって、しばし考え込んだ。
「それが父上の意向ならば、僕は従います。父上……僕は父上が大好きです」
「ああ、私もお前が大好きだ、ヴィシャス」
そう言って、その日の会見は終わった。
+++
「ヴィシャスは捕まってなお、ヴィーニアスを信頼していたのか」
貴一は、痛ましげな表情で言う。
「ああ、そうだ。ヴィシャスはヴィーニアスを信じていた」
ピピンは答える。
「それが信じられなくなるような事件が起こるわけか?」
「ああ。誤算は連鎖した。第二の誤算が起きる」
ピピンは、当時を思い出して、溜息を吐いた。
「クリスティーナの到着が早すぎたのだ」
+++
それは、ヴィシャスが訪れた翌日のことだ。
「陛下!」
文官が駆けてくる。
「何事だ」
ヴィーニアスは、直属の部下に言付けてヴィシャスを脱出させてやる計画を実行しようとしているところだった。
「クリスティーナ様が現れました。今、門を強引に突破して大暴れをしておられます」
ヴィーニアスは一気に真っ青になった。
ピピンと目配せをし、立ち上がって歩き始める。
「ただちに武器を持て!」
「は!」
ヴィーニアスの双剣と、ピピンの弓矢が運ばれてくる。
それを各々装備して、二人は門の傍へと移動した。
クリスティーナは、槍兵達に囲まれていた。周囲には十数名の負傷者が倒れている。
「来てしまったか、クリス……」
ヴィーニアスは苦い顔で言う。
「あの子を返して」
クリスは、迷いなく言う。
「一旦、捕まってはくれまいか。便宜は図るゆえ」
「なら、貴方を信じて捕まりましょう。ただ、覚えておくことね。私は牢なんかからいつでも脱出できるって」
そう言って、クリスは白銀の槍を地面に落とした。
兵達が慌ててクリスの手に錠をつける。
シルカが、唖然とした表情でそれを見ていることにヴィーニアスは気がついた。
「なんでもないんだ。危ないから下がっていなさい」
そう言って、ヴィーニアスはシルカの背を押した。
その夜、ヴィーニアスとピピンは密かにクリスの牢を訊ねた。
「困ったことをしてくれた」
ヴィーニアスは弱り顔で言う。
「ここで君達を逃がせば、国の威信に傷がつく。国はクリスティーナの暴力に屈したのだと」
「……もしかして私、来ないほうが良かった?」
クリスは、沈んだ表情で言う。
「どうして私を信頼してはくれなかったのだ……」
ヴィーニアスは溜息を吐く。
「王宮がゴタゴタしてるのは私も知っていたからね。大事な一人息子が毒殺でもされたら困る」
「ヴィシャスには食事を摂らぬよう忠告した。素直な子だ。守ってくれているはずだ」
「そう、ありがとうピピン。で、私はどうなるの?」
「それを、相談しに来たところだ」
ヴィーニアスは溜息混じりに言う。
「どんな刑ならば、国の威信に傷をつけずに、君達を安全に外へ逃がせる?」
沈黙が漂った。
「誰だ!」
叫んだのはピピンだ。
人が逃げていく駆け足の音がした。
「どうやらここも安全ではないようだな……」
ヴィーニアスは溜息を吐く。
「明日、君を刑に処する。国に貢献した君だ。減刑しても文句は言われぬだろう。傷はつくかもしれない。しかし土の精霊の加護を受けた君ならば治癒は容易いだろう」
「前科者になるわけかあ。まあ、仕方ないね。命があっての物種だ」
そう言って、クリスは肩を竦める。
「すまん、クリス……」
「気にするなよ、ヴィニー。連帯責任だ」
「そう言ってもらえると助かる。私が顔をだす機会も減るだろう。ヴィシャスは、許してくれるだろうか」
「どうだろう。しかし、少しぐらい痛い目を見ておいたほうがいいかもしれないね。あの子は、人の邪悪さを知らなすぎた」
「そうだな。君の教育が良かったのだ」
「田舎者なだけさね」
そう言って、クリスは寝転がった。
「覚悟はしておく。刑の裁量はヴィニーに任せる。罰は私が負う。それぐらいは私の功績と相殺して可能になるはずだ」
「ああ。お前は今の国を作った一人だからな。軽い罰になるように私が取り計らおう」
「頼んだ」
そして、その日の極秘会談は終わりを告げた。
刑は決まった。咎人の印。焼けた鉄により刻印を腕につける罰だった。
クリスが傷つく様を、ヴィーニアスはその目で見ていた。心締め付けられる思いで。
+++
ヴィシャスは剣を杖のようについて、琵琶湖の湖面を見ていた。
「ヴィシャス様。まだ水の精霊の居場所まではしばしの階層がございます。突破には時間がかかると思われますが……」
