メアリーとソラ
呆然とするしかなかった。
ただ、呆然とするしか。
生きている実感も、死ぬ想像もなく、震える身体に心臓の音だけがバクバクと意味もわからぬままに響いている。
落とした視線に影が差した。
「勝敗は……儂から告げるか?」
心臓の音以外に初めて聴いた声がようやく私の状況を理解させてくれる。
「いえ、私の負け……です」
そうか、私は負けたのか。自分の声が自分の声じゃないような錯覚のなかで、私は負けを認めた。
恐る恐る顔を上げると、視界の奥でおかあさんに抱かれて気絶しているジョニーが見える。
怖い。
今までジョニーに抱いたことの無い名前の感情に、先程の光景が浮かんだ。敵意ではない、殺気でもない、強い意志の宿った眼差し。何回だって立ち上がる意志、あれを不屈というのだろうか。
「結構、この一戦だけでお前達ふたりには一層みっちり言って聞かせ、しごかねばならんと思わされたぞ? 楽しみにしておれ」
果たして、私に出来るだろうか。
私にも、出来るだろうか。
ジョニーのような強さを、私も持てるだろうか?
……持ちたい。出来なくても、手を伸ばしたい。
震える翼を見つめる。
弱々しく震える翼を。
「そういうわけでメアリー、まだやれるな?」
不意に呼ばれてハッとする。
そうだ。まだ終わりじゃない。ジョニーは気絶してしまったのだから、連戦するのは私だろう。
「……大丈夫です」
体の疲労よりも精神的な疲労が強いけれど、酷い負け方をしたけれど、まだ心は折れてない。
「よろしい。では、次はソラとじゃ」
なにより、この時を望んでいたのは私なのだから。
相変わらずどこまでも広い巣の真ん中で、私とソラさんは向かい合う。
吹き抜ける風が冷たく感じるのは、身体が熱いから。身体が熱いのは、この時を待っていたから。
視線の先には飄々(ひょうひょう)とした様子で佇む一匹のペンギン。普段であればその愛くるしさに心を打たれているのだろう。だが、今はそれ以上の気持ちがある。
「先程も確認したが、過度に互いを傷付けぬよう。これは喧嘩ではない。よいな? 無意味に力ばかりを振るう醜態を晒さぬように」
ジョルトおじいちゃんからの再三のルール説明に耳を傾けながら、私は高ぶる気持ちを抑えつける。
「ソラ。正々堂々、悔いのない戦いにしよう」
「…………」
翼で握手を求めれば、あからさまに渋々といった様子で返すソラさんへ不安が過ぎる。
乗り気じゃないからと言って本気で戦ってくれないかもしれない、と。
「ソラさん。わざと負けたりなんかしないでくださいね?」
お願いします。そんな気持ちを込めて、開始位置へと振り返る。言ったあとでもしかして煽ったように聞こえたかな? なんて焦ってしまったのは心の内に秘めておこう。
改めて開始位置につけば、明らかにこちらを睨むソラさんが……あぁ、やっぱり勘違いされちゃったかな。でも、結果オーライという見方も出来るよね。
油断せずに、慢心もせずに、勝つ。
「始めぃっ!!」
だから、頑張る!!
開始と同時に選ぶ行動は、接近。
ソラさん相手にはジョニーと同じように距離を置くべきなのだろうけど、それでは勝ったと言えない。
それに、もしかするとジョルトおじいちゃんから継いだ技で返されるかもしれない。二試合連続で自分の風を受けるのはごめんだし。
どんどん近付いて行く距離、一瞬だけ意表を突かれたと目を見開くソラさんが迎撃の姿勢を――
振り抜いた翼に再びその目が驚きに染まる。翼の軌道に乗る風が刃になって襲いかかる。
風切りの刃。
ジョニーとの戦いでも見せなかった術、ソラさんが知らないであろう攻撃にどう反応するのか。
避けるには難しい距離で、ソラさんの決断はあまりにも早かった。
「だらっしゃぁぁっ!!」
顔を守りながら風に突っ込む形でロケットのようにこちらへと跳んで来たのだ。攻撃を受ける事に抵抗がないと言わんばかりの潔さだけど……
すかさず私も上に跳び、これを回避、ついでにこの機を見逃してやるようなことはしない。
「†エアリアル=クロー†」
くるりと宙で身体を回転させて振り下ろす足がソラさんの背中を捉えた。遠心力の効いた爪先に確かな手応えと共にソラさんの身体を巣に叩き付ける!!
「やはり予想外だよ。キミという奴は」
「ぐっ……」
じたばたと抵抗をみせる身体を踏みつけながら、どうにか上手くやれたと安堵する。
避けるでも受け流すでもなく突撃するという脳みそまで筋肉な反応を見せてくるとは。
とはいえ、だ。
今の状況を打開する手立てはないようだ。
「なんの真似だ……?」
飛び退いて距離を取れば、そんな言葉が返ってくる。え?なんの真似って……
「あぁ、勘違いして欲しくはないんだが――」
これで終わりにするとでも? こんな一瞬で、終わりに? 冗談でしょう?
「本気で来て貰わないとね、ソラ。あんな程度じゃないだろう?」
もっと戦おうよ。ソラさん。




