クリスとセレーヌのお茶会
憂鬱な事柄でも処理しなければならない場合がある。
今日の佐藤静は丁度そんな感じだった。
(大丈夫なのー? クリス)
服を選びながら、心の中でクリスに問う。返事はすぐにきた。
(大丈夫って、なにが?)
気楽な調子である。迫りくる事柄に身構えていた静は肩透かしをくらったような気分になる。
(セレーヌとのお茶会。あんたら因縁の間柄でしょうが)
責めるように問う。
(まあ大丈夫だと思うよ。セレーヌお嬢ちゃんなんて歳上の貫禄には敵わないのだった)
(つっても相手も人生を一回やりつくしてるんだけどね)
(年季が違うさー。エルフは知っての通り長寿だからね)
(ハーフエルフはそうでもなかったけれどね)
返事がくるまで、しばし時間があった。
静は、迂闊な一言を悔いた。
(ごめん、無神経だった)
(んーん、いいのさ。全ては時間の流れるまま。生と死はうつろうもの)
静は知っている。飄々としたクリスの涙を。
だから、必要以上に気遣ってしまう。
相手が圧倒的に年長者だと知っていながら。
(苦労かけるね、相棒)
クリスが全てを察したように、苦笑混じりに言った。
(いいのよ。洋服汚したり破ったりしないでね)
(私、子供じゃない……)
尤もだと思ったが、静は返事をしなかった。
準備を整えると、家を出る。そして、しばらくすると、クリスの魂を前面に押し出す。
これで、静の体は静のものではなくなった。外見も青い髪に長い耳とクリスのものに変わる。
クリスは確かめるように手を開閉すると、歩き始めた。
「シャバの空気はうめーなぁ」
上機嫌に呟く。
(ただでさえ目立つ外見なんだから変なこと言わないでよ……)
「ん、悪い。気をつける」
(あんたとの付き合いも長くなるけど、未だに呑気さに呆れさせられることがあるわ)
「そう言うなよ相棒」
(定型句で誤魔化そうとしないで)
「静さあ、ちょっと細かいと思う。矯正したほうがいいよ」
拗ねたようにクリスが言う。
(おおらかじゃなけりゃ命がけの戦いに付き合わないと思うんだけどね)
「それもそうだね。まったくだ」
最初、クリスが目覚めた時。静はその戦いの記憶に戦慄した。
それに自分が巻き込まれるという事実に戸惑いもした。
けれども、今は自分の意志で戦いに一歩を踏み出している。
全ては、人類を救うため。
「あんたは立派な戦士だ、静。大好きだぜ」
(褒められても私の性格は変わらないわよ)
「まあそうだわね。ヴィニーも頑固だったけどあんたも相当頑固者だ」
(あいつと一緒にされるのは御免こうむるわ)
「まあ、静から見ればヴィニーは無責任で無慈悲な男だろうけれど」
(それ以外に評しようがあるのかしら?)
