魔剣3
校門を出ると、沙帆里が待っていた。ランドセルは背負っていない。家に置いてきたのだろう。
「やあ、貴一」
「よう、沙帆里」
「井上君妹さん? 可愛いね」
通りすがりの女生徒が声をかけてきた。
「ああー、哲也の妹で」
「妻です」
沙帆里がスカートの両端を小さくつまんで礼をする。
空気が凍った。
「貴一の妻の、沙帆里です」
「沙帆里いいいいいいい!」
貴一は慌てて沙帆里の口を塞ぐ。
女生徒は、心底軽蔑したような表情をして去って行った。
生暖かい感触を覚えて、貴一は手を引っ込めた。甘噛みされたようだった。
「俺の世間体も考えてくれよ」
甘噛みされた手を振りながらうんざりした気持ちを隠さずに言う。
「いいじゃない。前世じゃ私達夫婦だったんだから」
「前世じゃないよ。どこから飛んできたのかわからない憑依霊だ」
そうぼやいて、歩き始める。まず、家に鞄を置いてこなければならない。
沙帆里は駆け足でついてきた。
「哲也を迎えに来たんじゃないのか?」
「ううん。貴一と喋りに来た」
「そっか」
「二人きりの時間あんまりとってもらえないからね。静も哲也もそういう面は疎いわ」
「いや、そういう面で君とセットになった覚えはないんだが……」
沙帆里はまじまじと貴一の顔を見る。
そして、胸を張るとその中央に手を当てた。
「私、将来有望よ。美人になることは間違いないわ」
「まあうん、そうだろうな。可愛らしいよ」
「胸だってきっと大きくなるわ」
「まあうん、そうだろうな。頑張って育ってくれ」
「なら、嫁で問題ないわね」
「……婚姻届出す時は相談してくれな」
貴一は溜息を吐くしかない。
「あら、結婚おめでとう」
背後から嫌味っぽい声がした。
静だ。
貴一は振り返り、戸惑いの声を上げる。
「いや、結婚なんかしてないぞ」
静は胡散臭いものでも見るような表情をしていた。
沙帆里が貴一の腕を絡め取る。
「ありがとう。私、幸せになるわ。クリス」
「えー、私の見えないところで延々いちゃついててくださいな」
そう呆れたように言って、静は去って行く。
「誤解だ! 誤解だ、静!」
追いすがるように貴一は言う。
「準備して予定の時刻に間に合わせてね。それまでなにをしているかは知らないけれど」
「なにもしないって! ちょっと、静さん?」
「サイッテー」
呟くと、静は早足で去って行ってしまった。
「ああ、もう……」
貴一は顔を覆ってその場に座り込んだ。
「貴一、静のことが好きなの?」
「フツーに好きだよ」
惹かれている、という仄かな思いはある。
「あら、意外に素直」
沙帆里は貴一の手を話すと、顎に人差し指を当てて、しばし考え込んだ。
「私は二番でもいいわよ」
「お前の頭は年中桃色かよ……」
貴一は呆れるしかない。
「前世でもそうだったからね」
そう言って微笑んだ沙帆里は、どこか気丈に振る舞っているように見えた。
「沙帆里?」
「一旦帰るね。集合時間に会いましょう。じゃあね、貴一、ヴィニー」
そう言って、沙帆里は元気に手を振って去って行った。
「なんだったんだ……」
嵐のような女、沙帆里。というよりは、セレーヌか。しかし、その属性は水なのだそうだった。
「今日だけで変な噂がたつことは間違いないな」
立ち上がって、情報を整理する。ろくでもない現実を突きつけられたような気分だった。
溜息を吐いて、家に帰った。
家に帰ると、貴子が丁度出るところだった。
「お母さんのお見舞いに行くけど、お兄ちゃん来る?」
「いや、今日は宿題が沢山だ。ちょっと、そっちに集中しようと思う」
「わかった。じゃあね」
部活を休んで母の見舞いを優先させている。できた妹だと思う。
だから、妹だけは心配させてはならないのだ。
そう、貴一は思った。
+++
夜、ハシゴを使って家を出る。
約束の公園には、哲也、静、沙帆里、秀太が待っていた。
「本当に、今日で意識が飛ぶ件は解決するのか……?」
