1_便利屋コリィ
昼下がりの住宅街。
有数の人口密度を誇る東京であっても、この時間帯は静かなものだ。
聞こえてくる鳥のさえずりも、都心の喧騒に慣れた人々にとっては寂しさすら覚える。
立ち並ぶ住宅の中に、ひときわ小さな建物がある。一見すると何の変哲もない住居のようだが、入口のドアには小さな看板が掛かっており、何やら営業中であることがわかる。
便利屋コリィ。
小さな木の看板には、手書きでそう書かれていた。
便利屋といえば、失せ物探しやら部屋の模様替えなどといった、面倒な雑事を請け負う者を連想するのが大半であり、それは概ね当たっている。
だが、手軽で安価な大衆向けサービスが溢れる今日において、わざわざ便利屋に仕事を頼もうなどという者は、よほどニッチな需要を抱えているか、さもなければ大抵がワケありだ。
そんな便利屋コリィの入口で逡巡している、一人の老人がいる。
ピンと伸びた背筋を黒いスーツが際立たせていて、その立ち姿はどこか若々しさを感じさせる。それでいて、蓄えられた立派な口髭が、積み上げられた年季と貫禄を湛えていた。
庶民の住宅地にはやや不釣り合いな出で立ちをしたその老人も、段々と人の目が気になり出したようで、やがて覚悟を決めたようにドアを開いた。
建物の中も、やはり小ぢんまりとした作りだった。
左右の壁際には棚が置かれていて、そこには辞書やら観葉植物やら人形やらが、ちぐはぐな配置で陳列されている。その奥には、壁向きのデスクがあり、少年が座っていて何やら作業をしているようだ。
整理はされているのだが、どことなくごちゃごちゃとした印象だった。部屋の中央に置かれたテーブルとソファが、辛うじて事務所らしさを演出している。
やがて少年が来客に気づいた様子で振り向くと、立ち上がって喋りだした。
「おや、すみませんね、少し作業に没頭していまして。さあ、どうぞお掛けになって」
奇妙な身なりをした少年だった。室内だというのに白いコートで全身を包み、足にはブラウンのブーツ。透き通るような金髪は生まれついてのものだろうか。およそ商売をするような歳には見えない。
「そのう、実は私、便利屋というご職業がどういうものかわかっておりませんで、もしかしたら見当違いな――」
「まあまあ」
老人の不安げな言葉を、少年がなだめるように遮る。そして、屈託のない笑顔を見せると、ソファに座るよう客を手で促した。
老人が腰を下ろすのを見てから、少年も対面に腰掛け、軽快な口調で語りだした。
「大抵のことはなんでもしますよ、便利屋ですからね。遠慮なさらずになんでもご相談ください」
言い終わってから、少年は思い出したように声を上げて、そのまま続けた。
「これは失礼、申し遅れました。私はコリィと言います。どうぞよろしく」
老人の名前は霧崎修司。ある問題に頭を抱えて途方に暮れていたところ、便利屋に相談しようと思い立ったという。
ただ、整理がついていないのか、迷っているのか、なかなか本題を切り出せずにいる様子だった。
ドアを開く音がした。
マグカップを一つ乗せたトレイを片手に、奥から女性が入ってきた。年齢は二十台前半、あるいはそれよりも上か。長い黒髪は後ろで一つに束ねられていて、真っ赤なワンピースドレスがやたらと目立つ。
女性は音も立てずに歩み寄ると、客の前にコーヒーの入ったカップを差し出した。
「イオと申します。何卒よしなに」
派手な格好とは裏腹に、物腰柔らかで気品のある印象を持たせる振る舞いだった。
「こちらこそ、よろしくお願い致します。あの、便利屋の方々というのは皆さんそういう、変わったお名前というか、そういったものを」
老人の質問に、コリィが笑いながら答えた。
「そんなことはないですよ。ただ、依頼の中には荒っぽいものもありますからね。うちも稀にそういった案件を引き受けることがあるので、本名を伏せておいたほうが何かと都合が良いんです。どうぞお気になさらず」
世の中知らないことばかりですね、と言って老人も笑顔を作った。
「ところで、霧崎様といえば、あの大手セキュリティ企業の霧崎様ではございませんか」
トレイを抱えて老人の側に立っていたイオが、首を傾げながら尋ねた。
「これは、ご存知でしたか。恐縮です。おっしゃる通り、霧崎警備保障は私が設立したものです。実は、そのことについて、ご相談をしたくて、ですね、その」
老人の表情がだんだんと曇ってきた。相当に話しづらい内容らしい。
「盗み聞きするつもりは無かったのですが、どこかで覚えのあるお名前だと思いまして」
イオは目を細めて微笑んだ。
「すみませんね、地獄耳の類でして」
コリィが冗談めかして囁いたが、当然本人の耳にも聞こえているだろう。細めた目の奥で黒い瞳がギロリと少年を睨んだ。それを横目におどけた様子で肩をすくめるコリィを見て、老人は苦笑いする他ない。