「あるよ」
クリスは、苦笑した。
「何度も言ったけど、あいつは根っからのいい奴なんだ。ただ、王として生まれてしまっただけの」
(……私は、貴女がわからない)
静は、呟いた。
クリスは苦笑するだけで、返事をしなかった。
約束の喫茶店に、約束の人がいた。
セレーヌだ。
二人で紅茶を注文し、向かい合って座る。
店員が訝しげに二人を見ていた。
それもそうだろう。青い髪にとんがった耳の女性に、金髪碧眼の女性。日本ではまずお目にかかれない組み合わせだ。
「久しいわね、クリス。誘いに乗ってくれたことに感謝するわ」
「いえいえセレーヌ。また嫌味でも聞かされるかと思ったけど来てあげたわ」
クリスは余裕の表情だ。
セレーヌはあんな仕打ちをしたというのに、クリスはまったく根に持った様子がない。
呑気なのだ、と静は思う。
それでも言葉による先制パンチを食らわせたのは、セレーヌへの苦手意識の現れだろう。
セレーヌは、動じた様子もなく微笑んでいる。
「静には何度も会ったけれど、思えばクリスと会話していなかったでしょう? ここらで、仲直りの女子会とでもいこうと思ってね」
「あんたも大概現世に毒されてるわねえ。私達女子会って柄じゃないでしょう。婆さんの井戸端会議だわさ」
「それも、そうね」
セレーヌは愉快げな表情になった。
その表情が、不意に曇った。
「あの子は、何年生きたの?」
「二百年。人間の二倍」
「それなら、純粋なエルフの貴女はより生きたんでしょうね」
「友達もいたよ。私は私で人生を楽しんだ」
「そうよね。貴女はどこに行っても溶け込む人だわ。ピピンは計算づくでそれをするけれど、貴女は天然でそれをしてしまう。妃の資質がどちらにあったかといえば、貴女にあったでしょうね」
「珍しいね」
クリスは手を組んで、その上に顎を置いて苦笑する。
「素直に、白旗上げるの」
「上げてないわ。私は私で全力でヴィニーに尽くした。子供も沢山産んで国の地盤固めに協力した。そういう意味では貴女は厄介な不確定要素でしかなかった」
「持ち上げられてるのか下げられてるのかわかんないなあ……」
「お待たせしました」
店員がやって来て、ソーサーに乗った紅茶入りのカップを二人の前に置いていく。
「どうも」
クリスが軽く頭を下げるのを見届けると、店員は微笑んで去っていった。
「まあ、お互い精一杯人生を生きたということじゃないかしら。恨み言を現世に持ち込むのはやめようぜ」
そう言って、クリスは紅茶を飲む。
暖かく、丁度飲みやすい温度だった。
「そうね。お互いそうありたいと思ってこの席をもったの」
「話が早くて助かる」
「お互い様よ」
セレーヌは苦笑して、紅茶を飲んだ。
「ねえ、気になるんだけれど。このフルーツパフェってなにかしら」
「パフェ食ったことないのー?」
「ええ。未知の食べ物だわ」
「じゃ、注文しようか。静も多少の贅沢は許してくれるでしょう」
(私の本買うためのお金……)
静は思わず不平を呟いたが、クリスは気にせぬ様子だった。
店員にフルーツパフェとパンケーキを注文していく。
静は心の中で小さく溜息を吐いた。
因縁の二人がそれで仲良くしてくれるなら安いものなのかもしれない。
「この世は楽しいわねえ、クリス」
「授業とか面倒なことは本体がやってくれるしね。ああ、そういう意味じゃあんたは二足の草鞋なんだっけか」
「……随分と沙帆里の魂を侵食してしまった。私としても心苦しいことだわ」
「正味、あんたと沙帆里の間に壁はあるの?」
「私が二人いるみたい」
セレーヌが頬杖をついて、投げやりに言う。
「地獄絵図だねえ……」
クリスはしみじみとした口調で言う。
セレーヌは疑わしげにクリスを見た。
「あんた今さらりととても失礼なこと言ったからね、クリス」
「うん、知ってる」
セレーヌは呆れたような表情になったが、苦笑した。
「そうね。あんたはそういう奴だったわ」
「どうも」
クリスも微笑む。馴染むやりとりを噛み締めるような、そんな雰囲気だった。
「それで、貴一の話なんだけど」
「ん?」
風向きが変わったな。それが、静とクリスの共通認識だった。
「今世では私に譲るんでしょうね?」
静は絶句した。