「この世界の精霊は気難しいな。顔をだすのも億劫がるとは」
ヴィシャスは苦笑混じりに言う。
脳裏に蘇ったのは、あの日のことだ。
その日、ヴィシャスはクリスに手を引かれて歩いていた。目からは、涙がこぼれていた。
母が優しく言う。
「大丈夫よー、ヴィシャス。土の精霊の加護を受けている私なら、こんな火傷ぐらい立ちどころに治癒しちゃうんだから」
父もそれをわかっていて母をあんな刑に処したのだろうか。
それにしても、酷すぎる。
ヴィシャスは泣いていた。父に裏切られた気持ちで泣いていた。母に迷惑をかけてしまった罪悪感で泣いていた。
「あんたも一人前のエルフでしょう。胸を張りなさい」
そう言って、母はヴィシャスの背を叩く。
そう、そこまでなら、ヴィシャスは引き返せたかもしれない。
その後、あんなことが起きなければ、ヴィシャスは父への反逆など考えなかったかもしれない。
けれども、全ては起きてしまった。
ヴィシャスは苦笑する。
「男とは感傷的な生き物だ。そうは思わんか」
声をかけられて、側近のリーンは戸惑うような表情になる。
「なんでもない。休んでおけ」
「は。ヴィシャス様も、休息をお取りください」
「わかっている。交代交代に取るさ」
夜は更けていく。
水の精霊には、まだ辿り着けそうにない。
+++
「それが、二つの誤算か。クリスに咎人の印をつけた理由」
治療も大分進んだようで、貴一は上半身を起こしていた。
「ああ。二つの誤算で内密に逃がせたはずのヴィシャスは罰を負うことになった。そして、ここから第三の誤算が始まる……」
「第三の誤算?」
貴一は、戸惑うような表情になる。
「そうさな……」
ピピンは、話しづらそうにしている。
「エルフの森を暗殺者が襲ったんだよ」
クリスが淡々と述べた言葉に、貴一は絶句した。
「クリスティーナとヴィーニアスの血を引く者。英雄と英雄のハイブリッド。政敵になると見て暗殺者を放った者がいる」
「それで、私とヴィシャスは放浪の旅に出ることになった。ヴィーニアスに顔を出している余裕もなかった。五十年ほど、私達は息を殺して生きた」
「取り残されたヴィーニアスの絶望は半端なものではなかった。そこからヴィーニアスの迷走は始まる。彼は早々に退位し、セレナに後を託した。そして、生きる屍のように残りの人生を送った」
「それがヴィーニアスの犯した、罪と罰……」
貴一は、頭上を見上げた。ピピンも、つられて上空を見る。穴の開いた屋根から、夜空に星が輝いているのが見えた。
「見えるよ」
貴一は、呟くように言った。
「エルフの森。燃やされた一軒家。ヴィーニアスは叫んでいる。どうしてこうなったのだと叫んでいる。彼の時計は、その時から時間を止めた」
セレーヌが、セレナの肩を抱いた。セレナは、複雑そうな表情をしていた。
「けど、その時計の針を進めなければならないんだ……ヴィーニアス」
そう言って、貴一は自分の胸に手を置いた。
返事があるかどうかは、ピピンにはわからない。
+++
それは遥か過去、別の世界での話。
一人の男が、燃え落ちた家の中から亡骸を探している。同胞に止められても、探し続けている。
目は涙で濡れ、必死に手を動かし続ける。
「何故だ、何故こうなった……」
うわ言のように男は繰り返し言う。
そこは、男が何度も通った家。
訪ねればいつも温かい食事と優しい顔の親子が男を出迎えてくれた。
その面影は、既にない。
男は吠えた。
そして、ふと冷静になったように、動きを止めた。
「国の権力闘争を止めるぞ、ピピン」
男、ヴィーニアスは、そう言ってその場を去り始めた。
「考えはあるのか?」
「退位する。そうすれば無駄な争いはなくなるだろう」
「セレナはまだ若い。クリムに至っては子供だ」
「しかし、決めなければこのような不幸が繰り返される」
男は王宮の外で育った。
政治的な争いを学ばぬままに育った。
だから、男はこういった時の対処法を知らなかった。
「帰って犯人を探すか?」
ピピンが、躊躇うように言う。
「探さない。そんなことをしても人材を失うだけだ。クリスとヴィシャスは帰って来ない」
「お前がまだ冷静で俺ぁ安心したよ」
そう言って、ピピンは男の背を叩いた。
ヴィシャスの微笑みとクリスの微笑みが脳裏に蘇る。
最後に一度だけ、男は涙をこぼした。
次回『剣士、再び』
沈む回も終わりを告げて徐々に浮上していきます。