秀太は、恐る恐るといった感じで問う。
「ああ、任せとけ。俺は嘘はつかない」
嘘だった。自信はない。ただ、秀太に憑依した霊の思い残しを晴らすだけだ。
哲也が耳打ちしてきた。
「もしも状況が不利だと見たら俺達は即座に一斉攻撃に移る。その時は、巻き込まれないように立ち振る舞ってくれ」
「ああ。お前は本当に抜かりないな」
苦笑するしかない。哲也は本当に参謀ポジションだ。ピピンの影響なのかもしれない。
「じゃあ、やろうか」
雲が、月を隠した。
秀太の戸惑うような表情が薄暗がりに包まれていく。
「ダウンロード!」
貴一は唱えて、手に双剣を呼び寄せた。
銀色の双剣。下弦の月のように輝いている。
それを見て、秀太の目が大きく見開かれた。
その気配が、徐々に変わり始める。
秀太は痙攣して、白目を向いていた。
それがある時ふと、平常の状態に戻る。
しかし、放っている気配は禍々しいものになった。
「その双剣……! ヴィーニアス国王か!」
「ああ、そういうことになるらしい」
そう言って、貴一は双剣の片割れで右肩を軽く二回叩く。
「悲願成就の時! 最高の剣士と誉れ高いヴィーニアス国王を倒し、俺が最強の剣士となるのだ!」
そう言って掲げられた秀太の手には、輝くロングソードが握られていた。
「行きますぞ、陛下!」
「いつでもおいでよ」
貴一は、心音が早鐘のように鳴るのを感じていた。
実戦だ。今まではただ、無我夢中にやって来た。
けれども、今日はクラスメイトが相手だ。心の何処かで落ち着きがある。
その落ち着きが、不安を呼ぶ。
(怖いな……)
貴一は苦笑する。
本当なら、剣なんて捨てて逃げ出したい。
けれども、その時は秀太を救えない。
貴一は、双剣を構えた。
+++
秀太は無我夢中に剣を振っていた。
勝機はある。
双剣は二本の腕で分けてしか持てない。しかしこちらは両手剣。一撃の重みがどちらにあるかは明白だ。
まずは一本を弾こうと、相手の防ぎに動いた双剣を思い切り弾き飛ばす。
いや、弾き飛ばそうとした。
しかし、相手の腕は少しも動かない。片腕で、こちらの両腕の一撃をしっかりと受け止めている。
「なっ」
戸惑っている隙に、懐に入られた。
後方に飛ぶ。
腹部に、薄っすらとした熱を感じた。
横一文字に斬られている。しかし、軽症だ。
「流石は天下に名高い双剣使い。私も腕力は鍛えたつもりだったが、規格外か」
「いや、今の距離から一撃を避けたのはこちらも予想外だよ。今の距離に入れたのも吃驚だけど」
そう言って、貴一は右肩を双剣の片割れで二回叩く。
秀太は、再び剣を構えた。
そして、飛びかかる。
条件が想定と違ってきた。
こちらの両腕の筋力に匹敵する相手の片腕。その双剣は攻防へと変幻自在の動きを見せる。
相手の双剣の片割れがこちらの剣を防ぐ。火花が散る。もう片方の双剣が攻撃に振るわれる。それをしゃがんで回避して、土を蹴り上げる。
相手が一瞬目を閉じた。
好機だ。
剣を振り上げた。
そして、振り下ろした瞬間、胸から腹部にかけて熱い感触を味わった。
すれ違いざまに斬られた。
ここまで違うのか?
過去が脳裏を過る。剣一本に生きてきた。平和な時代に、剣でのしあがりたかった。剣のために、全てを捨てて旅に出た。
それでも叶わない。届かない。
「お前……その実力、どうやって得た……」
憎しみをこめて、秀太は貴一を睨む。
「どうやら俺に憑依している奴は散々化け物を相手にしてきたらしい。適応できなければ死ぬんだ。それは腕も上がるというもんだ」
「経験値の差という奴か……」
ゲームを連想する。同じ時間でも、雑魚敵を倒しているより強敵を倒している方が効率は上だ。
現実でも、余裕で勝てる相手に挑むよりも、実力伯仲の相手と戦った方が遥かに成長は早いだろう。
その時、秀太の中で何かが叫びを上げた。
それは、秀太そのもの。憑依体が隅へと押しやった本来の体の主。
それが、叫んでいる。
(勝ちたい……!)