なるほど、回りくどいことをしたが、結局これが言いたかったのだ。
クリスの罪悪感を刺激し、貴一を譲れとねだる。
それがセレーヌの目的だったのだ。
「そこは本人の気持ち次第じゃない。沙帆里ちゃんだって小学生なんだし、色々出会いもあるでしょ」
「けど、私達は貴一がいいなってことで意見が一致してるの」
「それは貴女の影響を受けたからじゃない?」
「そうでもないわ。私にとって、貴一はずっと優しいお兄さんよ」
「ふーむ」
クリスは腕を組んで、考え込む。
そこに、セレーヌが追い打ちをかけた。
「単刀直入に訊くけど、静は貴一が好きなの?」
クリスは黙り込む。
「私は手札を晒しているわ。貴女も手札を晒して」
「セレーヌちゃんさー。これ、仲直りの親睦会の女子会じゃなかったの? 静を引っ込めさせたのは言質を取るため?」
「そういうわけでもないんだけどね……」
セレーヌは苦笑して視線を逸らす。
「急ぎ過ぎだよセレーヌ。恋はゆっくり熟成させるものってね。あんたとヴィニーが結ばれたのだって、十年以上時間がかかったことだったでしょう」
「今の子は早いのよ」
「そういうもんかねえ……」
クリスは疲れたように溜息を吐く。
耳に痛いような静寂が二人の間を包んだ。
まるで真剣勝負のように、二人は互いの顔を見つめている。
「お待たせしましたー」
パンケーキとフルーツパフェが運ばれてきた。
「一時休戦」
クリスが表情を崩さずに言う。
「賛成」
セレーヌは、目の前のフルーツパフェに興味がいったようだった。
その辺り、沙帆里の影響も受けているのかもしれない。
+++
クリスの手腕でセレーヌを煙に巻いて、結局不可思議なお茶会は終了した。
帰りの途中で、クリスは疲れたと呟いて静に体を返した。
静は一人、帰り道を歩く。
思い出すのは、中学生の時。
静は、男子に本を取られてからかわれていた。
よりによって、その日持ってきていたのがボーイズラブのケがあるものだったから、挿絵でも見られた日には中学生活が終わるかとすら思った。
その時、それを止めてくれる人がいた。
「やめろよ」
貴一だった。
「静は俺の幼馴染だ。からかうなら俺が喧嘩を買うぜ」
そう言って、貴一は静のために怒ってくれたのだった。
その記憶を思い出すと、静は自然と微笑んでしまう。
心の中心が暖かくなる。
それから、自然と貴一を目で追うことが増えた。
野球をしている彼は、いつも活躍していて、とても格好良かった。
(結局好きなんじゃん)
クリスがぼやくように言う。
「そんなんじゃない!」
静は、思わず叫ぶ。
通行人がぎょっとした表情でこちらを見た。
「ああ、いや、骨伝導マイクのスマートフォンで通話中なんです」
しどろもどろになりながら言い訳すると、なんとか言い包められたようで相手は去って行った。
「そんなんじゃないけど……嫌いではないかな」
小さな声で呟く。
胸が苦しくなる。この感情はなんだろう。
(そう。横からかっさらわれないように精々気をつけるのねー)
「だから、違うってば」
(恋の要は急襲よ)
「だから、違うんだってば……」
なにが違うんだろうと思う。
けれども、違うことにしておいたほうが楽だから、静はそうする。
頭上を見上げると、とても綺麗な青空が広がっていた。
明日は良い日になりますように。そう、静は祈った。
+++
「アジトが見つかってから随分経った。君から連絡を貰えるとは思わなかったよ」
夕焼け空の駅で、男はそう言って、黒い長髪と制服をした少女に札を数枚渡す。
少女は座っていて、鞄を膝の上に置いていた。
「そろそろ動こうと思ってね。積み上げたものを崩される瞬間。その瞬間を見るのが私の愉悦なの」
「そうか。狙うは、各個撃破かい?」
「クリスティーナは、話を伝え聞く限り正面切って戦うには少々厄介だわ。貴方の方が相性がいいでしょうね」
「ならば狙いは?」
「要たる国王ヴィーニアス」
そう言って、少女は立ち上がった。
「今夜にでもやるわ」
「そうか。吉報を期待している」
「天からも見放された私達が、天を逆に見放す。爽快じゃないの」
少女は、口元が緩むのを堪えきれぬ様子だった。
次回『絶望はいつだって目の前にある』
今週は四話投稿します。