(下)
娘がいなくなってから、再び孤独な時間が過ぎていく。
けれど、毒姫はひたすらに耐えた。
なぜなら彼女は一人ではなかったから。
胸の内には温かい思い出。
思い返せばいつもそこに娘がいたからだ。
けれど、彼女は残酷な真実を目にする事になる。
いつからかニエの空に浮かぶようになった、一隻の船。
赤い瞳を張り付けた監視する者は、多くの科学者達を乗せていた。
生命あるものが存在できるはずのない世界への侵入者達。
毒姫の力に目を付けた彼らは、イントディールで過ごしていた娘を捕え、ニエへと引きずり戻していた。
狙いは一つ。
毒姫の力を手にする事。
それを利用し、多くの命を摘み取る為の、争いの道具を作る事だった。
生命溢れ、力強く鼓動を刻む命の世界を壊す為の道具を。
孤独でない事がどれだけの救いであるのか、同胞がいる事がどれだけ恵まれている事なのか。
彼らは分かっていてなお、生命を踏みにじろうとしていた。
見張らす瞳を隠し、移動する足を壊した、沈む船の中。
毒姫は、血の様に赤い光に照らされた部屋の中で、二度と会う事が出来ないだろうと思っていた娘と、望まぬ再会を果たした。
――どうして?
実験体番号0。
変わり果てた娘に背中を刺され、船と共に落ち行く魔女は毒の涙をこぼし嘆いた。
ニエの空から船が消え、そしてまたしばらくの時が流れた。
重々しい蓋の施された空、その割れ目の向こうで輝く空には、いつからか星の部屋が出現していた。
毒姫が見つめる真空の宇宙の先。
星の輝きに周囲を囲まれ浮かぶ、そのガラスケースのような部屋の中には、一人の少女が住んでいたのだった。
それが彼女と、彼女の二人目の娘となる少女との出会いとなった。
寂しそうにして部屋の中でいつも泣いているその少女。
娘の面影を見た毒姫は、魔法で作り上げた自らの分身を寄越し、姿を現した。
――ほら笑って、幸せの魔法を教えてあげる。
ヌイグルミ、服、宝石、楽器、玩具……。
毒姫は少女が泣く度にそれらを与え、あやし、魔法を教えて笑顔を取り戻させた。
星の部屋に住む、名前のない少女。
翡翠の星が流れる流星の日。毒姫はその少女へ、星の雨という名前を付け、呼ぶことに決めた。
それからも毒姫とレインの過ごす日々は続いた。
薄暗い部屋に怯える少女に、星屑の光をつかみ取って光り輝く宝石にしてみせ、寝物語を喋り動くヌイグルミを作ってみせ……。
レインが何者であり、どこから来たものであるかなどは、もはやどうでもよかった。
毒姫の心は一人目の娘と接していた時と同じように癒されていたのだから。
けれども悲劇は繰り返す。
過去と同じように。
分かれの時は、近づいていた。
実験体。
レインは星の部屋の住人などではなく、娘を不幸にした者達、研究者達の手によってどこからか捕らわれて来た少女だったのだ。
毒姫は天蓋を壊し、自らの体で毒に満ちたニエの世界を超え、追い詰められ、助けを求める少女の元へと駆けつけた。
毒そのものである彼女は、毒のない世界で生きる事は出来ない。
時期に命はつきるだろう。
けれど彼女は、それでもよかった。
レインを助けイントディールへと逃がし、研究者を道づれにする。
娘と同じくらい大切にしていた少女を助けられるのなら、それで十分なのだから。
だけれども、
実験体番号0。
顔色を変える研究者達から、聞こえた言葉。
毒姫は悟った。
目の前にいる少女こそ、いつかに失ったと思っていた娘の、月日を経て変わり果てた姿なのだと。
生命ある者として生まれ変わってなお、身勝手な理由で幸福を踏みにじられた、毒姫の大切な娘。
彼女は今再び願う。
――どうか、今度こそ幸せに……
次こそは、本当に叶えて欲しいと。
――幸せになって……
イントディールへ逃がすその時、
命ある者と……最愛の娘と……最後まで繋ぐ事ができなかったその手を、小さく振った。