そんなやり取りをしているうちに、ようやく彼も落ち着いてきたのか、コーヒーを一口飲んでから、その内容をぽつりぽつりと語りだした。
「近々、我が社の創立記念日があるのです。毎年その日には、祝賀会を開くことになっていまして」
いつの間にか、イオがコリィの隣に座っている。コリィは窮屈そうに眉間に皺を寄せた。老人は構わず続ける。
「その祝賀会で、私の息子に経営者の立場を継承させること、これを正式に発表するつもりでいたのですが」
「何か問題が起きた」
コリィの言葉に、老人は力なく首を振った。
「それが、どうしたらいいのか、わからないのです」
霧崎修司は空になったカップをテーブルに置いた。
一通りの話を聞き終えたコリィは顎に手を当て、深刻な表情で考え込んでいる。イオは棚の植物に水をやっている。
それは奇妙な話だった。
霧崎警備保障の経営者である霧崎修司は、近々開かれる創立記念パーティーで、息子の霧崎蒼汰に経営権を譲ることを正式に発表するつもりでいた。
ただ、実際には半年ほど前から、既に霧崎蒼汰が企業の経営を取り仕切っており、今回行う発表は形式的な継承を執り行うためのものだ。
創立記念日が近づき、祝賀会の準備に着手しようとした矢先、ある問題が起きた。
霧崎警備保障はその名の通り、クライアントの安全を守るのが事業における最大の目的であり、存在意義である。科学技術の発達により市民の生活が便利になった反面、犯罪行為も急速に巧妙かつ苛烈なものへと変化しており、もはや従来の治安維持機構では自らの安全を守りきれないことは明白だった。そのため、率先して市民を危害や脅威から守る民間セキュリティの存在は年々需要を増しており、企業同士の競争は激化の一途を辿っていた。
そのセキュリティ企業が催す祝賀会ともなれば、厳重な警備が敷かれて然るべきなのだが、後継者である霧崎蒼汰はこれに反対した。
警備の一切を撤廃し、完全自由参加のオープンな祝賀会を開き、創立記念日を盛大に祝いたいというのがその言い分だ。
前代未聞だった。
万が一、犯罪行為を未然に防ぐための組織が、何らかの犯罪に巻き込まれて被害者を出すようなことがあれば、それは企業にとっての死を意味するからだ。自らの身を守れない者に、誰が護身を求めるだろうか。
そして、そういった出来事は決して有り得ぬことではない。セキュリティ企業における最も大きな脅威は、市民を脅かす犯罪者ではなく、競合するライバルなのだ。隙を見せれば、連中は確実に動くと言っていい。
霧崎修司は息子を説得してやめさせようとしたのだが、全く相手にされなかったという。
問題はそれだけではなかった。
何を思ったか、彼は息子に明け渡してある社長室に入り込み、説得のきっかけを探して部屋を物色したのだという。
やるべきではなかった、と霧崎修司は付け加えた。いくら身内であるとはいえ、少なくともセキュリティ企業の長たる者がすべき事ではない。そして、そんなことをしなければ彼がここまで頭を悩ませることも無かっただろう。
幸か不幸か、探し当ててしまったのだ。事態を変えるきっかけを。
ある手紙を見つけたという。何も書かれていない白い封筒の中に、紙が一枚。そこにはこう書かれていた。
『死人は出さないがいくらか怪我人になってもらうことになる お前の安全は保障する 何も知らぬふりをして怯えていればいい』
メモ書きのような荒い文字だった。そして右下には差出人と思しき記述。
『聖域の守り手』
その手紙こそが、霧崎修司をこのような便利屋に縋らざるを得ない状況に追いやった最大の理由であった。部下はもとより、身内にさえまともに相談できず、さぞ悩み苦しんだことだろう。
霧崎修司の面持ちは悲痛だった。
沈黙。
やがてコリィが口を開いた。
「聖域の守り手」
そう呟くと、コリィはおもむろに立ち上がって老人を見据え、問うた。
「本当にそう書かれていたんですね」
「ご存知なのですか」
コリィは視線を落としたまま押し黙っている。イオが見かねた様子で口を挟んだ。
「大方の事情はわかりました。こちらでも独自に調査致しますので、今日のところはこの辺りでお引き取りいただいて、また改めてご連絡を」
老人はそれ以上何も聞くこと無く、二人に深々と頭を下げてから、便利屋を後にした。
「勝手なこと言って。調査なんかしませんよ」
立ち尽くしたまま、空になったマグカップを睨みつけてコリィが言った。
「わかってますよ」
イオは去りゆく老人の背中を窓から眺めている。
「そもそも引き受けるとも言ってない」
「私だって言っていませんよ」
コリィの声には苛立ちがこもっていたが、イオは平然と返した。
「でもこのまま――」
「ほっとけるかよ、でしょう」
赤いドレスの女が振り向く。白いコートの少年も彼女を見返した。