記憶だけは美しいがままで2
「言っておくことがある」
ザザは、別れ際そう言った。
その視線は、貴一をまっすぐに見ていた。
「俺に、なにか?」
「次の町での戦い。それは君への試練の場だ。君は今までにない窮地に身を投じることになるだろう」
「具体的に言ってくれよ、ザザばあ。思わせぶりなのはザザばあの悪い癖だ」
哲也が不平を言う。
「くくっ、自分で確認したほうがいいこともあるということさ。突然に語られても情報量に戸惑うケースもあるだろう」
「まあ、わからんでもないがな……」
「覚悟してかかりなさい、ヴィーニアス。君は、狙われている」
そう言って、ザザは空間を閉じた。
気がつくと、貴一達は入り口の鳥居の前に立ち尽くしていた。
「凄い腕の結界師がいたものだな」
隆弘が、車から感嘆したように言う。
「目的地は決まった。帰ろう」
貴一はそう言って、車に乗る。
全員が乗車すると、車はゆっくりと走り始めた。
(試練、か……)
今までの戦いも十分に試練だった気がする。それを超える試練が待っているのだろうか。
貴一は、遠くの空を見た。
空は、こちらの気持ちなど知る由もなくとても青かった。
(頼むぜ、ヴィーニアス)
心の中のヴィーニアスに声をかける。
返事は、なかった。
そして、旅立ちの日がやってきた。
空は満天の星空だ。
共に戦った仲間達が、陰陽連の施設前に見送りに出る。
「この地は、任せました」
貴一は言う。
「おう!」
「任せてくださいヴィーニアス王!」
「残った残党は我々が処理します!」
力強い返事が響く。
「まあ、俺も俺なりに善処はするよ」
藤吾は、そっぽを向いたが、そっけなくそう言った。
「趣旨替えしたようじゃないか、藤吾」
「うるせえよ、灯」
「シルカ派とセレーヌ派で争わぬようにな」
哲也の一言で、憑依者達は身を縮こまらせた。
「ヴィーニアス!」
灯が、一歩前に出た。
その姿が、変身を遂げる。桃色の髪に絵の具の白のような色の肌。シルカだ。
「ヴィーニアスと、話させてくださいませんか」
シルカは、懇願する。
「ちょっと待ってくれ。起きるか、試してみる」
(ヴィーニアス、起きろ。シルカが別れを言いたいと言っているぞ)
(シルカ……別れ……)
ヴィーニアスが目覚めた。貴一は微笑んで、体のコントロールを放棄する。
ヴィーニアスが、表に出ていた。
シルカは、右手でヴィーニアスの手を取り、彼の後頭部に左手を添える。
「ヴィニー、言葉はいりません」
シルカは、そこで言葉を切った。
緊張しているのが、目に見えて分かった。
彼女の目尻には、涙が浮かんでいる。
「私を、愛していましたか?」
ヴィーニアスは、黙って、ただ彼女の視線を受け止めている。
寂しげな、切なげな、そんな表情をしているように貴一には感じられた。
シルカはしばらく強張った表情をしていたが、そのうちそれが緩んだ。
ヴィーニアスの表情も緩む。
彼女は、微笑んで泣き始めた。
「そうですか。ならば、私は告げます。貴方を、愛していると」
唇と唇が、触れた。
周囲に殺気が漂い始めたのを貴一は薄っすらと感じて背筋が寒くなる。
シルカは、顔を離すと、涙を拭った。
「ここは私にお任せください。ご武運を」
「ああ、頼んだ」
そう言って、ヴィーニアスはシルカの頭を撫でると、貴一に体のコントロールを返した。
「すまんな、すぐ寝る奴で」
「いえ」
シルカは、胸に手を置いて首を横に振る。
「私達は、百の言葉に勝る声を交わしたのです。私は、満足です」
その視線が、沙帆里に向けられた。唖然としている沙帆里に、シルカは悪戯っぽく微笑んで見せる。
「精々頑張ってね、ちんちくりんさん」
「あんたはいつか殴るわ」
沙帆里は低い声でそう言うと、拗ねた様子で車に乗った。
皆、車に乗っていく。
貴一は、最後にシルカの手を取った。
「ありがとう」
「いえ、楽しかったですよ。騒がしくて、お祭りみたいで。けど、どんなお祭りにも終わりがきます。貴方達の旅にも」
