束の間の休息
町を見下ろせる見晴らしの良い景色に貴一は心躍らせる。
二条城に、貴一達は来ていた。
「本能寺の変の時、嫡男の織田信忠は二条御所に篭ったわ。そしてそこで腹を切った」
静が珍しく、率先的に口を開いた。
「信忠って息子がいたんだな」
「そうよ。既に織田家は信忠に継承されていた。信忠さえ生き延びれば、秀吉の跳梁もなく、織田家が天下を統一したでしょうね」
「へえ。けど、そんな重要な場所なら厳重に攻められていたんじゃないか?」
「それがね。何人も二条御所から逃げ延びた人がいたのよ。中には関ヶ原の戦いで戦功を上げた人もいる」
「へえ」
「逃げようとして見つかって殺されたならそれは恥だ。父の作った織田家に泥を塗ることになる。そう、信忠は思ったのかもしれないわね」
静は遠くを見ている。
「父の背を意識する息子は困ったものだと思わない? 自分の人生を生きればいいのに……」
誰のことを言っているのだろう。静の表情は、どこか寂しげだ。
「ここがその舞台?」
「違うわ」
貴一は肩透かしをくらったような気分になった。
「二条城は時代によって色々とあるの。ここは、徳川家が作った二条城。それでも、年代物だけれどね」
「あー!」
沙帆里が大声を上げる。
「二人でなにやってるのよ!」
そう言って、彼女は駆けてくる。
「別に。歴史談義をしてただけ」
「へえ。誰について?」
「織田信忠」
「知らないわ」
「森長可の上司よ」
「知らない」
「ここでシルドフルに襲われたら大惨事だな」
どこから現れたのか哲也が会話に混じってくる。
三人共、驚きに肩を震わせた。
「気配を消して近づくのはやめてくれ……」
「すまんな。俺も多少過敏になっててな」
「うん……」
シルドフル。圧倒的な強敵。五人で戦っても勝てるかは危うい敵。
「本当に出かけてきて良かったのかな」
貴一は遠くの景色を見ながら、呟く。
「夜しか来ないらしいし、隆弘さんが大丈夫だって言ったんだから大丈夫だろ」
哲也が投げやりに言う。
「あれ意地はってるだけだと思うけどな」
「俺もだ。陰陽師にどんな奥の手があるのかは知らんが、近接戦では我ら憑依者が圧倒的に分がある。しかし、だ」
哲也は、肩を竦める。
「張り詰めていても仕方ないだろう」
「皆、ジュース買ってきたよー」
そう言って恵美里が駆けてくる。
その後ろを、悠々と灯が歩いてきた。
「次は京都国際マンガミュージアムでも行くかぁ。時間があればユニサーバルスタジオジャパンも行けたんだけどな」
「俺、甲子園行きたい」
と哲也。
「流石に京都を出ると戻るのに時間がかかるんだ」
灯はいつものなにを考えているのかわからない表情で、手をひらひらと振る。
「いくぞ、小僧ども」
そう言って、灯は歩き始めた。
息子。
引っかかる言葉だった。
ヴィーニアスには、息子はいたのだろうか。
+++
また、夜がやってきた。
破壊を免れて残った屋根の一部の上に、貴一達は立つ。
張り詰めた空気が、周囲には漂っていた。
「来ないな……」
貴一は、呟く。
「怖気づいたのよ」
と、セレーヌ。
「そんなわけないわ」
恵美里が言う。
「弱点を見つけたって誇って帰ったんだもの」
「ハッタリだったとしたら?」
セレーヌの切り返しに、恵美里は黙り込む。
「フル・シンクロはできないのか? 恵美里」
そう訊ねたのはピピンだ。
「……できない」
恵美里が、小さい声で答える。
「前々から聞きたかったんだが、なんでだ?」
「それは、その……」
恵美里の声はますます小さくなる。
「俺も気になるな。憑依霊が目覚めた憑依者は皆、フル・シンクロできている」
貴一も訊ねる。
「オッサンの体になるのが嫌なの!」
恵美里は、やけっぱちになったのか大声で言った。
「胸毛とかすね毛とか生えるのはゾッとするし、一物がつくなんて考えられない! 私は女なの! 男じゃないの! その精神的な抵抗感が障害だろうってヴァイスは言ってる!」
「えー……」
静寂が漂った。
そんなつまらない理由なのか、と言いたげな男性陣。
わかる、と言いたげな女性陣。
「漂流者殿は呑気と見える」
隆弘がぼやくように言う。
「私にとっては大問題なのよ!」
「私も胸毛がワシャワシャ生えるのは嫌だなあ……ヴァイスは男臭かったもんなあ」
と、クリス。
「そうなのよ。まだ細身な美青年なら考えんでもないわ。けどヴァイスって筋骨隆々とした巨漢じゃない?」
「美青年ならなってみたいね。女の子を口説くんだ」
「ああ、それはわかる」
「私はわかんないわ。女が女を口説いてなにが楽しいの?」
とはセレーヌ。
「お嬢さんを華やかせるんだよ」
とクリス。
周囲は置いていかれて、すっかりガールズトークになってしまった。
「やれやれ、本格的に漂流者殿は呑気だ」
隆弘は、溜息を吐いた。
その手は、地面に置いた霊符に添えられている。
「さっきからあんた、なにしているの?」
クリスが問う。
「朝からずっと気を練っている。あのデカブツに一撃食らわせてやるためにだ」
「へー。陰陽連の面目を保とうってことかしら」
「どうとってもらおうとかまわん」
なんとなく、沈黙が漂う。
いつしか、気が抜けたような空気が周囲には漂っていた。
