ペンずるより産むがやすし 9
ペンギンが一匹と、ひよこが一匹。
湖から離れ、入っていくのはある意味で生まれて初めてとなる森林である。
開拓者の手が入らない空間は、何者をも拒む空間と必ずしも同一とはならない。元よりそれほど高く伸びないらしい草花はなんの移動の障害ともならず俺たちを迎え入れる。
次第に草花は減り、踏み締めれば柔らかな腐葉土や苔に木漏れ日が転々と差し込む風景のなか、俺達は黙々と歩いた。
女の子と二人きりというのは些か甘酸っぱいシチュエーションだが、俺の胸を打つドキドキはRPGのように道中まで敵のような存在とエンカウントしないかというドキドキだ。生憎、ひよこに欲情する程までペンギンになってはいない。いや、ペンギン自体ひよこに欲情するかはさて置き、だ。
そういえば森へ入る前にママ鳥達へ視線だけで了解を得たつもりだが、果たして理解を得ていたか。止められなかったから恐らくは了解は得ているだろう。
話をする為に来たのにも関わらず、益体もない事を考える俺の視線の先には、まるで目的地でもあるように確かな足取りで進むメアリーの黄色く短い尻尾がある。左右にふりふりと揺れる様を見ながら、ひよこの愛らしさだけは堪能させて貰って――
「ふぅ、随分と奥まで来てしまったかな」
不意にかかる声で我に返った俺は、メアリーの前に立つ"それ"を見上げた。
苔生した黒い巨岩。言葉にするならば、そんな所だろう。しかし、たかが巨大な岩だと言い捨てる事の出来ないどこか不思議な神秘さがそれにはあった。
「ここは……?」
「さてね、私も解らないけど巣からここを見つけたときから一度来てみたかったんだ。目算ではあるが湖から近いだろうとは踏んでいたが……」
俺と同じく巨岩を見上げながら、メアリーは感嘆の吐息を漏らす。確かに木陰から巣が見えるが、逆はどうだろう。思い返せども記憶はあまり頼りになってくれない。初めて滑空した時に撃墜しそうになった場所は記憶に残ってるけど……若干トラウマになりそうだからな、あれは。
「……石碑、にしては些か複雑な形だと思わないかい? ソラ、キミはどう見る」
彼女の琴線に触れる何かがあったらしい。少しだけ熱を上げる声に相槌を打ちながら、本題にはまだ心の準備が必要か……と、多少メアリーの話に付き合う事にした。
大きさは何メートルになるのか。見ての通り周りに生える木々よりかは低い、幅もさほど長くはない。ママ鳥よりは小さい事にママ鳥の絶対的なアイデンティティを垣間見た。アイデンティティ云々はさておき。しかし、これは普通にデカい部類に入るだろうか。
至る所に緑の苔を生やす岩の色は、木漏れ日を鈍い黒色で返す。黒曜石であれば断面が光をてらりと返すのに対して、光を吸い込むように黒い。メアリー風に言えば漆黒に濡れた暗黒物質というところか。うわ、ださい。
「そうだな……まさか、ゴーレムとか?」
ともあれ見解を口にする。
言ってみて何だかバランスの悪い人型のそれが手足を縮めて跪いている姿に見えなくもない事に、メアリーもピヨと声を漏らす。
「なかなかどうしてファンタジックな解答だね。悪くない……やはり結構、イケるクチかい?」
何がイケるか。明確さを置き忘れたような問いかけに俺も、クィと鼻を鳴らす。
「御想像にお任せするよ。そもそも、こんな話をしに来たわけでもないしな」
「迷惑、だった……かな?」
ぶっきらぼうに取られたのか、そんな俺の態度に思う所があったのか。厨二病の仮面の向こうで弱々しく震える彼女が見えたような気がした。まったく、これはこれでやりにくいったらありゃしない。
「いや。この要件がなければ一晩中でも語り尽くしたい話だ。この際言っておくが着いてこれるか不安なくらい俺は"そっち寄り"だ」
「……それは、さぞかし楽しいだろうね」
「あぁ、あまりそういった話もしてこなかったしな。俺達は……」
寂しげに目を細めるメアリーを見ながら、俺は一歩踏み出す覚悟を決めた。勿論、物理的にではなく。
なぁ、メアリー。
ゆっくりと呼んだ名前に、彼女は同じ速度で以て俺を見る。
「お前は――」
呟くように踏み出した言葉でメアリーの身体が小さく震えた。間違いなく、触れて欲しくない心の一端に俺は踏み入れた。
◇ ◇
避け初めようとしている事くらい、もしかしたらソラさんなら解っているかも知れないと思っていた。
私よりお母さんに誉められるソラさんから、私よりお母さんに認められているあのお爺さんから、出来る限り目を向けないようにしているっていう自覚はあった。
だって、私は前の人生に失敗したんだから。
だって、もう失敗したくなかったから。
怖い。居場所が無くなって、足下から私という存在が消え去ってしまいそうで、何もかも無くなってしまうことが、ただ怖くて――
「お前は今、楽しいか?」
ソラさんの口から出た音の意味が初め、理解出来なかった。
たの、しい……ってなんだっけ?
