パタつかせて転生
「お訊ねしたいのですが、来世はどんな世界になるんでしょう?」
気まずい空気を切り替える為に失礼にならない程度に咳払いをひとつ。俺は問いかける。
いくら思考を読む神様だとしても、意識の摺り合わせは大切だ。少なくともこちらの意図を全て飲むとは一言も言っていないのだから。この間、いや前世でも嫌というほど痛い目を見てきた。アナタにオススメの商品とか、アナタにピッタリの人が見つかるとか……脱線したな。失礼。
「空様のいた世界で言うところの有り触れたファンタジーな世界と思っていただければ結構です。愛らしいエルフも妖精もいますよ?」
「素晴らしい。それは素晴らしい」
つまり、私の時代が来たのですね。テンプレのラノベ主人公作品にいい加減飽き飽きしていたけれど、自分がそうなった場合はようこそウェルカムなんです。だって、人間ですもの。
「委細は伏せますが、実のところ空様の世界から同じく転生されておりますので、力を合わせて生きて行かれるのもいいかと」
「それは……」
「そういうの……お好きでしょう?」
俺は老紳士の言葉に少しだけ鋭くなった視線を送る。解ってくれるだろうか。
「えぇ、無論、そちらは愛らしい女性の方で――」
「素晴らしいっ!!」
ヒロイン来た!! これで勝つる!! 目眩くワンダーランド!!
「ありがとうございます神様!! 都合の悪い時にいつも神様のせいにして、すみませんでした!!」
「あ、ええと。まぁ、それも仕事ですので……」
「いやぁ、これはもうチートとか最強装備はいらないくらいに恵まれてますよね!!」
「要らないのですか?」
柔和な笑みを浮かべる老紳士から唐突に浴びせられた言葉はどこまでも俺を興奮させるように――
だから、俺を冷静にさせるに充分だった。
財布をすっからかんにして俺を叩き出した飲み屋もそんな感じだったのだ。あぁ、給料が一夜に消えたあの夜にそっくりだ。給料まるっと入れてた俺もバカだが。おっと、また脱線した。
「えっと、もうお分かりになっていると思いますけど、そういうのは要りません。欲しくないって言ったら嘘になりますけどね」
文字通りの甘い言葉だ。蜜のように濃密で、触れればそれに依存してしまう言葉だ。
つまり先にあるのは底無しの沼だ。
「その、ここまでしてもらって……ですけど。その辺りまで手を出すのは、なんというか嫌なんですよね」
「今世での苦労に対する対価……そう思って頂いても構わないんですがね。 憧れではありませんか? 誰よりも強く、誰からも頼られる唯一無二の存在になれるのですよ?」
次々に柔和な表情から出る言葉は、俺の心の足元から擦り寄るように、だけども一振りも心の響く事はなかった。共感こそできるけど、不思議なことに魅力的ではなかったのだ。
だから、訊いてみる事にした。恐れ多いが、訊いてみたかった。
「急な質問で申し訳ないですけど、神様は何でも出来るんですか?」
「えぇ、勿論」
「お仕事、大変なんですよね?」
少なくとも美少女女神のような交代要員がいるくらいには。
「えぇ、ですから空様、貴方のような方との語らいは少ない楽しみであり安らぎで――」
「仕事を楽にする事は出来ないのですか? "御自身の力で"」
だって、なんでも出来るんでしょう?