シルカは、貴一の手を握り返した。
「今度は、悔いを残さぬように」
「わかった」
今度は、と彼女は言った。ならば、ヴィーニアスの旅は悔いが残るものだったということなのだろうか。
しかし、彼の妃として活動したシルカに、そんな失礼なことを訊けるわけもない。
二つの手が、離れた。
貴一は去っていく。しばらくの時間を過ごした陰陽連の支部を。
そして、一行は道の駅で降ろされた。
「ご武運を」
そう言って、貴一達を運んできた車は去っていく。
貴一達は、美鈴から借りた車に移動した。
「なんだか、夢でも見てたような気分だな……」
貴一はぼんやりとしながら呟く。
「そうだな。今までと全く違った環境に身をおいたわけだからな」
運転席の哲也が、そう言ってピピンに変化する。
「シルカの奴は一回殴るわ」
沙帆里は助手席でセレーヌに変化して、低い声で言う。
「最後、シルカの奴はヴィニーの記憶を読んでたな。なにを思ったんだ? ヴィーニアス」
ピピンが振り返って訊いてくる。
貴一は、あの時脳裏に蘇ったヴィーニアスの思い出を思い返していた。
+++
それは、遥か過去、別の世界での話。
「祭りに興味はあるか?」
ある日、城内でヴィーニアスにそんなことを訊かれて、シルカは戸惑った。
興味がないと言えば嘘になる。
今日は収穫祭。城下町ではいくつも屋台が出て、飲めや歌えやの大宴会になる。
素直に、あると答えた。
「そうか。じゃあ、覚悟をしておけ」
そう言って、ヴィーニアスは子供っぽく微笑んで去っていった。
その頃、シルカは立派な女性になっていた。気になるのは、いつヴィーニアスが妃にしてくれるかということ。
もしや嫁に出されるのだろうか。
そんな不安を抱えて、シルカは日々を生きていた。
ヴィーニアスはそんなシルカの気持ちも知らずに、いつも子供っぽく微笑んでは悪戯を提案する。
まるで子供の遊び相手扱いだった。
夜になった。
シルカは部屋に光が差したのを感じて、恐怖した。
誰かが部屋に忍び込んできた。けど、厳重な警備を越えて一体誰が?
ヴィーニアスから貰った護身用の短剣を鞘から抜いて、侵入者に駆け出す。
「待て、待て、俺だ」
その声で、相手がヴィーニアスなのだと知れた。
「この服に着替えろ。俺は、ロープをバルコニーに縛り付ける」
そう言って手渡されたのは、目を凝らして見ると町娘の服だった。
「これは?」
「行くんだよ、収穫祭にな!」
シルカは驚いた。
「えええ、城を抜け出すの?」
「門番には言い含めてある。手筈は万端だ」
そう言って、ヴィーニアスは子供のように微笑んだ。
夢のような夜だった。
ヴィーニアスと二人きり、人混みに揉まれて、酒を飲んで、肉を食べて。
そして、穴場とされるスポットで二人で篝火を見た。
ヴィーニアスはなにを思っているのだろう。
そんな不安に、シルカは泣きそうになる。
自分は子供としか思われていないのではないか。そう思うと、悲しくて仕方ないのだ。
ヴィーニアスが地面においている手に、縋るように手を重ねた。
「なあ……」
ヴィーニアスが、不意に口を開いた。
「なに? ヴィニー」
「俺の、嫁になるか?」
シルカは、呼吸を忘れた。
目が潤む。頬が熱くなる。大きく息を吸って、ヴィーニアスに抱きついた。その勢いで、二人は草原に倒れ込んだ。
「なる! ヴィニーのお嫁さんになる! ヴィニー以外は嫌だ!」
「そうか。なら、いい。お前のひた向きさを、愛しく思っている」
そう言って、ヴィーニアスはシルカの頭を撫でた。
二人の視線が交差する。
そして、両者の顔が徐々に近づき始めた。
唇と唇が重なった。
それが、二人がそれから何度も交わしたキスの最初の一回。
それはもう記録にも残っておらず、他の人々には忘れ去られた過去の話。
ヴィーニアスは忘れなかった。
シルカも忘れなかった。
だから最後に、想いは通じた。
次回から第三章『琵琶湖攻防戦編』となります。