呆然と聞こえた音を頭の中で繰り返す私に、ソラさんは説教臭いのは嫌いなんだが……と呟いて、苔塗れの岩を見上げていた。
「俺達は産まれ変わったんだ……って、前に言ったよな。あの時は、なんだ……弱気になってたお前に発破をかけるつもりだった」
「うん……」
「でも、実際に俺はペンギンのソラだけど人間の水鳥 空でもあるんだよ。姿は変わったけど、根っこの部分はまるで変わってない」
「私は……私、は……」
零れ落ちた声に、胸の奥から悲鳴が聞こえた気がした。
違う。私は、違う。違う。
私はメアリーだ。
九流芽 亜梨栖なんかじゃない。
だから、だからこそ。
「私も、同じ……?」
この痛みは、私の痛みじゃなかった。弱くて、小さくて、泣き虫な亜梨栖の痛み。
「てっきり否定するかと思ったけど、それなら話は早いかな……」
「え?」
「いや、気にしなくていい。別にお前の人間だった頃の話なんて知らないし、俺も知った口で変な同情とかしたくもない」
「……はっきり言ってくれても、構いません」
それは苦言を聞きたくないからじゃない。苦言を言わせたくなかったから。そう思う程に、ソラさんはなんだか辛そうに私には見えた。
「ははっ、師匠にも言われたよ。お前はいちいち回りくどいって……判ったよ。それじゃ、はっきり言うけど……本当に良いのか?」
「ほら、そういう所ですって」
なんだか笑いそうになるのを堪えながら、ソラさんの事が少し分かった気がする。きっとお母さんはもう知ってるかもしれないけど。
それはソラさんが言った通り、人間の頃からある根っこなんだ。水鳥 空さんとして染み付いてしまった部分。
きっと、それは彼が私と同じくらい……それ以上に――
「お前本当に面倒臭い奴だな。大概にしろよ、本当。幾ら巣の中って狭い世界に生まれたからって、コミュ障をくらい治す努力をしろ。厨二病はまだ許せるが引き篭もりまで引き継ぎしてんなよ」
「ひ、引き篭もりじゃないし!!」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉のナイフに、私の心は断末魔を上げた。はっきり言っていいと言ったのは私だけど、私だけど……!!
「引き篭もりじゃなかったとしても、だ。近所の野鳥達はともかく、師匠はこれからも一緒に暮らすんだ。これは既に決定事項なんだから修行云々はさて置き、挨拶や世間話くらいはしなさい。ジョニーだって凄く気に揉んでたんだぞ」
「そんなの、私だって本当は……いや、待って。ジョニーがなんだって?」
聞き捨てならない言葉を聞いた気がして問いかける言葉に、ソラさんは一瞬だけしまったと言わんばかりに目を見開くのを私は見てしまった。
どうやら、それはオフレコだったのかもしれない。しかし、覆水盆に返らず、観念したようにそっぽを向きながらその言葉を吐く。
「メアリーが最近、元気がないって……なんとかしたいって……」
……まさか、ジョニーにまで悟られていただなんて!! なんという、なんという……!!
「うぉぉぉぉっ!!」
「メアリー!? 落ち着け!! 定着しないキャラがますます崩壊してるぞ!!」
「落ち着け!? これが落ち着けと!? 頼りになる絶対的姉として君臨している私のアイデンティティがぁぁ……」
「ははっ、なんの冗談だ? 厨二病を患うコミュ障ひよこ風情が、痛いっ!! やめろぉっ!! 八つ当たりなんてみっともないぞ!!」
長くなった翼は、打撃戦にも有利になった事を教えてやる!!
メアリーがヒロインとしてアップを始めたようです。
だが、断る。




