兆し1
週一ペースぐらいで緩く更新していくと思います。
草原を馬が駆けている。
ヴィーニアスは抱きかかえられた状態で、その上に乗っている。
「追手は?」
ヴィーニアスを抱きかかえているヴァイスが問う。
ヴァイスの服にしがみついている妖精、クリスティーナが背後を振り向く。
「いない」
「一先ずは安心と言ったところか……」
ヴァイスは安堵したように体の力を抜く。
「この先、どうなるのですか?」
ヴィーニアスはまだ幼い。しかし、後に賢王になるだろうと高い評価を受けて育った。
この先を心配するぐらいの頭はあった。
「さて、どうしたものかね。あの妖怪の正体を暴く必要がある。その時までは雌伏の時だ……」
ヴァイスはそこで言葉を切って、躊躇うように言う。
「お前、俺の子供になるか?」
「えっ?」
予想外の言葉に、ヴィーニアスは戸惑いの声を上げた。
「旅から旅への暮らしだが、衣と食は準備できる。冒険は貴方の剣技を磨くにもうってつけの場所だろう」
ヴィーニアスは考え込む。
王宮に取り憑いた妖怪を排除しなければならない。そのために、冒険は必要な過程だろう。
「僕は、貴方の子供に……」
その時のことだった。
馬がいななきを上げて足を止める。
前方に、巨大な炎の塊が出現していた。
それが消えた後に現れたのは、ヴィーニアスの国の宰相。人の皮を被った妖怪だ。
「王子に消えられる。それは困るのですよ、ヴァイス殿。剣術指南役がこんな大胆な策に出るとはね」
「そうかい」
ヴァイスは、ヴィーニアスを残して馬から降りた。
そして、大剣を鞘から抜く。
「ヴァイス!」
クリスティーナがヴィーニアスの上に乗せられて、焦ったような声を上げる。
「宿屋で合流だ。俺が来なくても、上手くやってくれ」
一方的に言って、ヴァイスは馬の尻を叩いた。
馬が走っていく。背後で、激しい戦闘の音がする。それもどんどん遠ざかっていって、消えた。
どれほどの時間が経っただろう。ヴィーニアスは、天を仰いだ。
星々が輝き、月が闇の中に白い輝きを見せている。
「ヴァイスのことは後から考えよう。今は、貴方が逃げ延びることだ」
クリスティーナは、気丈な表情で言っていた。三つ編みに編まれた後頭部の青い髪が、揺れた。
ヴィーニアスは、一つ頷く。
子供であれた時間は終わったのだと、そう思った。
それから、十年の月日が流れた。ヴィーニアスは仲間を得て、精霊達の神秘に触れていた。
今ならば城を乗っ取った妖怪も排除できるだろう。そういう確信があった。
人混みの中で、双剣の片割れを高々と掲げる。
「今、城に巣食うのは妖魔である。我々はそれを討伐し、元の平穏な日常を取り戻すのだ!」
応じる声が上がる。
「士気は高いよ、ヴィニー」
そう、エルフに転生したクリスティーナがからかうように言う。体は大きくなったが、青い髪は相変わらずだ。
「いざ、出陣!」
そう高々に叫んで、ヴィーニアスは剣を前へと突き出した。
呼応するように、叫び声が上がった。
「なに寝ぼけてんだ、お前」
その一言で、夢から覚めた。
学校の教室だった。窓際最後尾の席で、頬杖をついて寝ていた井上貴一の顎は手から滑り落ちた。
クラスメイトの笑い声が上がる。
「出陣とは勇ましい夢を見たものだな。では、日露戦争の年号を言ってもらおうか」
「日露……えーっと、結構最近ですよね」
「そうだな」
「千九百年に入ってからでしたっけ?」
「俺はアキネイターじゃないぞ」
また笑い声が上がる。
「寝ているところがテストに出るかわからんからな。皆は気を抜かないように」
再度、笑い声。
貴一は、恥ずかしくなって項垂れた。
隣の、佐藤静に視線を向ける。黙って、面白くもなさそうに前を向いていた。
それが、ますます貴一を陰鬱な気持ちにさせた。
放課後になると、山上哲也が迎えに来る。
「さあ、行こうぜ。我らが野球部へ」
「ああ……」
気だるい気持ちを噛み殺して、立ち上がる。
「しかし最近よく居眠りをしてるな、お前は」
「変な夢を見るんだよな……」
「夢?」
「中世の外国みたいな夢。俺は王子で部隊を指揮して双剣を持って戦うんだ」
哲也が一瞬無言になる。
そして、次の瞬間大声で笑いだした。
「いいねー、お前の前世は異世界の王子様か。金借りたいぐらいだぜ」
「笑うなよ。実際、そんな夢しか見ないんだから困る」
貴一としては、変な寝言を呟かないような夢を見たいものだ。
「今日は紅白戦だぞ。しゃきっとしろよ」
そう言って、哲也は飄々と前を歩いて行った。
「わかってるけどさ……」
貴一はぼやいて、その後を追う。
+++
投手が振りかぶって硬球を投げる。
それを、打者はバットで捉えた。
鋭い打球が投手の足元を抜けていく。
その、二塁ベース上を通り抜けた打球を、遊撃手の哲也はグラブをはめていない手で取ってそのまま一塁に投げた。
鋭い送球を一塁手がキャッチする。
そうして、打者はアウトになった。
(相変わらずの化け物みたいな守備範囲……)
半ば呆れながら貴一は思う。
そして、打席に入る。
投手が再び、振りかぶって球を投げる。
その動きが、貴一には手に取るように予測できていた。
たまに、こんな時がある。
自分の身体能力が、本来のそれを越えているような感覚を覚える時が。
ジャストミート。
バットの真心に当たった球は放物線を描いて学校のネットにぶつかって落ちた。
貴一は淡々と、塁を回っていく。
その時、視線を感じて、貴一はその方向へ視線を向けた。
哲也の妹の沙帆里が、ネットを握って試合を観戦していた。
沙帆里はランドセルを背負い、怪しい微笑みを浮かべて貴一を見ている。
(またなにか言われそうだな……)
そんなことを、貴一は思う。
帰り道、案の定沙帆里は口を開いた。
「まだまだね。貴一にはもっともっと力があるんだから」
「一本塁打のなにがいかんのですか」
「全打席本塁打でもおかしくないはずよ」
「無茶を言う」
「まあしかし、互いに見せ場は作れた。レギュラーの座は安泰といった感じだな」
そう、哲也が飄々とした口調で言う。
「一年が思ったより小粒だな。来年が心配だ」
「俺達が中軸に座って安堵させてやりゃいいのよ」
哲也は自信家だ。たまにそれが、貴一には眩しく映る。
「そうよ。貴一には、もっともっと力を得て貰わなきゃいけないんだから」
そう、沙帆里が熱に浮かされたように言う。
「……まあ、そう上手くいくといいんだがな」
ぼやくように返す。
その時、有り得ないものを見て、貴一は立ち止まった。
あの、夢に出てきた青い髪。同じ学校の制服を着た生徒が、その髪をなびかせて歩いている。彼女は、曲がり角に消えていった。
貴一は、慌てて後を追って曲がり角を曲がる。
しかし、そこにはもう誰もいない。
青い髪の同校生がいるだろうか。いたら、今頃噂になっているはずだ。
なら、今のはなんだ?
クリスティーナのそれに、あまりにも似ていなかっただろうか。
「どうしたんだ、お前。悪い夢でも見たような表情してるぜ」
哲也が、追いついてきて言う。
「悪い夢を見たんだ……」
貴一は、呟くように言っていた。