そこで、秀太に憑依している霊は体を乗っ取ることをやめた。そして、秀太と連携を取る。
(叫べ、ダウンロードと)
秀太は頷いた。
「ダウンロード!」
体が輝きを放つ。
今まで不本意ながら体を貸していた秀太と、無理やり借りていた憑依体。その連携はちぐはぐだった。
けれども今、心と心が完全に一致した。
体も経験も全て、秀太の思うがままになった。
「悪い、貴一。俺はどうしても……お前に勝ちたくなった!」
貴一は苦笑顔になる。
「秀太。意識を取り返したならここで解決としないか?」
「嫌だと言ったら?」
そう言って、秀太はあらためて剣を構える。
貴一も、双剣を構えた。
「押し通る!」
二人は再び激突した。
+++
秀太の動きが鋭さを得た。
それは、現代剣術と異世界剣術の融合。
目にも留まらぬ斬撃に、貴一は舌を巻く。
全てを弾くので精一杯だ。
反撃に転じる隙がない。
(よくぞここまで……)
実力を磨いたものだという思いがある。
(太平の時代にも、実力者は生まれる。それを拾えなかったのは俺の器量不足か)
そう、悔いる。
そして、ふと気がつく。
(なんだ、今の思考。ヴィーニアスの思考回路が流れ込んできたかのような……)
相手の全力の一撃が来る。そう考えて、貴一は双剣を掲げて交差させた。
振り下ろされる剣。
双剣と剣がぶつかりあって、火花が散る。
しかしそれこそが、貴一の望んでいた展開だった。
双剣が輝きを放つ。
剣を掲げたこの状態。それこそが、双破斬の攻撃モーションの一部ではあるまいか。
貴一は剣を逸して、叫んだ。
「双破斬!」
光刃が飛び、秀太の胸を十字に斬る。鮮血が飛び散り、秀太は地面に倒れ伏した。
「貴一、剣を折っておいて」
沙帆里が言う。
「それ、魔剣の類だから。ヴィニーへの妄執も、その剣が産んだものだと思うわ」
「わかった。クリス。治療を頼む」
「わかった。全力で当たったほうが良さそうね。フル・シンクロ」
貴一は秀太の手にまだしっかりと握られている剣を掴んで、力任せに折った。
苦悶の表情に歪んでいた秀太の顔が、少し和らぐ。
クリスの治癒の光が、闇の中に朧気に輝いていた。
そのうち、秀太は目を覚ました。
クリスがフル・シンクロを解き、静の姿に戻る。
「どう、中川君。少しはすっきりした?」
静が、貴一にはけして向けないだろう優しい表情をして訊く。
貴一は、少しだけ胸がざわつくのを感じた。
「よく覚えてないけど……俺は負けたんだな。俺の中に、もう一人に俺がいることも、しっかりと自覚できた。今はコミュニケーションも良好だ」
そこまで言って、秀太は気まずげに貴一を見た。
「俺、なんか病気かな?」
「いや、病気じゃないさ。実は今の時代、異世界からやって来た霊に憑依されている人間が増えている。俺達も、その仲間ってわけだ」
「異世界からの霊……」
そう言って、秀太は自分の胸に手を置く。
「確かに感じた。強くなることに一生を捧げた奴がいたって。俺だけは、そいつのことを忘れちゃ駄目なんだって」
「仲間にならないか、秀太」
貴一は、思いついたままのことを言っていた。
「俺達は、五人の選ばれた戦士を探している最中だ。その捜索に、お前も協力してはもらえないだろうか。これは、異世界の霊に憑依された人間にしか頼めないことなんだ」
秀太はしばらく考え込んでいたが、そのうち、胸に置いた手を握りしめた。
「迷惑をかけた分、力になる。俺も、俺に憑依した奴も、意味があって修行をしてきた。そう思うんだ」
「そうか」
貴一は、表情を崩した。
こうして、仲間が一人増えた。
「王の素質って奴かね、これも」
哲也が面白がるように言う。
「貴一の言ってることはヴィニーと一緒だ」
静も、呆れたように言う。
「だって、貴一はヴィニーなんだもん」
沙帆里は満足げだ。
この日、一人の仲間が増えた。中川秀太。彼の剣技は、貴一達の力強い味方になるだろう。
雲の隙間からのぞいた月が、優しく地面を照らしていた。
+++
「面白くないなあ……」
木の上にしゃがみこんで公園の五人を眺めて、黒の長髪と制服をした少女が不快げに表情を歪めていた。
「お仲間ごっこは、本当に見るに堪えないわ」
(嫉妬だろう?)
心の中で男の声がする。
「まさか」
そう言って、少女は苦笑する。
「今は、分が悪い」
少女は立ち上がる。
「けど、私の力なら分断したならば必ず勝てる」
少女の手に、炎が灯った。
それは、少女の白い肌を煌々と照らす。
「最強の剣士の経験と、炎の精霊の加護は、この身にあるのだから……」
炎が、消えた。
「ダウンロード」
呟くと、少女は超常的な身体能力で木の上から家屋の屋根の上へと飛んで行った。
次回『クリスとセレーヌのお茶会』