ひよこと全身鎧
過ぎた異変というものは、どんな反応もできない。
まだ日が暮れるはずもなく、木漏れ日が差し込んでいたはずの森。その一端だけがインクを零したような黒がざわりと広がる。
滲んでいくインクのように音もなく、夜がじわりじわりと広がっていく。
あれは、なんだろう?
あまりにも意味だけが分からない光景は、ジョルトおじいちゃんの背中で見えなくなった。
「下がっておれメアリー、ジョニーもじゃ」
「え?でも――」
危険だから。
思いつく理由なんてそれしかない。だと言うにはあまりにも漠然としていて、どうしていいのかすら分からない。だってそうでしょ? 日が落ちて、夜になることを止められる人がいるだろうか? 逃げることができる人など、いるはずがない。
「……おじぃ、なにあれ?」
「あとでな。頼むから何もせんでくれよ?」
「わかった。でもなんだかあれ、すごくいや」
ジョルトおじいちゃんの背中に隠れながらも、先にある光景を覗き込むジョニー。私もそうしたいのだが、不思議なことに身体がまったく動いてくれなかった。
恐怖というにはあまりにも温く、しかし絶対的な"何か"のせいで私は動けていないのだ。
「██████」
声……のような音がした。男性の声のはずなんだけど、その言葉が理解出来なかった。
「██████?███?」
背中の向こう側でジョルトおじいちゃんの声がしたけれど、何故か男性と同じく意味が理解出来ない。互いの音の雰囲気は穏やかそうではあるものの緊張感は拭いきれない。
「███、██████?」
「██████……███?」
「███。あぁ、鳥類語ならちゃんと覚えているぜ?」
「しゃべった!?くろいのしゃべった!!」
「あっ、こらジョニー!!」
唐突に意味の分かる声になったせいか、驚くジョニーを止めようと、そのクチバシを塞ごうと翼を伸ばして押さえつけた。確かに私も驚いたけど。
「黒いの? あぁ、俺の事か。確かにお兄さんは真っ黒だけど……」
意味のわかる言葉で聴いて初めて気がつく、優しげに聞こえる声は少し困ったようで……
何故だろうか? ソラさんに少しだけ似ているように感じる。そのせいとも、そのおかげともいえるけど緊張はほぐれて安堵の息が自然と零れた。
「す、すいませんうちの弟が――」
話が分かるのであればひとまず無礼を謝ろうと視線を向け――
その先には漆黒の全身鎧がいた。
悲鳴をあげなかった自分を内心で褒める余裕すらない。心臓が止まるかと思った、というより止まっていてもおかしくはなかった。
頭から足の先に至るまで、漆黒の鎧を纏う存在。それだけなら驚くこともない。
問題は兜のなか。
そこには"夜が在った"。
視線を感じるのに、そこに目はなく。言葉が聞こえるのに、そこに口はなく。ただ暗い闇だけがあるのみ。
それを人間だとは、生き物だとは微塵も思えなかった。ただの空洞であればどれだけ良かったか。
だが確かに、黒い何かは兜の中で私を見ていた。
「礼儀正しいお姉さんだな。それで?これでいいのかいおじいちゃん?」
「あぁ、すまないのぅ。長くここにいるせいか上手く人語が理解出来んくて」
明るい口調が一層不気味さを思わせる全身鎧の何かに、ジョルトおじいちゃんはどこか芝居がかるように咳混じりに応えている。
人語……?
もしかして今のがこの世界の人の言葉だったのだろうか。まったく理解出来ない音の羅列は、前世では同じ生き物の言語だったとは……カルチャーショックというより、もうどこに驚いていいか分からなかった。
「なぁに、お年寄りは大切にが俺のモットーだからな」
カァンと鎧の胸部を叩いて見せる黒い何かは言葉同様に人間臭い表現で笑ってみせる。気持ち悪いとはそこまで思わないけれど、やはりただただ不気味です。
「っと……それはさておき、だ。おじいちゃん? この辺でオークを見なかったかな?」
「…………そういえば、何頭か見かけて倒してしまったが、ダメじゃったかのう?」
ほんの少しだけ間を置いたのは答えに迷ったからなのか。でも確かに、返り血を服に着けてしまっては何も無いとも言えないか。
「パワフルなおじいちゃんだね。でも見たところ武器らしい武器はないみたいだけど?」
全身鎧からの質問は続く。どことなく職務質問を思わせる雰囲気に、なんか息苦しくなってしまう。
「……いつまで茶番を打てばよい?」
ざわりと震えたのは私の肌であり、空気だった。好々爺とした顔を引き締めて、改めて私達を背に隠すジョルトおじいちゃんの声は硬く、鋭い。
「だろうね、道理だ。少なくとも一匹や二匹やったくらいじゃつかない豚臭さ。冒険者としてもその高齢で徒手空拳? 一応、名前を聞いても?」
飄々とした態度は崩すこと無く、全身鎧の質問はそれでも続けられる。
「応える前に自分から名乗っておくのが筋ではないかの?」
「まるで俺の名乗りで名前も変わりそうだ。それじゃ、俺はその辺でお散歩している動く屍鎧これじゃダメかい?」
「最近、よくその手の遠回りな物言いをするやつを相手にしておるから構わん……それなら儂は浮浪者じゃな。訳あって急ぐ身、これにて失礼しても?」
「はっ、わかったよ。俺だってここにはあまりに長居したくねぇんだ」
やれやれとお手上げのポーズを見せる全身鎧は、ばさりと漆黒のマントをはためかせる。どこまでも芝居がかっている様子が誰かを思わせた。
「俺はプルート。此度、"技術力転移者"による異界技術漏洩の嫌疑で魔王軍からオークに対して討伐令が出ている。こちらに逃げているらしいんだが、わかっていることは全て話してもらおうか」
技術力転移者? 異界技術漏洩?