可能な限り思考をせずに心を閉ざして、言葉として吐き出して、トカゲの尻尾切りのような思考を置いた直後、俺は"後悔"した。
瞬間的に、空気が一変したのを肌で感じたのだ。
これまで何回か仕事で感じた空気よりも、取り返せない失敗に気がついた時よりも空気が刃物のようだった。
踏み込んではいけない領域に足を踏み入れた感触だ。既に死んでいるなんて忘れるほどに濃密な恐怖。
「私は、自分の仕事に誇りを持っています」
柔和な筈の表情から、聞こえた声は酷く重たい。
「楽をしたい。ふふっ、確かに出来るでしょう。しかし、楽をしてしまっては……私は仕事に誇りを持てなくなる」
「…………」
「"空さん"。貴方の人生は誇れるものだったのですか?」
その言葉は、先の甘言とは違い、俺の心の奥深くまで響いた。強烈に響いて、痛烈に響いて、"何か"に触れた。
触れた瞬間、それは溢れ出す。
「少なくとも、それは神様から見たら……これまでの人々、生き物から見たら……陳腐なものに見えました?」
「失礼ながら報われたと、思うものでは…………」
神様公認だそうだ。成る程。成る、程……ね。
「確かに、好きな人と廻り合い添い遂げたり、覚悟を持って生き抜いたり、満足出来る生き方ではなかったかもしれません」
――やめろ。止まれ。
赤熱する思考に水をぶちまけるように、誰かがブレーキをかける。
「死にたくなるくらい惨めな時がありました。認めてほしいのに一瞥すらされない時がありました。愛したくても、愛されない時がありました。夢が叶わず、現実に疲れ、擦り切れ、壊れ欠けた時がありました。不幸だと信じて疑わない時がありました。色のなくしてしまった世界で、希望という光は手からすり抜けて落ちていくばかり人生でした……」
どろりとした怨嗟より滑らかに、吹き出る血のような痛みの言葉に神様は顔色一つたりとも染めてはいない。
「それが、誇れる人生だったと?」
憐れみのひとつもない無機質な問いかけに俺は改めて視線をぶつけた。
やめられるか。止められるか。
「そう思ってるのは俺だけかも知れないけど――」
恋人や家族は作れなくても、両親や兄弟からの愛情は感じていた。充分だ。
「思い通りになんかひとつもならなくて、回り道しても正解なんて見つからなくて――」
嫁は画面の向こう側だろうと、浮気もせず一人を愛し、脳内家庭は常に円満で娘も息子もいる。養育費という名の携帯代が七桁ほど残ってる。父さん、母さん、ごめん。
手取りの給料が五桁の時も、それなりに笑顔と自分でいられた仕事の時もあった。充分だ。
「死んでよかったなんて、思えない場所だった」
夢見た世界とかけ離れた場所だったとしても、頑張ってみようと思える場所だった。失敗を擦り付けられても擦り付けたこともあるからイーブンですよね。
「俺みてぇな人生を俺が誇れねぇで誰が誇れるってんだ!! 俺にとってはっ!! 最低にクソゲーでも最高に誇れる人生だったよ!!」
言った。言い切った。超スッキリ。
……うん、終わった。あぁ、終わったな。
神様相手に突然ブチ切れ散らかすやべぇやつ。
こりゃ異世界転生内定取り消しの輪廻転生不可、賽の河原でエターナル石積みですわ。あばば。
「……」
「……」
沈黙が重たい。もうやだおうちかえりたい。枝豆でいいから帰して。
「……合格っ!!」
「ひゃおうっ!?」
突然の叫びは背後から、俺は驚きに飛び上がった。
「お主のような熱い魂を持つものを待っていた!!」
反射的に振り返った先、そこには上半身裸で筋骨隆々なハゲたオジサンが立っていた。誰?
「水鳥 空。お主を我が世界に招待しよう!!」
その台詞が本当であるなら、このハゲたオジサンはどうやら来世の世界の神様らしい。
美少女女神とは縁遠かったようだ。解せぬ。帰れよハゲダルマ、チェンジだよチェンジ。やっべつい思考が違うんです。キャーヤダーすてきーワイルドなスピードに出てきそう!!
「そう、我が輩は厨二臭い魂が好物でな。そちらの神よ。手続きは済んでいるのだろう? 貰って行くぞ!!」
「あっ、いえ、まだ――」
そこから先は、非常に意味不明な上にひたすら無茶苦茶でマッハな展開だった。
俺の手を掴んだハゲマッチョが、俺の身体を丸めて手のひらサイズにして、前を開けたズボンの中に押し込んだのだ。意味不明過ぎるし明確にすらしたくなかった。痛みとか感じるとか嫌だとかそういうの全く感じさせる暇すらくれなかった。
「それでは、良き来世を」
こうして、水鳥 空の人間としての生は終わり新しい生が始まるのだった。
少なくともハゲマッチョにトラウマを覚えるスタートになる事は確かだ。