最強の剣士
その日、書物を抱えてヴィーニアスは王宮の中を歩いていた。
「ヴィニー、上機嫌だね」
クリスが戸惑ったような表情で声をかけてくる。
ヴィーニアスは悪戯っぽく微笑んだ。
「聞いて驚くなよ」
「うん、準備はいいよ」
子供の悪戯を待つかのようにクリスは苦笑した。
「ヴァイスの残した書物が発見された。これでヴァイス流剣術の最終奥義を体得できる」
「豪覇光帝陣?」
「読んだんだけど、実践できそうだ。今までの修練は、無駄じゃなかった」
「そっか。ますます護衛役なんていらなくなっちゃうね」
そう言って、クリスは肩を竦めた。
「いなくなられると困る」
ヴィーニアスは拗ねたように言う。
「開けた土地へ行こう。少し破壊しても問題がない場所へ。そこで試す。双破光帝陣を」
「……ヴィニーって結構バトルマニアだよねえ」
「修行は嘘をつかない。俺は真摯なだけだよ」
「はいはい」
クリスは楽しげに言って、前を歩いていった。
そこで、目が覚めた。短い夢だったらしい。まだ、周囲は夕焼け空だ。
今の夢はヴィーニアスからのメッセージだ。そう、貴一は受け取った。
(メッセージ、確かに受け取ったぜ。ヴィーニアス)
胸に手を置く。
(あんたが目覚めてくれたら間違いはないんだけど……やれるだけ、やってみる)
公園のベンチだった。
沙帆里が秀太に魔術を教授している。
「そうじゃないの。剣に生気を送る感じで。双破斬も豪覇斬も一種の魔法よ。剣に人生を捧げた貴方ならそれを可能とする素質があるはず」
「こうか?」
秀太が剣を振りかぶる。
沙帆里は呆れたように首を横に振った。
「ポーズだけね」
「魔術なんて使ったことがないからわからん」
秀太は投げやりに言う。
「けど、ヴァイスとの決戦に参加するって決めたのは貴方でしょ。いいからやる」
「むー……」
唸りながら、秀太は剣を構える。
「なんか懐かしいね、この感じ」
隣りに座っていたクリスが、苦笑混じりに言う。
「……こんな戦いばっかりしてたのか?」
「苦戦続きだったよ。それでも乗り越えてきた。四人の力で」
クリスは遠くを見るような目で言う。
「最終的には全員人の範疇の外に足を踏み入れちゃって、攻城兵器なんて呼ばれたりもしたけれどね」
「一投閃華で城が崩れるとは思わないけどな」
「私の本気、凄いよ?」
クリスは戯けたように言う。
「一撃で百人は殺せる」
「なにそれ槍の攻撃じゃないだろもう」
貴一は呆れてしまう。大袈裟に言っているのか本気なのかわからないのがクリスの困ったところだ。
しかし、セレーヌの氷の城は確かに人知を超えていた。あの巨大な城を一瞬で構築する魔術力。それを破壊に向ければ、どれだけのことが可能になるだろう。
豪覇光帝陣も、地面をえぐり取るような破壊力だった。
彼らは、人であって人ではないのだ。
そんなことを、あらためて実感した。
「ダウンロード」
貴一は、呟いた。
そして、双剣を両手に浮かべる。
「秀太。最終テストをしよう。俺と戦って十分もたなければ、ヴァイスとの戦いには参加させない」
「そりゃないぜ貴一」
秀太が落胆したような表情になる。
「それぐらいやってもらわなければ困るんだ。光刃系統の剣技の習得と俺相手に十分間。両方やらなければ戦力には数えられない」
「かと言って、お前一人で立ち向かうのは無謀だと思うがね」
哲也が、思案するように言う。
「だから、秀太にはやってもらう。俺は、本気でいく。しのげよ、秀太」
「わかった」
秀太は、頷いた。
「俺も、前回の戦いと今回の戦いで経験を得た。相手の実力もわかった。だから繰り返し言う。俺とお前が手を組めば、勝てない相手ではないと」
「そうだな。俺達二人なら、やれる」
貴一と秀太は、拳と拳を軽くぶつけ合わせた。
そして、両者は剣を構える。
決戦の夜まで、あと数時間だった。
+++
「ヴィーニアスと剣豪一人、二対一か。皮肉ね、ヴァイス。貴方の実力が壁となっている」
恵美里は駅のトイレで髪の毛を整えながら、呟くように言う。
(悪用されるとは嘆かわしいよ)
ヴァイスは心の中で投げやりに言う。
「で? 約束は本当なんでしょうね? 私が勝てば」
(もう追い回さないそうだ)
「そう。今はそれを信じることにするわ。まったく初戦で勝てなかったのは不覚ね」
恵美里は、トイレを出た。
人気のない町並みを恵美里は歩いていく。
(もう、やめにしないか。恵美里)
「耳にタコだわ」
(一歩を踏み出せば、世界は変わる。お前は一歩を踏み出すきっかけを待っているんじゃないか?)
恵美里は黙り込む。
(話しかけてくれたクラスメイトとかいただろう? どうして友達になろうとしないんだ?)
