パタつかせて強き者
お待たせしました。
勝負は、一瞬で着くだろう。
体格差は圧倒的にママ鳥に有利。恐らくは、速度も。おじいちゃん……ジョルト老の手には武器などない、枯れ木のような二本の手しかない。
それに、何かで聞いた事がある。人って生き物は、上空からの攻撃に弱いとかなんとか、あと足場も凹凸が多いし。上から来るを見ながら足下を見ないといけない、無理でしょ。うちのかあちゃん、水龍瞬殺したんだぜ?
きっと俺の目の前で、この人は死ぬ。
それは避けたかったけど、少なくとも俺が命を張ってまで止めるべき事なのか。どこか薄情な自分が自分を嘲笑う。
「おぉ、フェニス……フェニスではないか!!」
いつ始まってもおかしくない蹂躙劇、最初の引き金を引いたのは、まさかのジョルト老の声だった。
しかし俺が人の身だった頃の感覚に間違いがなければ、その声は少なくとも殺気を向けている相手に対する声ではなかった。
会いたくても、会えなかった哀愁。
望んで、望んで、妄執の果てに叶う事の出来た歓喜。
まさか、知り合いか? 老人の凄惨な末路が回避される可能性が脳裏を掠めるのと――
「人間が、人間風情が私の名を呼ぶなぁぁぁぁっ!!」
ママ鳥の激昂した声が響いたのは、奇しくも同時だった。
あかん。どう聞いても激怒であり、憤怒の声は、無数の氷柱という形で彼女の周囲に体現する。全力で退避っ!! ペン力ペン進、ヨーソロー!! すまんな爺さん!!
走り去る背中の向こう側に突き刺さる氷柱の音を聴きながら、ジョニー達の下へと避難していく。
「すげぇ!! メア、ソラ!! ママすげぇ!!」
「あ、あぁ……圧巻だな。ソラ、無事で何より」
「死ぬかと思ったよ……」
比喩じゃなくてガチでな。まったく一年どころかひと月満たないこのペン生、何回死にかけただろうか。
軽く乱れた息を整え背後を振り返ると、予想通り、よくもまぁこんな派手にやらかしたものだと感心してしまう光景があった。
自然界で出来たとは思えない、ママ鳥と同じ蒼さの氷柱が山のように突き立ち、鋭い冷気を届けてくる。ペンギンだから寒さに強い筈なのに、この冷たさはなんだか辛い。
「からだがぶるぶるする……」
「こっちにおいでジョニー。ソラさんも」
どうしてか大人しい方のメアリーの翼で招かれるままに、三匹で饅頭の詰め合わせみたいに震える身を寄せ、目に見える速度で消えていく氷の絶景を眺める。
果たして、ジョルト老の形は残ってるんだろうか?
「やり過ぎだよ。マザー……」
思わず、そんな呟きが出た。人間がそれ程憎いのか。俺もメアリーも前世は人間だったというのに、それを知らないママ鳥じゃないだろう。なぜ、こんな――
ママ鳥を見上げて、その蒼と翠の羽根の数本と"赤い血"を散らせる姿を見た。
「……え?」
正しくそれを理解する時間は、俺に与えられなかった。同じくママ鳥を見たメアリーのものであろう呟きすら、どこか遠い。
思考の回復さえ許さないままに、傷付いたママ鳥が再び氷柱を放ち――
着弾先で見た光景を、俺は生涯忘れる事はできないだろう。
氷柱の突き立つ音のひとつすら聞くことを忘れた無音の景色。
端から見ても視線で追うことすら困難な氷柱が生む蒼の軌跡。消えゆく氷柱の山の上、対して着流しを揺らすジョルト老はゆっくりと動いた。
ジョルト老の身体に重なる度、殺到する蒼の軌跡が"折れた"。
老体の動きは止まらず、軌跡が次々に巣へと突き立てられていく。
それだけで終わりではなかった。いつしかジョルト老に向かうだけの軌跡が、ママ鳥にも向かい始めたのだ。
何のことはない、ジョルト老が氷柱を投げ返しているのだ。魔法のように、彼の身体に触れて逸れる軌跡がそのまま反転し、ママ鳥へと向かう。往来する軌跡のなかを掻い潜り、一本の軌跡がママ鳥の翼を掠めた。
この時、俺はママ鳥の安否より、老人の正体を疑問に思うより、この光景を、老人の動きをただただ見ていた。
「…………」
「…………」
気がつけば、軌跡の往来は終わり。空に留まるママ鳥と、氷山に立つジョルト老は互いに呼吸を乱すことなくその視線だけを交差していた。
どれだけ、そうしていたか。沈黙を取り払ったのは……巣に舞い降りたママ鳥だった。
「ひ、久しいわね。ジョルス」
「相変わらず物忘れが酷いの。フェニス」
ジョルトじゃし。と訂正を求める老人の言葉に、ママ鳥は気まずそうな顔を背ける。しかし、次の瞬間には、ふたりで笑い声を上げていた。心底、気持ちよく、笑い合っていた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
昨日一昨日とお休みして申し訳ないです。




