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スカウト

 伯母や長峰と別行動になったので、花蓮は久しぶりにショッピングモールを歩いた。

 長峰は絵から引き離されてストレスを感じているかもしれないが、花蓮にはいい気分転換になっている。


(人がたくさんいるところに来たのも久しぶりだよね)


 考えてみれば、伯母の家に来てからというもの日中は絵のモデル、夕方からは苦手な宿題に追われてまともな外出をしていなかった。

 そのことに気づいて花蓮は自分でも驚いた。

 落ち着きのない自分が伯母の邸に引きこもっていたこと、座ったまま動かないとはいえ絵のモデルの仕事に集中しきっていた事実が信じられなかった。


(すっかり絵のモデル気分になってたんだ……素人だけど)


 短期間での心境の変化はそれだけではなかった。

 伯母が服を物色している間に、自分も洋服を見つけようとモール内を歩き回ったが、物欲がまったく湧かなかったのである。

 伯母の家に滞在中、使う機会がなかった財布には小遣いもそのまま残っている。ウインドーショッピングは大好きなはずだった。


(今まで無駄遣いしてきたのかな)


 流行のアイテムと言われればメディアにつられて購入していたが、今は必要がないなら買わずにおこうと思える。


 結果、予想以上に店内の散策は早く終わってしまった。

 伯母との待ち合わせの時間まで、長峰もどこかで時間を潰しているはずだ。ふたりで喋っていたほうが楽だったかもしれない。

 長峰に現在地を聞いてみようとスマートフォンを取り出して、あることに気づいた。


(あれ、長峰さんの電話番号って……?)

 

 彼の携帯電話の番号を知らない。

 そもそも、長峰がスマートフォンを持っているのか確かめたこともなかった。長峰について知っていることは、彼の名前と絵に夢中であること、車の運転免許を持っていて、彼の父親が伯父の大学時代の先輩にあたる人ということくらいだ。

 花蓮は絵のモデルをしている間、雑談で自分のことをよく話した。自分自身のこと。家族のこと。学校のこと。彼は黙って、ときには相槌を打ちながら花蓮の話を聞いてくれた。だが、長峰の話はごくわずか。本人が話したがらない――と思っていたが、本当にそうなのだろうか。


 途方に暮れたところに、背後に気配を感じて花蓮は振り返る。そこには四十代半ばのスーツ姿の男が立っていた。

 明らかに、相手の視線が自分にあることに気づいて花蓮は困惑した。


「こんにちは! きみ可愛いね、芸能界とか興味ないかな?」

「は……?」


 男はジャケットの内ポケットから素早く名刺入れを取り出し、名刺を一枚抜き出して花蓮に差し出した。駅前で配られるポケットティッシュのように反射的に受け取ってしまい、戸惑いながら手の中の名刺に目を通す。


「か、株式会社トゥインクルプロモーション……?」

「そう、うちは芸能プロダクションやってるんだけど、今女優やタレントのたまごを探してるんだよ」


 名刺の肩書を見れば、“新人開拓班”と記されている。そんな肩書があるだろうか。


(これ、悪質な詐欺?)


 真っ先に頭に浮かんだのは、芸能事務所の名前を騙って、カメラテストや宣材写真が必要だと若い女のコを騙し、水着や下着姿の動画や写真を撮影する詐欺の手口だ。事務所への登録料まで払わされたが芸能活動のマネジメントなど一切なく、撮影された写真画像も動画も有料アダルトサイトに掲載されてしまい、被害者は二重のダメージを負う。

 花蓮でさえその手のニュースは知っているし、両親からも甘い言葉に惑わされないように釘を刺されていた。


「芸能界とか興味ないんで!」


 すぐにその場から立ち去ろうとしたが、相手は後をつけてくる。


「でも、タレントさんとか、芸人さんの出てるTV番組とかは見るでしょ? 最近バラエティ番組に出てる漆原うるしばらみのりとか知ってる? ウチの事務所に所属しているんだよ」


