9_作用
二人の少年が同時に駆けた。
ハイドラは横薙ぎに、手元が霞むほどの速さで刀を振る。
刀身が相手に触れる直前、その動きが鈍った。コイントス。ハイドラは、顔面に飛来する硬貨を反射的に手で防いでいた。
瞬間、コリィは懐に潜り込み、相手を垂直に蹴り上げた。細身が宙に浮かぶ。
ハイドラは空中で体を捻ると、落下の勢いのまま回転しつつ脳天めがけて刀を振り下ろす。
だがコリィは既に動いていた。刃を躱す。そしてその左手が相手の腹部を捉えた時、篭手が青く光り、ハイドラは血反吐を撒き散らしながら遥か後方の壁まで吹き飛ばされた。
「どうしたよ、弱者の味方さん。これで終わりじゃないだろ」
左手の調子を確かめるように指を動かしながら、コリィは唸るような声で言った。
かつて狂犬ガントレットと呼ばれ、畏怖された少年がいた。
強化手術によって施された驚異的な身体能力、立ちはだかる者全てを屠るその暴力性もさることながら、その最も大きな特徴は左腕の篭手だった。
物体に触れた際に生じる作用を増幅させる、その青い篭手を身に着けた少年の前に、理不尽な死を遂げた者は数知れない。
某日、一人の刺客と相打ちになり、この世から姿を消したとされていたが……。
「やっぱり君なんだね……ガントレット」
刀を杖のように床に突き立て、口から血をこぼしながらハイドラは立ち上がった。
「まあいろいろあってね、俺も変わったんだ。って、ほんとにまだ動けるのかよ」
コリィはうんざりした様子で言った。
「できないよ。変わらないんだよ絶対に。境遇を、現実を、自分自身を変えるなんて、そんな綺麗事が、どうして無くならないッ」
ハイドラは叫び、走り出した。
一気に間合いを詰め、刀を振り下ろす。
コリィは首を傾け刀身を少しだけ躱すと、その手首を難なく掴み取った。
「君は逃げているだけだ。名前を捨てて、過去を捨てて、自分の運命に逆らった気でいるだけだ」
悪魔のように囁くハイドラ。
「そうかもな」
手首を捻り上げるコリィ。
だがハイドラは力を緩めない。腕が不自然な方向に曲がったまま、尚も刃を押し付ける。
「やめとけ、折れるぞ」
その時、建物の外から音が聞こえてきた。サイレンだ。
「しばしのお別れだ、ガントレット。また会おう」
ハイドラは一際穏やかな口調で言った。
「お断りだね」
コリィは手を離さない。
「そうはいかないさ」
ハイドラは不敵に笑い、コリィの腰からナイフを抜き取る。そして、自らの手首を切り落とした。主を失ったその手から、刀が落ちた。
「また思い出す日が来る。弱い人間のためにこそ、本当の暴力があるんだということを」
コリィは一瞬呆気にとられたが、背を向けて立ち去るハイドラを捕らえるべく走り出そうとした。
「捨てなさいッッ」
叫んだのはイオだった。
次の瞬間、コリィが手にしていたハイドラの手首が閃光を放ち、会場は爆風に包まれた。
後にこの襲撃事件は、セキュリティ企業を狙ったテロリストによる犯行とされたが、犯人とその動機を含め、確かな情報は未だ何一つ公表されていない。