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零落の聖域  作者: 零度
5/41

5_疑念

 地下駐車場。

 コンクリートに切り取られた空間が陽光を浴びることはなく、青白い蛍光灯だけが薄暗く連なっている。

 もはや人影はない。既にホテル内の人間はほとんどが避難しており、まばらに残っている車も乗り捨てられたものだろう。

 男が一人、柱に片手をついて前屈みに荒く息を吐いている。日々の鍛錬を窺わせるその大柄な体躯も、縮こまった姿勢のせいで小さく見える。


 乾いた足音。近づいてくる。

 男は怯えた様子で周囲を見渡し、隠れるようにまた別の柱へと移った。そしてまた目をしきりに動かしては、乱れた呼吸を繰り返す。

「霧崎蒼汰様ですね」

 男は身構えながら振り向いた。

 赤いハイヒール、赤いドレスを身に着けた女性が立っていた。

 警戒心を露わに押し黙る男の様子を見て、イオは再度尋ねた。

「どうしてそう睨むのですか。私はただの……ダンサーですよ」

 イオがいい加減なステップを踏み出すと、男の顔は更に険しくなった。

「殺すのか、俺を」

 霧崎蒼汰は絞り出すように声を出し、後ろに一歩退く。

「殺しませんよ。身分を偽ったことは謝ります。ただ、あなたが今回の襲撃について何かご存知だったのではないかと思いまして。お話を聞かせて頂けませんか」

 イオは穏やかな口調で言った。

「ああ、そうだったのか。てっきり俺を始末しに来たのかと思っちまってな。疑って悪かったな」

 霧崎蒼汰は照れを隠すように笑みを作りながら言い、懐に手を入れた。

「死ね」


 一発の銃声が反響し、空気を何度も揺らした。

 うめき声を上げながら、拳銃を取り落とした手を抑えるのは霧崎蒼汰。

 イオは腰だめに構えたリボルバーを、太腿に直接取り付けられたホルスターへ戻しながら言った。

「やっぱりご存知なのですね」

 霧崎蒼汰は、手を抑えたままよろよろと後ずさる。

「これ以上お前らの言いなりにはならねえぞ」

 イオは首を傾げた。

「お前らとは。まだ何か勘違いしていらっしゃるようですが」

 襲撃に関わっている何者かの一味と思われているのだろう。

 霧崎蒼汰はコンクリートの柱に寄り掛かるようにぶつかった。

「はっ、騙されるかよ。お前もあいつと同じだろうが。人間のふりしやがって、わかるんだよ」

 その言葉に、イオの表情が悲痛に曇った。言葉を失った様子で目を伏せている。


 冷や汗を流しながら敵意を剥き出しにする男と、思い詰めたように立ち尽くす女。

 別の声が、沈黙を破った。

「蒼汰。その人は無関係だ。私が呼んだのだからな」

 毅然とした面持ちで歩み寄るのは一人の老人。細身の体格でありながら、その堂々とした佇まいが威厳を放っていた。

「親父」

 霧崎蒼汰の声には動揺があった。

 イオとコリィの依頼人である霧崎修司は、諭すように言った。

「お前が何かを隠していることは前々から知っていた。もうそろそろ、教えてくれてもいいだろう、蒼汰。お前が何を悩んでいて、何に苦しんでいるのか」

 老人が男の元へ近づくと、男もまた、救いを求めるように手を差し出した。

「わかったよ、親父。わかった」

 瞬間、男は老人を裸締めにし、落ちた拳銃を踏みつけるように蹴り上げ、彼のこめかみに突きつけた。

「まさか実の父親にまで裏切られるとは思ってなかった。最初から俺を潰すつもりだったんだろ、どいつもこいつも」

 霧崎蒼汰は吐き捨てるように言った。その血走った目を大きく見開き、イオを睨みつけながら続ける。

「このまま黙ってやられるかよ」

 イオが自らの拳銃に手を伸ばした時。


「そこまで追い詰められていたのか。そこまで…………」

 霧崎修司が苦しげに声を発した。そして、吼えた。

「落ちぶれたかァッッ」

 右こめかみに突きつけられた拳銃を左掌で押しのけ、同時に右肘を鳩尾へ叩き込む。次の瞬間には、背負い投げで地面へ叩きつけられる霧崎蒼汰の姿があった。

「身を挺して他者を守るべき者が真っ先に逃げ出し、あまつさえ罪の無い者まで傷つけようとするとは、この愚か者が」

 怒れる老人は、強く、悲しげに言い放った。

 仰向けに全身を打ち付けられた大男は起き上がることもできず、呼吸すらままならない。


「霧崎様」

 イオが弱々しく口を開いた。

「私はきっと、無関係ではありません。それに、たくさんの罪を犯してきました。彼の言うとおり、私はあなた方を――」

「イオさん、でしたな」

 霧崎修司は、イオの言葉を遮った。

「あなたがどのような人生を歩んできたのか、私は知りません。ですが、あなたはこうして私らを救うために、危険を冒してまで来てくれた。それが私にとっての全てです」

 息子を見下ろしながら続ける。

「裏切ったというのであれば、私も同じです。彼の苦しみを知りながら、今まで何もしてこなかったのですから。あなたが来てくれなければ、私は息子と顔を合わせることすらできなかった。怖かったのです。企業の長として、父親として、もはや失格です」

 老人は力なく自嘲した。

 イオは、地面に転がった拳銃を拾い上げ、その銃身を撫でた。

「この手で誰かを助けられるなら、助けたい。それが今の私にとっての…………」

 その目に決意を込めて、イオは霧崎修司を見た。

「あなたならできますよ。その優しさがあれば、きっとたくさんの人の力になれる」

 霧崎修司は彼女に向き直り、大きく頷いた。

「それに、見事な早撃ちでしたよ。踊りは今ひとつでしたが」

 不意にからかうような口調で喋りだした老人に対し、赤いドレスの女もわざとらしく上品な笑い声を上げた。


 気付けば、霧崎蒼汰はコンクリートにもたれるように座っていて、頭上の蛍光灯を眩しそうに眺めていた。

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