「同情でかけられる声に意味なんてないわ。それなら私は一人ぼっちで可哀想な私でいたほうがいい」
ヴァイスの溜息が心の中で響き渡る。
(捻くれてるな)
「育ちが悪くってね」
町の外灯がつき始めた。空が薄暗くなっている。今は、夜と夕方の狭間の時間。
「貴方の実力。思う存分使わせてもらうわ。ダウンロード!」
ヴァイスの経験や身体能力が恵美里の中に流れ込んでくる。
そして、決戦の公園に恵美里は辿り着いていた。
山奥の公園。休日でもなければ人が来ない場所だ。
そこに、今日は人が六人。
ヴィーニアスの魂を憑依させている少年と、もう一人、剣豪の魂を憑依させている少年が前に出ている。
「二対一の条件を飲むんだから、勝ったら諦めるって約束を守ってね」
ヴィーニアスの魂を憑依させている少年は、頷いた。
「ああ、約束だ」
「まあ」
恵美里は薄っすらと笑う。
「生きて返す保証はしてないけどね」
恵美里は片手を上げて炎を放った。
それが、決戦の始まりの合図だった。
+++
開幕炎。予想外のパターンの攻撃。
しかし、貴一と秀太は適切に動いていた。
周囲に散開して攻撃を避ける。
背後を気にしている暇はない。
沙帆里はクリスが保護してくれると信じるしかないだろう。
双剣を両手に生み出し、恵美里に迫る。
逆サイドからは、両手剣を持った秀太が駆けている。
「うおおおおおおおお!」
二人は異口同音に叫び声を上げた。
剣と剣がぶつかりあう音がそれをかき消す。
恵美里の大剣が一閃した。
二人は剣を弾かれて後方へ小さく仰け反る。
そして、恵美里が追撃に選んだのは、秀太だった。
秀太は跳躍して恵美里の一撃を避ける。
「撒き餌だ!」
貴一は思わず叫んでいた。
恵美里は笑った。
地面に向かって振り下ろしていた大剣の軌道が、天に向かう方向へと変わる。
秀太は空中で剣を構えてその一撃を受け止めた。
秀太の体が吹っ飛ぶ。数歩後ろによろけながらも、彼は見事に着地した。
「弱いほうを狙ったほうが、こういうのって効果的なのよね。ねえ、ヴァイス」
恵美里は笑みを崩さない。
そして、彼女は秀太に向かって駆けた。
その前に、貴一は立ち塞がった。
豪剣の一撃一撃を受け流していく。
そのうち、秀太もその作業に加わった。
恵美里の横薙ぎの一撃が繰り出される。
(力に力でぶつかるのは愚かなことだ! だよな、ヴィーニアス!)
ヴィーニアスの忠告通り、その攻撃をしゃがんでやり過ごす。
しかし、秀太はその域に体が達してないようで、一撃を受けて大きく蹌踉めいた。
それでも恵美里は追撃に移れない。
目の前に貴一が立っているから。
双剣が夕日の輝きを受けながら動いた。
それを、恵美里は弾く。
技術では相手が上。わかっていることだ。
積み重ねるしかない。
恵美里は焦れたように大剣を振り上げ、下ろした。
「豪覇斬!」
「双破斬!」
両者から放たれた光刃がぶつかりあい、衝撃波を生む。
二人は吹き飛ばされて、後方にたたらを踏んで着地した。
秀太が貴一の隣に戻ってきて、口を開いた。
「やはり、俺一人では勝てんな。圧倒的な才を持つ人間だ」
「ああ。一人では少々しんどい」
「仕掛けるか?」
「ああ」
貴一は、片手を上げた。
秀太が、その手に自らの拳をぶつける。
そして、二人は駆け出した。
豪剣が振るわれる。
秀太は吹き飛ばされ、貴一は辛うじて回避する。
そこからは、回避の時間。
焦れさせる。焦らせる。困惑させる。終わりはないのかと錯覚させる。
「貴一!」
秀太の叫び声が響き渡った。
貴一は、身を引く。
恵美里は、虚を突かれたような表情をしていた。
「豪覇斬!」
貴一の影に隠れていた秀太が唱え、剣を振り下ろす。そこから放たれた光刃が、恵美里の体を大きく後ろへと吹き飛ばした。
+++
(負ける? 私が? ありえない)
右肩から流れる熱い血潮を感じながら、恵美里は困惑していた。
憑依しているのは最強の剣士。それでも、勝てない。
どうして天は理不尽なのだろう。
自分の手の届く範囲のことも思い通りにはさせてくれない。
なら、何故作った。こんな苦しみだらけの世界に送り出した。
何故、何故、何故。
問いに答えは得られない。
苛立ちが噴出してくる。
それは、恵美里の魔力となる。
恵美里は大剣を地面に突き立て、二人を睨みつける。
「豪覇光帝陣でケリをつける。跡形も残らないわよ」
「受けて立つ」
そう言って、貴一と呼ばれている少年は双剣を振りかぶった。
恵美里は左腕一本で大剣を引く。
力を溜める。溜められるだけ溜める。そして、一撃を練りだす。
耳に痛いような静寂が、場に漂っていた。