 花蓮は相手の話に耳を貸さず、伯母と別れた店を目指した。


「きみ、絶対映像で活躍できるタイプだと思うんだ! 昔、僕がファンだった女優さんにも似てるし、レッスン受ければ本当に化けるよ!」


 ファンだった女優、という言葉に思わず足が止まった。


「だれですか、昔好きだった女優さんって?」


 振り向きざまに尋ねたせいで、男のほうは面食らったようだ。そこに反応を示すと思わなかったのだろう。


「えっ? あ、きみたちくらいの若いコは知ってるかな……望月花帆もちづきかほっていって可愛かったんだよー。引退しなければ絶対大女優になったと思う。それくらい才能のある人だったんだ」


(お母さんの芸名だ!)


 望月は母方の祖母の旧姓をもらったと、直接母親から聞いたことがある。自分の母親でなければ知らない女優で終わっていただろう。


「じつは、そのコも僕の先輩がスカウトしてきたんだ。ウチの事務所の戦力になるってね」


 つまり、母親が所属していた事務所ということになるのか。花蓮は母の芸名は教えてもらったが、事務所の名前は聞いたことがない。

 本当にこの男性は母親のことを知っているのだろうか。母親が女優の活動をしていたのは十七、八年前。逆算すると相手は二十代くらい。母とほぼ同世代ということになる。

 疑惑の視線で相手を観察する。かけている眼鏡は最近流行のブランドものだが、対照的にスーツはよれよれにくたびれていた。


「一度ウチの事務所においでよ。ウチはちゃんとした芸能活動をプロモーションするとこだってわかってもらえると思うし、どんなレッスンをしてるかも教えるから……」

「はぁ……」


 花蓮のどっちつかずの返事がまずかったのか、相手は脈があると判断したらしい。積極的に勧誘がはじまり、花蓮がその勢いにたじろいだ。


「花蓮!」


 聞き慣れたはずの声なのに、あまりの声量に花蓮の体が強張った。声がしたほうを見れば長峰が走ってくる。駆けつけると、花蓮と男の間に割って入った。


「なにやってるんだ?」

「よ、洋服見てただけ! この人は芸能事務所の人らしくて……私、芸能界には興味がないって断ったんだけど……」


 花蓮の答えに長峰は男を睨みつける。


「じゃあ、引き留められる理由はないな?」


 芸能事務所のスカウトマンを名乗る男が何かを言い出す前に、長峰は花蓮の手を掴んで歩き出した。


「ちょっ、きみ! 少しでも興味あったら連絡してくれ! 待ってるから!」


 背中越しに男の声が聞こえた。長峰に半ば引きずられるようにして花蓮は退場したが、男は後を追ってこなかった。長峰の殺気の漂う視線に圧されたのかもしれない。





「お前、なにやってんだよ? あんな怪しいオッサンに捕まるなんて……いかに胡散臭い話だろうが!」


 鞠絵との待ち合わせ場所に決めた一階の中央ホールに着いたとたん、長峰は花蓮を一喝した。


「わかってるってば! 私もスカウトの詐欺かと思ってすぐ断ったんだから! でも、あの人お母さんの芸名知ってるみたいで、ちょっと立ち止まったら……」


 花蓮の言い分を聞いて長峰は大きな溜息をついた。

 彼女の危機感のなさには呆れるしかない。芸能関連の人間をそれらしく装う者はごまんといる。ちょっとでも隙を見せたら、喰いものにされたっておかしくない。――常識や良心が及ばない世界はいくらでもある。金品や名誉を損ねることだってあるだろう。

 高校生の花蓮のように知恵や経験がまだ十分備わっていない少女たちは、女性として最悪の被害を受けかねない。その大半は自分が危険と隣り合わせであることにまったく気づいていないのだ。

