敗北の味
治癒の光がおぼろげに輝いている。
その光が、二人の男も照らし出していた。
一人は貴一、ヴィーニアスの憑依者。
もう一人はネームレス。謎多き実力者。
「貴一さん、幹部をあっという間に倒した相手です! 気をつけて!」
セレナが不安げに叫ぶ。
(あっという間、か……)
体魔術に近い運動能力を覚悟しておいたほうがいいだろう。
貴一は双剣を構える。
ネームレスも、双剣を構える。
まるで、二人の構えは鏡に写したかのようだった。
貴一は、右肩を双剣の片割れで二回叩く。
「猿真似が上手だな」
「ああ」
ローブのフードに隠れた顔から、唇の端が持ち上がったのが見える。
「生憎、子供の頃からそればかりしていてな」
それは、自嘲気味な台詞に聞こえた。
「まさか……そんな……」
そう呟いたのは、クリスだ。
「始め!」
リグルドが叫ぶ。それとクリスが叫んだのは、同時だった。
「やめて!」
クリスの言葉の真意はわからない。貴一は、目の前の戦闘に集中していた。
距離を離していてはどんな奇策を取られるかわからない。貴一は距離を詰めようとする。
その瞬間、視界から相手が消えた。
咄嗟に、首を反らす。
さっきまで頭があった位置に、相手の剣が通過していった。
「ほう、避けるか、国王陛下」
振り返ると、相手は背を向けたまま双剣を突き出していた。
「協定違反ですよ、ネームレス! 命を狙うのは互いにご法度のはずです!」
セレナが不平の声を上げる。
「いや、手が滑った。国王陛下が避けてくださって助かった」
そう言って、ネームレスは振り返る。
「体魔術……?」
貴一は戸惑いの声を上げる。
「貴一、無理だ! ギブアップするんだ!」
クリスが叫ぶ。
「その子の特技は、体魔術だけじゃない!」
「と、いうことだ」
ネームレスが剣を振る。
貴一はそれを弾こうと、右手の剣を振った。
貴一がぶつけた剣が弾け飛んだ。
まるで、プラスチックで作られていたかのように。
「なっ!」
貴一は驚きの声を上げる。
「魔法剣さ。あんた譲りのな」
ネームレスは嘲笑うように言う。その声は、初期の声とは違っている。声を作っていたのだろうか。なんの為に?
それを考える間もなく、貴一は二撃目への対処を求められる。
剣で防ぐことはできない。後方に回避するしかない。
その動きに合わせて、ネームレスも剣の動きを止めた。
その体が、猪のような勢いで体当たりを始めた。
貴一は押し飛ばされて、吹き飛ぶ。
どうすればいい。
運動能力は体魔術で劣っている。武器の強度は魔法剣で劣っている。
相手はまるで完璧だ。
(何者だ、この男……こんな男が五聖以外にもいるのかよ……)
貴一は戸惑いながらも、体を起こそうとする。
その頭を、ネームレスは踏みつけた。
「この光景をずっと見たかった。国王として君臨するあんたを、土の上で踏みにじってやる瞬間を。長生きはするものですな、父上」
「父上……? お前はヴィーニアスの子供なのか?」
「もうやめて、ヴィシャス!」
クリスの、悲鳴のような声が響き渡っていた。
その言葉に、貴一の心に電流が走った。
思い出すのは、あの悪夢。ヴィシャスという少年の代わりに罪を受けたクリス。
やはり、ヴィシャスは実在したのだ。
「お久しぶりですね、母上」
ネームレスは、ローブのフードを脱いだ。
そこから出てきたのは、長い耳と、緑色の髪と、ヴィーニアスとよく似た顔立ち。
「そうです。僕は、貴女のヴィシャスです。そしてお久しぶりです、父上。今、とても良い気持ちなのですよ」
そう言って、ヴィシャスは貴一の頭を踏む足を捻る。
体魔術も加えた重圧だ。貴一の頭は軋みをあげる。
「やめて、ヴィシャス! 貴一は関係ない! ヴィーニアスとは違うのよ!」
「父上が寄性しているのは間違いではない。僕の復讐対象の一つだ」
「クリス、ぐっ。本当なのか?」
貴一は痛みに堪えながらも、クリスに問う。
クリスの顔や動作は見えぬが、声が返って来た。
「そう。その子は私とヴィーニアスの息子。ヴィシャスよ」
貴一は衝撃を受けた。
ヴィーニアスの魔法剣。クリスの体魔術。その二つを併せ持つ存在がいるとしたら、それは最強ではないか。
「貴一の頭から足を退かしなさい、ヴィシャス」
低い声で、クリスは言う。
「何故、貴女が味方をするのか理解に苦しみますな、母上。所詮貴女も、母親である前に女ということか」
「貴一は関係ないわ。貴方がやっていることは八つ当たりよ」
必至に、クリスの方に視線を向ける。
クリスは白銀の槍を呼び出して、構えたところだった。
「貴女に、僕が倒せるかな」
「悪さする子にお灸を据えるのは母親の責任よ」
「やめろ!」
声がした。
貴一の声でもない。クリスの声でもない。ヴィシャスの声でもない。
ヴィーニアスの声だ。
「親子で争うものではない……」
ヴィーニアスの声に戸惑うように、ヴィシャスは足を退かした。
そのうち、舌打ちを鳴らして、ヴィシャスは貴一をクリスの傍へと蹴飛ばした。
「連れて帰るがいい。この勝負は、僕の勝ちだ」
苦々しげにヴィシャスは言う。
蹴られた腹部の痛みを堪えながら、貴一はその言葉を聞いていた。
「久々に会えて嬉しかったです、母上」
そう言うと、ヴィシャスは黒いローブのフードを目深にかぶって顔を隠した。
雨が降り始めた。
強風による横殴りの雨。
誰もなにも言えずに、その場に立ち尽くしていた。
次回『三つの誤算』