そして、夕闇を照らす煌々しい光が輝き始めた。
「豪覇!」
恵美里は叫ぶ。
しかし、同時に貴一も叫んでいた。
「双破!」
「光帝陣!」
最後の言葉は異口同音に放たれていた。
双剣と大剣、三つの剣から巨大な光刃が放たれるのは同時だった。
二つの光は両者の中央でぶつかりあう。
「馬鹿な。至ったの? 文献でしか残されてなかった、ヴァイス流剣術最終奥義に!」
「ヴィーニアスだって死地をくぐり抜けてきた! 腕を磨いてきた! 超えたいという思いは、ここに成就した!」
眩い光が公園を照らしている。
貴一の手に、秀太の手が添えられた。
「俺の力も譲る。持っていってくれ、貴一!」
秀太の手から、魔力が貴一の体に流れ込んでくる。
均衡が崩れ始めた。
恵美里に向かって、光は突き進んでいく。
恵美里の大剣が、割れた。
そこで、光は止んだ。
大剣の切っ先が空中を飛んで地面に落ちる。
そして、貴一は、恵美里の太腿に深々と双剣の片方を突き立てていた。
「ぐっ……」
呻いて、恵美里は座り込む。
静寂が漂った。
最強の剣士は、ここに膝を屈していた。
「約束だ。君を誘うぞ」
貴一は、そう言って手を差し出す。
それを、恵美里は振り払った。
「受け入れるとは言ってない!」
「楽しいぜ。俺達と来たら。全員、仲良くできる。きっと、君に居場所を作れる」
「同情や利己主義で得た居場所なんて必要ない!」
「同情でも、利己主義でもない」
貴一は、淡々と言っていた。
思いつくままのことを言っていた。
暗い過去を背負う少女。その闇を振り払えるほどの光を自分が持つとは思えない。そこまでの人生経験を貴一は積んではいない。
けれども、声よ届けと喋り続けた。
「健気な君だから、友達になりたいんだ。もったいないと思うから、一緒にいてほしいんだ。君が君だから、俺は君を誘うんだ」
「なっ……」
恵美里は絶句した。そして、恥じ入るように視線を逸した。
「戦いは終わりみたいね」
呑気な調子でクリスがやってくる。
そして、恵美里の膝を治療し始めた。
「大剣は放して。物騒だから」
恵美里は俯いて、素直に大剣を消す。
「すぐに返事はできない。そう簡単に人を信じられるような人生を、私は送っていない」
「わかってるよ」
貴一は苦笑する。
しかし、今まで全否定だったのが、悩んでくれるようになっただけ、前進したと思うのだ。
治療が終わると、恵美里は立ち上がった。
「……楽しいかしら。友達を作るって」
「楽しいぜ。俺が保証する」
貴一はそう言って、胸を叩く。
恵美里は、苦笑した。
「お気楽ね、貴方って」
そして、戸惑うように言葉を続ける。
「まるで、光みたい」
そう言いうと、恵美里は生徒手帳を取り出してメモを書くと、破いた。それを握りつぶして貴一に渡すと、夜の闇をかき分けて、跳躍していった。
その後ろ姿を、五人で見送る。
「なんだったの? その紙切れ」
クリスが興味深げに聞く。
貴一は少し躊躇ったが、紙を開いてみることにした。
そこには、電話番号が書かれていた。
「モテモテだな、貴一」
哲也が肩を組んで囁いてくる。
沙帆里の表情がとたんに剣呑なものになった。
「なにそれ! 貴一、電話しないわよね?」
「三人目かあ……まあ前世と比べればましね」
そう、クリスが静かな声で言う。
「違うよ。俺、そんなつもりない!」
「あれは口説いてたよな」
と、哲也。
「口説いてたね」
と、秀太。
「俺はジゴロか? ジゴロなのか?」
貴一の叫び声は、虚しく夜の闇に消えていった。
+++
恵美里はスマートフォンを取り出し、画面を見つめる。
電話は来ない。
まあ、戦って数時間後だ。用件もないのにくるほうがおかしい。
恵美里は思い返す。貴一の説得を。
あんな言葉をかけてもらったのは、初めてだった。
恵美里は厄介者か、代替の効く人間でしかなかった。
それが、初めて自分を見つめてもらえた。
心に、暖かいものが灯った。
しかし、と恵美里は思う。
「ヴァイス。貴一達は倒せるかしら。この町、最後の敵に」
(俺がフル・シンクロできれば簡単に斬り刻んでやれるんだがな……)
「無理ね。私達はフル・シンクロができない。それはもう試したことだわ」
(なら、全てはヴィニー坊やが目覚めるかにかかっている。それが駄目なら)
「駄目なら?」
(まあ全滅だな)
ヴァイスの冷静な判断に、恵美里は背筋が寒くなった。
貴一の言葉を思い出す。
「健気な君だから、友達になりたいんだ。もったいないと思うから、一緒にいてほしいんだ。君が君だから、俺は君を誘うんだ」
善と悪の狭間。一人の少女が揺れていた。
次回『楽しい? デート』
来週投稿予定です。