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零落の聖域  作者: 零度
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6_海

 霧崎蒼汰がその少年と接触したのは、彼が企業の実質的な経営者として活動するようになってからまだ間もない頃だった。

「この業界は体面が全てだ。トップが親の七光にうかれてるだけの無能だと思われたら、あっという間に餌食になる」

 落ち着きを取り戻した大男は座り込んだまま、これまでのいきさつを語りだした。

 女と老人は立ったままそれに耳を傾けている。

「外面だけじゃねえ。部下の信用も得なきゃならん。内側から食われたら同じことだからな。だから正直、かなり焦ってた」

 霧崎修司は少しだけ目を細めた。

「そんな時、ある仕事が入ってきた」


 表向きには化学薬品の護送ということになっていたが、それがただの建前であることを霧崎蒼汰はすぐに見抜いた。依頼人も一介の研究所の長ではなく、その裏で何者かが糸を引いていることを彼は確信していた。

 彼は本来、冷静で優れた判断力を持つ人間として社内からも高い評価を受けていた。だから、法外な依頼料など無くとも、それが手を出してはならない一件であることはわかっていたのだ。

 それでも彼がこの悪魔の誘惑ともいえる危険な手段に飛びついてしまったのは、やはり焦りがあったせいだろう。裏とつながりを持つセキュリティ企業は決して珍しくはない。彼の父親はそれを断じていたが、こういった企業が暴力組織とパイプを持つアドバンテージは非常に大きいのだ。うまくやれば一種の独占状態を築くことすら可能になる。無論、法的にも倫理的にも許される行為ではなく、本当に裏がいる保証すらなかったが、彼は偉大な父親を超えることに必死だった。

 

 当日、霧崎蒼汰は自らその護送に出向いた。

 大口に面を通したいのか、あるいは危険な賭けに部下を巻き込むことへの罪悪感のためか、その意図が語られることはなかったが、彼は護衛として輸送車の後ろに乗り込んだ。

 時刻は深夜。海沿いのルートを通り、襲撃のリスクを極力減らす。人目にも触れづらいため、こういった輸送方法を好む者は多い。

 目的地は少し離れた場所にある防波堤。三時間もあればその場所へ到着するはずだった。不自然極まりなかったが、もはや引き返すことはできなかった。

 護衛は四人。運転手を含めれば五人の人間が、中身の分からぬ大きな鉄の箱を護っていた。


 車のライトが正面の何かを照らした。

 人が、倒れていた。

 後ろに乗っていた霧崎蒼汰はそれを見て瞬時に危険を察知したが、運転手は彼の指示を待たずに停止した。

 人がゆっくりと起き上がり、フロントガラスが黒く塗り潰された。特殊なペイントガンによるものだった。

 衝撃。金属の杭が、運転手の体を防弾ドアごと貫いた。火薬を内蔵した杭打機構を車体めがけて射出・吸着させ、銃弾や爆発を防ぐ装甲すらも貫通させる兵器。それが彼らの想定を遥かに上回ったものであることは言うまでもなかった。

 運転席と後部は隔離されているため、再び走り出すためには運転席を目指して一度外に出なければならない。小さく設けられた窓からは、金属の杭がワイヤーによって巻き取られるのが見えた。暗いため周囲は確認できなかったが、恐らく既に囲まれていたのだろう。

 すぐに二発目が来るだろう。外に出るしかなかった。

 霧崎蒼汰が拳銃を手に真っ先に外へと飛び出した。直後、杭が再度車体を貫き、悲鳴もなくまた一人が死んだ。

 着地と同時に前方へ回転、しゃがんだまま暗闇へ拳銃を向ける。

 死角を補うように後ろへ付いた部下が一人、撤退を提案した。だが霧崎蒼汰はこれを拒否した。襲撃を受けた時点で失態は免れない。加えて、それが闇の依頼であったとなれば、ここで死のうが逃げ延びようがもはや同じことだった。残された道は、あらゆる負の証拠を消し去り、任務を遂行すること。それは、数もわからぬ襲撃者たちを、残された三人だけで対処、全滅させることに他ならない。もはや冷静な判断など不可能だった。

 銃声。錯乱したのか、一人の部下が暗闇に向かって何度も発砲した。サプレッサーは無い。剥き出しの恐怖が響き渡った。

 そして間もなく、霧崎蒼汰は別の音を聞いた。金属が地面を転がるその音を。

 そして、無機質な光と音が世界を埋め尽くした。スタングレネードだ。

 強力な爆音と閃光により視覚と聴覚は失われ、身体を動かすことさえまともにできなかった。まとわりつくノイズの中で、彼は初めて後悔した。己の愚かさを。


 やがて光を取り戻すと、その目に映ったのは全身から血を流す複数の死体だった。敵のものではない。彼はその時、死を悟った。

 僅かに機能を回復した両耳には、足音が聞こえきた。地面に横たえた体がその振動を捉え、数人が近づいてくるのがわかった。

 自由の利かぬ体では、もはや命乞いすらできなかった。立っている誰かの足が見えた。辛うじて首を動かすと、やはり別の者の足が見えた。

 こちらに話しかけているのか、笑っているのか、無言なのか、それすらもわからなかった。彼はただ、己の愚行に巻き込まれた哀れな部下達の安らかな眠りを祈り、目を閉じた。


 どれほど眠っていただろうか。刹那か。永遠か。

 温かい何かが体を浸していた。鉄の匂いが鼻をついた。痛みは無かった。

 目を開けると、そこは赤い海。口から血の海水が入り込んだ。彼は思わず咳き込み、その拍子に上半身を起こした。彼を囲っていた人間が、全て死体に変わっていた。

 己の命を奪おうとしていた者らの無残な姿を見て、彼は、最新鋭の装備を用意していたわりにはみすぼらしい格好だなと、つまらない思考を浮かべ、ただ呆然としていた。

 不意に、冷たい何かが首に触れた。背後から伸びる刀身の切っ先が視界に映っていた。


「思えばあの時、俺は死ぬべきだったのかもな。生きたまま悪魔に魂を売っちまうよりは、いくらかマシだった」

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