 長峰も絵を描くために世界を旅する間、罪のない観光客、現地人でさえ理不尽な被害に遭う場面に何度も出くわしている。


「とにかく、自分でも怪しいと思ったら断固突っぱねろ! さっきみたいに相手に付け入る隙を与えるんじゃない!」

「……わかった」


 素直に返事はしたものの、不本意そうな花蓮の態度に長峰は苛立ちさえ感じた。


「お前、自分がどれだけガードが甘いかわかってないだろう?」

「そんなことないよ! これでも疑い深いほうなんだから!」


 長峰は取り合わなかった。姉妹を見ていれば妹のほうが用心深いのは一目瞭然だ。年頃の少女に言って聞かせても逆効果だ。


「でも、ちょっと驚いたよ……」


 近場にあった休憩スペースの椅子に座った花蓮は、バッグに男の名刺をしまいながら長峰を見上げる。

 動揺している女のコを一方的に叱りつけても仕方がないと、長峰はそれ以上の追及はやめておくことにした。


「あの手の勧誘は馴れ馴れしく近寄ってくるし、距離を詰められて圧倒されるのは無理ないけどな」

「そのことじゃないよ」


 花蓮が首を横に振る。


「長峰さん、私の名前を呼ぶことあるんだなって、そう思ったの」


 指摘されて、はじめて彼女を名前で呼んだことに気づいた。今まで同じ屋根の下で生活していたのに名前を呼ぶ機会がほとんどなかった。第一、必要がなかった。声をかけるにも、おい、と呼べば花蓮自身が反応した。鞠絵の呼び方に馴染んでいたからだろう。倣うつもりもなくそう呼んでしまったのだ。


「名前を呼び捨てにされるのは嫌か?」

「別にそういうわけじゃないけど……なんか変なカンジがしただけ」


 花蓮の言葉に長峰が頷く。お互いに違和感があったのはたしかだ。


「他の呼び方がいいなら、代わりの名前で呼んでもいいぞ。低血圧、サボリ魔、食いしん坊……」

「もういいって! 普通に花蓮でいい!」


 長峰が隣に座って指折り呼び名候補を挙げていくのを、花蓮が慌てて制止した。バツが悪そうに彼女は赤面している。

 むうっとしている花蓮を横目に長峰が屈託なく笑った。拗ねた表情に彼女の無邪気さが表れている。純粋すぎるのか、何も考えていないのか。


「お前本当に暢気だな。少しは他人を疑え」


 長峰には花蓮から警戒心が感じられない。本人が言うほど、周囲への注意力が足りないようだ。


「人の好さは長所かもしれないが、それで傷つけられることもあるんだぞ」


 遠くを見るような長峰の表情に、花蓮はごく自然な興味から尋ねた。


「長峰さんも傷つけられたことがある?」

「……昔は、な」


 彼の答えに何を察したのか、花蓮はそれ以上質問しなかった。会話が途切れて、沈黙が重く感じはじめたころ、ようやく待ち人が現れた。


「花蓮! 蒼太くぅ~ん!」


 遠くから歩いてくる鞠絵が、二人に向かって無邪気に手を振る。もう一方の手には店のロゴが入った紙の手提げ袋をいくつも持っているのを見て、二人は苦笑した。伯母のおかげで絵は少しも描き進めることができなかったが、いい骨休めになったのもたしかだ。


「明日は、今日のぶんの遅れを取り戻すぞ」

「うん!」


 ふたりにだいぶ近づいてから鞠絵が小走りで駆けよる。


「さぁ、いい気分転換になったでしょ?」


 彼女の言葉に、花蓮は首を傾げた。


「まあね」


 長峰が椅子から立ち上がり、鞠絵の荷物を引き受ける。


「花蓮は何も買い物しなかったの?」

「買うヒマもなかったし、洋服もそれほど欲しくなかったから」


 実際花蓮は何も購入しなかったようだが、どこか満足げだ。


「長峰さんとおでかけするのも初めてだったね!」


 弾んだ声に指摘されて、長峰は絵がない空間で花蓮と過ごしていたことに気づいた。画家と絵のモデルは、共有できる時間は絵を描いている間だけだと割り切っていたはずだ。


 しかし、絵を描いている時間が長いせいかアトリエを離れても当たりまえのように一緒にいる自分たちがいる。言葉を交わす時間がつづいている。


 その時間の延長線上にあるものを、長峰はまだわかっていなかった。



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