結局、この夜、敵は来なかった。
兵が減ったからだろうか、と皆は結論づけた。
ならば、今も敵は兵を増やしているのだろうか。ぞっとしない話だった。
+++
貴一とシルカは、陰陽連内部の通路を並んで歩いていた。
寝る時にシルカが手を繋いでくれていると気が安らぐ。そんな事実に、縋っている貴一がいた。
その前に立ちはだかったのは、恵美里、静、沙帆里だ。
「今日は私が代わるわ、シルカ」
沙帆里が言う。
「沙帆里も駄目。男女七歳にして同衾せず。日本の言葉よ」
と、静。
「私は見物人」
と、恵美里。
シルカはしばらく黙っていたが、そのうちひとつ手を叩いた。
「それではどうでしょう。皆で一緒に寝るということで」
沈黙が漂った。
静と沙帆里はお互いの出方を疑っている。
「楽しそうじゃない?」
そう言ったのは、恵美里だった。
かくして、狭い一室で五人が一緒に寝ることになったのだった。
ベッドの上には沙帆里と貴一。ベッドの横には貴一の手を握ったシルカ。その横に静と恵美里が床で寝ている。
「静かにして、明日に備えましょう。けっして、はしゃがないように」
そう言ったシルカの顔に、枕がぶつかって落ちた。
沙帆里が目の下を人差し指で引いて舌を出す。
「あんたの指図に従うかっての」
「……セレーヌ。あんたがそうだから私達の仲は拗れたんだわ」
シルカが呆れたように言う。
恵美里と静は、会話に興じているようだ。
「なあ」
貴一は、布団とシルカの手の温もりに安らぎを感じながら、口を開いていた。
「ヴィーニアスには、息子がいたのか?」
空気が凍った。
なにか自分は地雷を踏むようなことを言ってしまっただろうか。貴一は、戸惑い、焦る。
「いや、ちょっと気になって聞いてみただけっていうかだな」
表情の抜け落ちた顔をしていたシルカが、苦笑するように微笑んだ。
「何人もいましたが、特筆すべきことがあるとすればセレーヌとの間に娘が、私との間に息子がいて、後継者争いをしていました。結局、セレーヌの娘が後を継ぎ、女王となって国を守りました」
「そっか……どこかに、いるのかな」
「五聖でもない私がいるのです。どこかで目覚めているのかもしれませんね。この、狭い日本のどこかで」
日本が狭い? 相対的に考えれば確かにそうかもしれない。けど、人一人が旅をするには、十分に広い。そう、貴一は今日の京都観光で実感した。
まだまだ、見ていないものがある。
旅のことを思うと、少し心が安らいだ。
そのうち、貴一は、眠りの中に落ちていった。
「母さん! 母さん!」
少年の叫び声がする。鉄が擦れ合う音が周囲に響き渡っている。
薄暗い部屋の中で、炉の炎が燃え盛っている。
「大罪人ヴィシャスの母、クリスよ。これまでの国の多大な貢献に免じて、本来なら断頭のち晒し首のところを、咎人の印をつけるだけに留める。罰を代わりに受けるというそなたの申し出も許可しよう」
ヴィーニアスは無感情に紙に書かれた文章を読んでいる。
「ありがたき幸せ」
クリスは俯きながら、淡々とした口調で言う。
「咎人の印を」
炎の中から、真っ赤に熱せられた鉄が引きずり出される。
クリスの瞳が、一瞬恐怖に震えた。
ヴィーニアスは、目を逸らした。
熱せられた鉄がクリスの左手の肉を焼き、刻印をつけた音が、周囲に響き渡った。
貴一はその光景のショックで、目覚めた。
目の前には、灯の顔がある。
貴一の手を掴んだまま、寝入っている。
なんだか女だらけの部屋に男が一人。落ち着かないものがある。
今の夢はなんだったのだろう。
夢にしては、あまりにも生々しすぎた。
「どうしたの? 貴一」
灯が目を開く。起き続けていたようだ。
「いや……変な夢を見た」
「どんな夢?」
記憶はおぼろげで、徐々に煙のように拡散して薄まっていく。
しかし、あの肉が焼ける音は忘れようがない。
「俺はクリスを捕まえて、その左手に咎人の印をつけるんだ……」
灯ははっとした表情になったが、そのうち目を細めた。
その顔がシルカに代わり、貴一の体を抱きしめる。
「悪夢を見たんだね、ヴィニー」
貴一の後頭部を、シルカが二度軽く叩く。
「大丈夫だよ。ここはもう、貴方が王である世界ではないのだから……」
ヴィーニアスの犯した罪と罰。
それは一体なんだったのだろう。
シルカの温もりを感じながら、貴一は母に抱かれる子供のように寝入った。
翌日、朝食に向かう際に、静を掴まえる。
「なあ、ちょっとクリスに用事があるんだけど」
静は怪訝な表情をしたが、すぐにクリスを表に出した。
「はあい、貴一。どうしたの?」
問答無用で左手を取り、その甲を見る。刻印は、ついていない。
貴一は、胸を撫で下ろした。
「なんでもない。ちょっと悪夢を見たんだ」
「……そっか」
クリスは苦笑すると、すぐに静に戻った。
「今日もカレーじゃないでしょうね」
前を灯と共に歩く沙帆里が、言う。
「三日連続カレーの日とかあったなあ」
灯はとぼけた調子で言う。
「昨日の女子会楽しかったね、静」
「そうだね、恵美里」
二人組が二組と一人ぼっちの貴一。
(哲也早く合流しないかなあ……)
そんなことを思いながら、貴一は足を進めた。
次回『貴一争奪戦』
来週更新になります。