邂逅
その日は何事もない一日だった。
日の登らぬうちに山肌に空いた穴へと入り、ツルハシなる道具を古い、硬い石を掘り返す。それを袋に入れて外で飯と交換する。
決まった数以上に取れば、それだけ美味い飯にありつける。だから、彼らは石を掘る。
ただの石ではダメらしい。このツルハシでも簡単に砕けない黒っぽい壁から採れる石でなければならない。
新しい族長が言うには、この黒いのが武器になるらしいが石掘り係と呼ばれた彼らには何の関係もない。美味い飯だけがあればいい。
前の族長もその前の族長も……だいたい族長はどこか長く集落を離れた族長は帰って来なかったが、新しい族長はいつもの族長と違った。
力も強く、頭もいい。
誰よりも強く、ハンバーガーという美味い飯を考えた。彼らが従わない理由はない。
石を掘りながら、隣では運びきれない量を掘ってしまった仲間が困っていたが、彼らは笑いながら仲間を置いて帰路へと着く。
決まった数以上を取っても美味い飯は自分のお腹に入る分しか入らない。
必要以上に頑張る意味なんてない。
明日もそうやって石を掘る。
汗と土に塗れてオークは美味い飯、ハンバーガーを食べるべく穴蔵から外へと出た。
その日は何事もない一日だった。
明日もまた同じ一日。
何事もなく終わる一日。
集落は炎に包まれていた。
何事もない一日に終わりが来た。
◇ ◇
「なるほど、オークだけで製鉄所。これは確かキミが言うところの道理、と呼ぶべきではないね」
もはや跡形もない何かの建物だった残骸の前で、周辺で唯一の青をしたマントを羽織るひとりの青年は納得して頷く。
「よくもまぁこんなもんに興味を抱いたもんだな。言ってしまえば組織というより社会の闇みたいなもんだってのによ」
青年の隣に立つ漆黒の全身鎧の男は、在るべきで存在するはずのない兜の奥の瞳で周囲を睥睨した。
「それでこそ、だよ。プルート」
青いマントの奥、懐から出した手に持っていた一冊の本が開かれた。それを自身が見るではなく、どこか弄ぶようにパラパラと焼けた風に踊らせる。
「文字と絵だけでは得られない。淡々とした情報にはない世界を見なくては、見るべき物を損なってしまう」
仰々しくもある言葉選びだが、美男と呼ぶに相応しい青年がすると様になる。と、青年の本から炎の球が現れた。ゆらゆらと揺れる幻想的な蒼の炎だ。
「いつか支持すべき王が机上の空論しか述べぬ愚王だと嫌だろう?」
揺れる炎は何かを見つけたように崩れかけた瓦礫へと蒼の尾を引いて飛んでいき、轟音と共に消し飛ばす。小さく響いた何かの声に満足したように青年は頷いて隣へと視線を移した。
「なんてね」
「本気で目指すなら本気で支持もやぶさかではないがね。ヴァルタリア殿下」
プルートと呼ばれていた全身鎧の男は膝こそつかないが優雅に手を振りお辞儀をしてみせる。
「少なくとも私まで辞退してしまうと候補がひとりになってしまうからね。それではよくない……という答えでよいかい?」
「道理ではあるな。万が一を考えると、まだプリ助には大人になってもらわねぇとな」
「万が一、か……相変わらずキミの言い回しは的を得ているね」
「お褒め頂き恐悦至極。それでどうする? 監査対象の粛清は残党狩りパートにシフトする訳だが」
「流石の魔王軍団長でもオークを駆逐出来るとは思えないし、もう少しこの景色を見ておきたいかな」
全てが破壊され、所々に残火が残る集落を見つめながら、ヴァルタリアと呼ばれた青年の表情。そこに宿す感情の色はプルートにも読み取れない。
「まぁ、程々にしたら帰るさ。精々日頃の鬱憤を晴らすとしようかね」
それではアデュー。と敬礼にも似たポーズを取るプルートの足元、その影が人型を崩して影の主をゆっくりと沈めていく。
ちゃぷん。と全てを飲み込んだ影も消え去るとヴァルタリアはひとり、荒廃した集落を見て――
「世界の異端。転生者、か」
誰にも聞こえぬ呟きを零した。
◇ ◇
オークの性質で一番厄介なところは何か?
漆黒に塗り潰された影の世界でプルートはようやくひとりの時間を楽しめると、ミッションの内容を反芻する。
それは、行き過ぎたまでの雌を求める雄としての本能。そして、その遺伝子。
それは、その為に進化した環境への適応性。そして、その生存力。
プルートは知っている。
たった一つの村に混ざったオークの雄が幾つもの偶然を経て、半年を待たずに村をオークの集落へと変貌させた事実を。
本当であれば、オークという生物は転生者などという存在よりもある意味では驚異となり得る事を。
しかし、世界がそれを許さぬようにオークは今日という日においても世界の何処かで生きている。
ならば、管理すればいい。
それが、この世界を生きる先人達からの教えだ。
ひとまず、近隣の部族に逃げたであろう半分を消そう。
「それで、ここはどこだ?」
「ブギィ!?」
影の奥に伸ばした手が何かを掴み、プルートは漆黒の世界から抜け出した。
一見して、森。
集落からの逃走者を追って来た訳だが、数体のオークとゴブリンしか確認が出来ずに――
「あぁ、こんにちわ。さようなら」
とりあえず、手に掴んだオークを叩いて"壊した"。他のオークやゴブリンが動揺と共に逃げ出そうとしたが、動くことが出来ない。背中を見せた瞬間に終わる。
本能が教える終わりに、すべきことが分からないとただ立ち尽くしているのみ。
「ふむ、この辺にはいるオークはこれしかいないのか? ゴブリンを多少引っ張って来る辺り随分余裕のある逃走劇だなオイ」
くるりと辺りを見回しながら手首をひねり、ぼとりとその手が落ちた。
「ゴブリンは適度に減らせ。オークは俺の仕事だ」
その言葉はオークに向けたものでも、ゴブリンに向けたものでもなかった。応えたのは先の無くなった手首から飛び出した"何か"。
礫のように飛び出して、ゴブリンの顔に着いたそれは、バッタのような虫だ。直後に悲鳴と血飛沫が飛び交い、それを引き金にオークがその場から逃げ出そうと――
「四匹目っと」
それぞれの方向に逃げたオークの背中に赤い血の花が咲いた。花弁の中心には黒い柄が突き立てられていた。
「最後のお前は、他の奴らの場所知ってたり?」
「プ、プギィ……」
「知らない? そっか、五匹目でここはフィニッシュですっと」
最後のオークを処理し、プルートは大きく伸びをする。
バッタ達は次の獲物を求めたのか、どこかに去っていた。精々、久方ぶりの出所を楽しむといいと、プルートはオーク達を影の中に沈めていく。
「次はどこに行こうか……って、本当にここは何処だよ」
結局、迷子になりかけている事実が解決してないと視線を巡らせると、兜の奥の存在しない瞳がそれを捉えた。
木々の隙間から見える。
あまりに巨大な、巨大過ぎる樹を。
思い当たる節にあるはずのない心臓がキュッとした。
「極樹の領域じゃねぇか」
高速で仕事を終わらせようと飛ぶ勢いで走るプルートだったが、一分もしないうちに彼は仕事に更なる障害にぶつかるのだった。




