7_噂
霧崎蒼汰は自らの首を撫でた。
「あいつの話じゃあ、その荷物は廃棄処分される予定だったそうだ。俺らは命を張ってゴミの運び屋をやってたってわけだ」
そして体を揺するようにせせら笑った。
「中身は何だったんですか」
イオが尋ねた。
「さあな。だが、あいつはそれを狙っていた。最初に俺らを襲った奴らも同じだろう。連中は丁寧にダミーまで用意してやがったからな。ブツを奪った挙句、運び屋に成りすまして報酬までいただくつもりだったのか」
冷静な口調で霧崎蒼汰が答える。
「俺はそれを利用して、何食わぬか顔でゴミの偽物をお届けしてやった。本物はあいつが持ち帰ったんだろう。全部言いなりさ」
力なく肩をすくめ、自嘲するように鼻を鳴らした。
「後の隠蔽処理には手間取ったが、大した問題じゃない。それでも流石に懲りた。もう二度と関わるまいってな」
「それだけでは終わらなかったんだな」
霧崎修司が言った。
「そうだ…………部下が四人も殺られた上、輸送のために増員まで呼んだわけだからな。もちろん現場も見られた。いくら口止めしたって、噂が立たないほうが不自然だ」
淡々と語る。彼は決して愚かな人間ではないのだろう。むしろ、このような事件に関わらなければ、当初抱えていた先への不安さえただの杞憂に終わっていたかも知れない。
「俺の悪い噂ならまだいい。どうせ事実よりはマシなクソだろうからな」
吐き捨てるように言った。
「だが、実際はもっと酷いクソだった。俺らが運んでたのは国家転覆を企むテロ組織の新兵器で、襲ってきたのは国が秘密裏に抱える掃除屋ときた。まるで映画の主人公だ」
大袈裟に両腕を上げてみせると、小さく溜息をついて項垂れた。
「そして、またあいつが俺の前に現れた」
それを聞いて、イオの指先が僅かに動いた。
「あいつは俺が箱の中身を見ていたんじゃないかと執拗に問い詰めてきた。もちろん俺は見ちゃいないし、正直もうあの夜を思い出すのもうんざりだった」
「噂はあながち間違っていなかった」
イオが言った。霧崎蒼汰は続ける。
「それでもあいつは俺を、いや俺らを疑っていた。だから、お前が答えないなら部下に聞きにいくと脅してきやがった」
微かに語気が強まる。十中八九、ただの脅しではないだろう。襲撃者を単独で屠り、被害者を生かしたまま利用するような人間だ。穏便に済ませるわけがない。
「恥ずかしい話、その時の俺は完全にビビってた。あいつだけじゃねえ。周りの物全てにだ。だから夜中に物音がすれば馬鹿みたいに何度も飛び起きたし、武器は四六時中手放さなかった」
かつての自分を蔑むように言った。いや、今も変わっていないのだろう。彼の心は血の海に浸かったままなのだ。
「でもな、また部下を巻き込むんじゃないかと思った瞬間、自分が許せなくなった。てめえのくだらん都合で他人を殺しておいて、のうのうと生き長らえてる自分がな」
口調がさらに熱を帯びる。
「そっから先はよく覚えてねえ。色々と喚き散らした気もするが、確かなのは、あいつの胸を何度も撃ち抜いてたってことだけだ」
指で拳銃を真似ながら言った。その手は微かに震えていた。
「そしたら、あいつは、笑ってた。口から血を垂らしながらな。ずっと笑ってやがった。その時やっと気づいたよ。ああ、こいつ人間じゃねえってな」
気が抜けたように、柱へ頭を持たれかける。その目はただ虚空を見つめていた。
「あとはお察しの通りだ。潔白の証明と引き換えに、企業はお釈迦。それで終わりだ」
霧崎修司は黙ってそれを聞いていた。心情は計り知れない。
「部下の身の上はなんとかするつもりだ。このご時世、再就職先が見つかるかどうかはわからんが、安い頭を下げて済むなら、地べたでも便器にでも好きなだけ擦りつけてやるさ」
そして、霧崎蒼汰はのそりと立ち上がりながら、絞るように声を出した。
「いや、所詮は言い訳だな。罪滅ぼしにもならねえ」
「その少年の名前は」
イオが問う。
霧崎蒼汰はイオを見据えた。
「名前は…………ハイドラ」
ためらいながらも、彼は問いに答えた。
「あいつの名前なんて口にしたくもなかったんだがな。でも、これであんたを殺そうとしたことはチャラにしてくれよ」
大男は背を向けて続ける。
「あんたらも逃げたほうがいいぜ、もう人が死ぬのは御免だ。疲れちまった」
「イオさん、彼は無事でしょうか」
老人が不安げに彼女を振り返った。
「まさか……まだ生き残りが…………」
女は思い悩んでいる様子だった。
陰から、一人の女性が片足を引きずりながら現れた。その白い脚には赤黒く変色した血がべっとりと付いている。
「助けてください、子供が、私を助けようとして、警察を、どうか、呼んで…………」
今にも消えて無くなりそうな声で、彼女は助けを求めていた。
イオは何かを訴えるように霧崎修司を見たが、彼は首を横に振ってから、毅然と応えた。
「いえ、行きますよ。私にも果たすべき責任がある」
それを見ていた霧崎蒼汰は、全て諦めたように言う。
「責任だの、誰かを助けるだの、そんなに命が惜しくねえなら俺はもう知らん。まあ、せめて怪我人の面倒くらいは見てやる。後は勝手にしろ」
両手で瀕死の女性を抱える。そして、警告はしたからな、と言い置いて歩き出した。
振り返れば、女と老人は既に駆け出していた。大男は、ため息混じりに小さく悪態をついた。