次から次へと聞きたくなるような問題を増やさないで欲しい。
しかもよりによって唯一、分かることといえば凄く良くない方向の話らしい事である。特に、"私"にとっては。
「最初からそういえばよかったろうに……監査官じゃな? お勤めご苦労じゃの。オークは儂らの領域を武装して入ってきた故、見かけた傍から潰して回っておる」
事実を隠しても仕方ないとジョルトおじいちゃんは淡々とありのままを話している。ジョニーは物珍しそうな顔で全身鎧……プルートさん?を舐め回すように見ていた。ダメだってばもう。
「ほぅ、監査官の存在まで知っていて、オークをステゴロでやれるジジイは何者かってのもいいかい?」
「それは……答えんとダメかのう?」
「俺の興味本位だ。少なくともワケありなのは理解出来るが、監査官としてだけじゃなく、魔王軍軍団長としては把握しておきたい所だ。これなら道理だろ?」
魔王軍、軍団長? もうやめて欲しいんですけど。なんだってそんな大御所がこんな森の中にいるのか。本来なら魔王の城とかにいてふんぞり返ってるべきじゃないの?
これにはジョルトおじいちゃんも背中越しに驚いてる様子。そういえばおじいちゃんは人類で近いポジションなんだけど頂上決戦みたいなことにならないで欲しいと願うばかり……
「道理、か。まるでアイツのような事を言いおってからに……まぁ、よい」
「まぁよい、って……まるで動じないのは余程の大物かね」
何かを諦めたのか。アイツとか誰なのか分からないけど……いや、今はいいです。
「儂の名はグリアルド=ジョルダリオン。過去には拳聖の名で世話になったやもしれんの?色々と訳あっての、今は魔王軍幹部である凶獄鳥フェニスの庇護に……? いや、待て、世話をしているのは儂では……? まぁよい。今はそんな感じじゃ」
あ、途中で面倒くさくなった。絶対なった。確かにおじいちゃんの境遇を話してたらそれこそ夜になりそうだけど……
「ジョルト、か……?」
それはとても小さな呟きだった。
震える声はなんだかとても悲しそうに聞こえた。まるで……なんだろう。お母さんに会った時のジョルトおじいちゃんのような……?
「ぬ?お主……なぜその名で……」
「っ、拳聖ジョルトの名は魔王軍にも届いているからな!! てか、まじかぁ……なんでよりによって問題児とジョ……拳聖が同じ領域に仲良く住んでるんだよ……うっ、胃が痛い」
「胃袋があるかも疑わしいがの……それでもう良いだろう? 監査官としては嫌疑をかけようもあるまい? 儂とて所謂同業者でもあるしの」
「わかったわかった。俺はアンタに関して見なかったことにする。オークもゴブリンも監査終了。どの道、異端者本人も拠点も処理してるからな」
「処理、か……変わらぬか。人類も魔王軍も」
処理? それってどういう……
逃げてきたらしいオークの処遇を考えれば、答えは分かる。恐らくもうこの世にはいなくなったのであろう。
「そこに関しちゃオタガイサマ。これからもどうか平和によろしくって話だ。道理…………まぁ、そんなとこだ。さて、俺は帰る」
「随分と雑な監査じゃったの」
「デカい口叩いて出てきた手前だが、オークはさすがに絶滅出来ねぇだろ。大元は絶ったし適当でいいんだよ」
言いながら、ずぶずぶと影に沈んでいくプルートさん。もしかして影の魔術とかなのだろうか。流石は魔王軍軍団長ともなると詠唱とかしないんだな。と、情報過多になった頭は漠然とそんな事を考えていた。
「……それじゃあな、おじいちゃん。酒は控えろよ」
最後に一言を言い終えて、プルートさんの影は消え去った。
あれ? プルートさんの前でお酒なんて飲んでないのにどうして……?
同じ事を思っていたのか。首を傾げるジョルトおじいちゃんの前に一羽の鳩が舞い降りた。
「伝令です。残存しているオークは進路を変え、散り散りに領域から退散。ゴブリンは全滅したようです」
そういえばゴブリンもいたらしいけど、結局見ないうちに……なんで全滅?
恐ろしくテンポが悪くなってる気ががが
ここまでお読み頂きありがとうございました!!




