兆し2
「ガハハ、お前みたいなお坊ちゃんが護衛志望だと?」
巨漢が屈み込んで顔を覗き込んでくる。
幼いヴィーニアスは屈することなく胸を張る。
「そうだ。僕は、貴方達旅芸人の護衛をしたい」
「ほうほうほう……」
責任者らしき細身の男が、驚いたように言う。
「貴方の肩に乗っている妖精。それならば一員に加えないことはないがね」
妖精クリスティーナは目の下を人差し指で引っ張るとヴィーニアスの背後に隠れてしまった。
「実力を疑うのか?」
ヴィーニアスは、不服だとばかりに鞘に収まった剣を掲げる。
「それはそうだお坊ちゃん。世の中はそういう風にできている。大人が信頼されるのさ」
「そのセオリーから外れる奴もいるがね」
その子供の声と同時に、風を切る音がした。
ヴィーニアスは抜刀し、飛んで来たナイフ三本を叩き落とす。
「ほう」
責任者らしき男が目を丸くする。
「どうだい。俺達兄妹と対決して勝てば、そいつを入れてやるってことで」
薄暗がりから、少年と少女が出てきた。少年の影に、少女は隠れている。少年の手には、まだ何本ものナイフがあった。
「ピピンか。まあ、そういう余興も悪くはないかな」
「ヴィニー!」
クリスティーナが耳元で囁く。
「あの女の子はなんかヤバい。纏っているマナが独特だ。魔法使いだよ、あれは」
「そうか……あれが魔法使いか」
ヴィーニアスは無感情にそう言っていた。
一人で、生きていかなければならない。
五体を使い、技量を使い、世界の神秘を探さなければならない。
ならば、魔法使いの一人や二人、倒してみせるのが道理。
ヴィーニアスは、ゆっくりと剣を構えた。
そこで、貴一は夢から覚めた。
(また、あの夢か……)
起きるとベッドの上だった。カーテンの隙間から日光が差し込んでいる。
寝間着の貴一はシャワーを浴びて着替えると、朝食をとり始めた。
「あんた、ゆっくりしてて大丈夫なの?」
スーツ姿で新聞紙を読んでいる母が、対面の席で胡散臭げに言う。
「今日は練習ないぜ」
「そうじゃなくて、お花見」
「あ……」
食べかけていたパンを慌てて口の中に押し込む。
そして、外へと駆け出した。
晴天が貴一を迎え入れる。その下を、ただひたすらに、駆けた。
辛うじてバス時間に間に合う。
集合場所では静と哲也が待っていた。
「おう、貴一。遅かったな」
「悪い。また変な夢見てさ……ちょっと寝ぼけてた」
「またかよ。大丈夫なのかよ、それ」
「行くわよ」
静は、冷たいトーンで言って、前を歩き始めた。
「私達の役割はジュースの確保。店の袋は破れるかもしれないから各々レジ袋を用意すること」
貴一は黙り込む。
「まさか忘れた人はいないわよね?」
静は振り返り、冷たい視線を貴一に向ける。
貴一は、胸が締め付けられるような思いになった。
「ごめん、変な夢見て、ちょっと忘れたっていうか……」
静は鼻をひとつ鳴らすと、レジ袋を一枚貴一に投げてよこした。
「あ、ありがと……」
「行くわよ」
静は声を聞くこともなく前を向くと、どんどん先を歩いて行く。
「どうしてあんなに嫌われてるんだ、お前?」
哲也が疑わしげに囁いてくる。
「知らないよ。高校に進学してからなんか嫌われてんだ」
「セクハラでもしたか?」
「するかよ!」
思わず、大声が出た。
静が立ち止まり、振り返る。
「忘れ物はする。遅刻はする。その癖、元気は人一倍ね」
吹雪のように冷たい視線だった。
貴一は思わず、息を呑む。
静は再び前を向いて歩き始めた。
「これ以上憎まれませんように」
祈るように貴一は呟いた。
「そりゃー無理だな。女子って一度無理ってなったら絶対無理だから」
「こういう時は励ますんだよ!」
「生憎捻くれた性分でね」
哲也はそう言って、愉快そうに笑った。
たまったものではないと思う。
その日、大きな公園で、草原を囲む桜の木を眺めながら、花見をした。
「いきますよー! かんぱーい!」
大学生の湯野美鈴が乾杯の音頭を取る。
応じる声が重なり、皆、手に持ったコップを掲げた。
湯野美鈴は変な人である。
人脈お化けの異名を持つことからもわかるように、彼女の人脈は不可思議だ。
ここに集まったのも、子持ちの主婦からサラリーマン、大学生から小学生と、年齢層が均一ではない。
それでもなんとなく輪を保てるのが彼女の持つ異能だ。
「哲也、酒は飲むなよ。明日、試合だしな」
「ああ。今度から五分早くそれを言ってくれ」
「お前……」
哲也の持つコップに鼻を近づけると、非情に酒臭かった。
「大丈夫なのかよ」
「大丈夫大丈夫、明日までには抜ける」
そう言って、哲也は日本酒をあおる。
「まったく」
貴一は呆れて、自分の持っているジュースのコップを口につけて傾けた。
「飲んでないでしょうね」
あちこちをうろついて会話を弾ませていた美鈴が、微笑んでやってくる。
「いえ、もちろん」
「わかってまさあ」
哲也の反応を聞いて、よく言うものだと貴一は呆れる。
「遅くまではやらないつもりだけど、寄り道はしないようにね。早く帰るのよ」
「と言うと……?」
「最近、変死事件が起きてるらしいのよね」
美鈴は、難しい表情で腕を組んだ。
「被害者はめった刺し。犯人は未だ見つかっていない。まるで刀剣で斬られたような鋭利な切り傷があるんだって」
「はー。こんな田舎に似つかわしくない大ニュース」
「なんでかニュース番組で取り上げられないのよねー」
そう言って、美鈴は手を振ると他の人に声をかけにいった。
「変死だってさ」
「怪談めいてきたな」
「今、春だぜ」
「夏頃には怪談になってるだろうよ」
「そうかもな」
子持ちの主婦と楽しげに話している静に視線を向ける。
なんであの笑顔が自分には向かないのだろうな、と貴一は考えたが、答えが出なかったので、視線を逸してジュースを飲んだ。
+++
「ヴィニーが目覚めかけている」
暗い廃工場だった。
残された鉄骨に腰掛けている制服姿の少女が、呟くように言った。
長い髪も、制服も、闇に溶けるような黒い色をしていた。
「そうか……」
サラリーマン風の男が、戸惑うように眼鏡の位置を修正する。
「ピピンとセレーヌは?」
そう言ったのは、いかにも重役といった出で立ちの初老の男性だ。
「私とは縁がない。だから、探れない。クリスは既に目覚めているわ」
「五聖にも目覚めたものが出始めたか……」
溜息混じりに、初老の男性が言う。
「ヴィーニアスの宿主は探れるか?」
「あの学校に、近づくことが許されるのならば」
「それは、面白くないことになりそうだな」
少女が、不思議そうに片眉を上げた。
「それはまだ、信頼されていないということ?」
「そなたの属性は善だ。善のものは善に還る。私は嫌というほどそんな展開を見てきている」
「ふうん……」
少女は、興味なさげに視線を逸らすと、優雅に頬杖をついた。
「今日の集会はここまでだ。各々、散って今後の対策を練ろう」
「長老さんは?」
少女が、揶揄するように言う。
「少し狩るさ。リビングデッドドールも集まって一石二鳥だ」
そう言って、初老の男性は肩を竦めた。