ペンずるより産むがやすし 3
それから巣の雰囲気が改善されるかといえば、答えはノーだった。むしろ逆に悪くなった気すらする。
空を飛ぶ事と拳聖の技術取得に勤しむ俺だが、この雰囲気の悪さはいい加減にして欲しいと思う。
ジョルト師匠に、自家製果実のミックスジュースメアリー仕立てをお見舞いしてしまった彼女だったが、気絶から復活した後、それを謝罪しなかった訳ではない。
むしろ、謝罪しながら可哀想なくらいに泣き出してしまった彼女の姿は、委細を明かすのが躊躇われる為、俺達の心の中に仕舞われた。
無論、ジョルト師匠がメアリーの謝罪を拒んだ訳でもない。全裸で謝罪を受け止めてくれた。構わぬと腕を組んで迎える師匠の器量の深さには俺も痛く感銘を受けた……気がする。
でも、最初にジョルト師匠の姿を見た瞬間からメアリーが泣きそうだったような。やめよう、彼女も忘れずとも明かされたくないエピソードだろうしな。何も問題はなかった。
となれば、後は――
「……ソラ。すこし、おはなし、したい」
いつもなら太陽並みの明るさを放つ我が家の元気っ子。しかし、声をかけてきたのは、そんな明るさが陰りを見せてしまっている一羽のひよこだ。
「珍しいな、ジョニーが遊びに誘うんじゃなくて――」
ついつい口から出てしまう言葉を飲み込んで、そこにあるジョニーの目を見つめた。言葉は悪いが、元気と脳天気が取り得のジョニーの姿は、どこにもなかった。
弱々しく、今にも消えそうな姿。そんな彼の姿に既視感を覚えたと同時――
「ここじゃ、なんだ。付いて来いよ」
「……うん」
ママ鳥とジョルト師匠には目配せで察して頂く。メアリーは、まだ落ち込んでしまっているようで俺達に気が回らないようだ。
我が家の太陽が曇ってちゃ、そりゃ雰囲気も悪いか。
残されたひとつの懸念を取り払うべく、俺はジョニーを連れて、みんなから離れる事にした。
◇ ◇
「メア、げんきない。ジョニー、どうしたらいい?」
そんな言葉から始まった相談に、俺はジョニーというひよこを少し見誤っていた事を知った。
聞けば、メアリーの様子がおかしいと気付いたのはジョルト師匠がママ鳥と再会して会話に華を咲かせている頃からと言うのだ。
しかも、それだけではない。どうやらママ鳥が俺を誉める度に機嫌が悪くなるまではいかずとも、様子がおかしくなる気がしたという。純粋故に気付く機微というのもあるだろう。
まったく、この兄は……何もかもぶちまけてくれた。俺が聞いてはいけないであろう話まで俺に伝えてくるとは……
子供だから情報の歯止めが効かなかったのだろう。俺も小さな頃はよく秘密と言われた事をうっかり口にしたり、必要以上の情報を誰かに漏らした事がある。
情報を整理すると、人見知りはさて置き、メアリーはジョルト師匠のみならず俺に対して何らかの感情を抱いてるということ。
無論、それが甘酸っぱい物でもなければ、綺麗な感情ではない。しかし、誰もが大なり小なり持つ暗い物とされる感情……かも知れない。
邪推に終わればいいが、鵜呑みにもしにくいような複雑な問題である。
「ジョニー、よくわからない。どうしたらいいか、わからない。メアにもきけない、おじいにもきけない……」
確かに当事者達には聞きづらい問題だろう。そこの分別はなんとなく解っているのか。
「マザーには聞いたのか?」
「ママは……きいたら、だめ」
これまた難解な答えが返ってきた。まだ言葉を知らない為なのか。ジョニーとの会話は年相応の子供らしさから、根気強さと読解力が求められる。
「駄目って、メアリーに止められてる……訳じゃないよな」
自分で口にしながら考えを纏める。悩み事態はメアリーにオフレコなのだ。知らないことを止める事など出来ない。ジョルト師匠も違うだろう。
「メア、いってた。ママ、おしごと、いつも、たいへんって……」
思考が停止するに、ジョニーの言葉は充分過ぎた。
それと同時に吹き出した激情の行き場を、俺は知らない。
「優しいな。ジョニーは……」
「やさしい?」
身体に巡る熱い血の流れを押し込めて、代わりに溢れんばかりの柔らかな気持ちで、その頭を撫でてやるとジョニーは擽ったそうに目を細める。可愛い奴め、本当に、本当に……
不意に俺が子供の頃、ひょんなきっかけで両親が喧嘩をした。自分に危害のない出来事だったのに幼心に恐怖を覚えた事を思い出した。結局、何も出来ない内に喧嘩は治まった訳だが……
多分、あの時の自分に対して時が解決すると助言しても駄目だっただろう。恐らく、今のジョニーも。
「そんなのより、ジョニー、どうしたらいい?」
自分が誉められるよりも、家族の事を考えられる。守りたいのだろう。あの時、カマキリの猛襲からメアリーを守ったように。
昔の俺なんかよりジョニーは、ずっと立派だと思う。兄として弟を頼る点は見方によってどうかと思うが、俺はまったく気にしない。そんな見栄やプライドなんてこれからの成長に邪魔になるだけだ。
ジョニーは、この家族の立派な兄貴だった。
さて、どうしたものか。弟として、俺も何かしよう。家族の為に。
「そうだな。それじゃ――」
まずはジョルト師匠との関係改善だろうか。きっかけが出来れば、いがみ合う仲では決してない。きっと大丈夫……いや、大丈夫にしようじゃないか。
◇ ◇
私は結局、駄目な子だ。
違う世界だというのに、暗くて居心地の良い眠りから目覚めを告げる朝日は変わらない。
あの光だ。私を嫌な事に引き吊り込む光だ。いっそこのまま眠ったままでいられればどれだけいいか。
「メア、おきて、メアー」
「ジョニーか。すまない、今日は、もう少し寝かせて……」
だって、起きれば嫌でも顔を合わせるのだ。
つまらない意地を張って遠ざけた私を助けてくれた人と。
私が無様で馬鹿な真似をしでかしてしまった人と。
なんで裸なのか凄く怖くて……謝ったら許してくれたけど、私の胸はあの雨を降らせた雲よりも重くて、暗い。
「メア、メアー」
「…………」
いつもなら諦めてくれるジョニーが、今日に限ってしつこい。私が嫌だと言っているのに――
「メア、ぴにくっく!! ぴにくっくいこ!!」
ぴにくっく……? あぁ、ピクニックか。
それなら私抜きで行けばいいのに……
「ほら、メアリー。いい加減に起きなさい?」
「メアー、おきてー」
「……わかった」
お母さん。今日は暇なのかな。
それなら、少しだけ……行こうかな。
ひとりにしてほしいけど、孤独はもっと嫌だから。
素直で可愛い子供なジョニーが好きです。




