ひよこウォッチング
「ソラよ。何時までも走って避けてばかりでは飽きたじゃろう」
さぁて、と今日も風術の鍛錬からだと意気込む私の耳に届いたのは、ジョルトおじいちゃんのそんな言葉だった。
唐突というにはあまりにも不自然で、さらに不自然というにはあまりにも意図的な言葉は、否が応でも昨夜の出来事を思い起こさせる。
"いつか"、ソラさんと戦ってみたい。
いやいや、まさか、ね……?
つい昨日の晩に話したばかりだっていうのにそれは急過ぎるというものだ。
そうだ。そもそも、すぐにはいいと遠慮したし……した、よね? ジョルトおじいちゃんもわかってるって返してくれ――
「ふっ……」
ふと目があったジョルトおじいちゃんは……一瞬だけ、それはもう良い笑顔で私を見ていた。
わかっている、皆まで言うな。とでも言わんばかりに。
う、嘘でしょ?
「本当に走らなくて、いいんですか?」
「走りたいか?」
愕然としてしまう私を尻目に、ふたりの話はどんどん先に進んでいく。あわわ、え? ジョルトおじいちゃん本当に? 冗談じゃなくて?
「メアリー様? どうかなさいましたか?」
「い、いや……なんでも、ない」
お、落ち着け。落ち着いて私。動揺する必要なんてないんだ。きっと違う話で……こんな時はジョニーを見よう。
「なぁに? メア」
こてんと首を傾げるジョニー。相変わらず、かわいい。ずっと見ていられる我が家の癒やし系弟だ。ふふっ、なんでもないですよー?
そうだ。今日はおかあさんもいるから、またみんなでピクニックに行くというのはどうでしょうかね? 相変わらずいい天気ですから――
「ジョニー、メアリー」
「なに、じゃなくって、はいっ!!」
「……はい」
はい、現実逃避タイム終了だ。
心の準備も出来ないまま、私たちはジョルトおじいちゃんの前に並ぶ事となった。
どうしよう。どうしたものか。
「おいメアリー。お前なんか、大丈夫か。なんかあったか?」
不意にかかる心配そうな声に目を向ければ、憎らしい程に愛らしくまっしろでふわふわな姿をしたペンギンのソラさんが……まさに死んだ魚のような目でこちらを見ていた。
いや、そんな目でなにかあったかって言われましても……
「なぁ、ソラ。一応、私にも色々思うところはあるが大丈夫だ。と言いたかったが、今この一瞬でキミこそ大丈夫か? と問いたくなる顔をしているぞ? 特に目が死んでるが……」
言いながら、私も似たような目をしているんじゃなかろうかと心中で自嘲してみる。こんな筈じゃなかったと。
「……お気遣い、ありがとよ」
珍しく気落ちした声は彼らしくもない。私が現実から目を背けている間に何かあったのだろうか?
儚げに笑う彼にどんな言葉をかければよいのか。ソラさんにしてみれば、ようやく走り込み以外の鍛錬が出来るというのに何故――
「メア、ソラ。おじぃ、まってるよ?」
かける言葉をみつけるより先に、ジョニーの声で私もソラさんも互いの視線を外した。気にはかかるけど、実際わたしも人の心配ばかりもしていられない、かな。
「……ソラ、どうしたの?」
「いや、ジョニーはでっかくなったなぁって」
くすりと微笑みながら告げた言葉には、私も同意せずにはいられない。ソラさんもまたジョニー愛好会の会員なのだ。
「うむ。私も日々思うところだな。同じひよこでもここまで違いが出る辺りは流石ファンタジーだと言ったところか」
ゆるふわひよこを見れば心は安らぎを覚える。まったく、何の因果か。少なくとも感謝すべき今という環境を思えば、不思議と心も軽くなる。
そうだ。辛い事なんてない。ここには、そんな物、ない。
「なぁ、メアリーさんや」
「どうしたんだい、ソラさんや」
いつかのように、唐突な間の抜けるかけ声に私は改めてソラさんを見る。
「俺の身体、成長してる?」
いや、本当、何をいきなり……?
あぁ、ジョニーの成長ぶりに触発でもされたんですかね?
こんな事をしている場合ではないだろうに、しかしこれはソラさんのペンギンボディをもふ……ごほん、観察する絶好の機会でもあるのでは……!? しかも合意の上と来た。ごめんね、おじいちゃんしばらく待っていて欲しい。
「これは……」
「どうだ?」
恐る恐る羽を伸ばして触れるソラさんの羽毛は……ふむふむ。
「お腹の辺りのふわっふわっさが上がってるようだ。肩の筋肉も多少ついたんじゃないか? しかしやはり特筆すべきは触り心地だな、あんなに翼を酷使して良くこのコンディションを保てると思うよ、本当に」
同意の元という大義名分を得て触れられるペンギンボディは愛くるしさを裏切らない手触りだった。最初に触った時よりはしっかりとした体毛だがそれもいい。
「そろそろいいかのぅ?」
あっ、はい。すっかり忘れてました。
最初に比べると随分と軽くなった気持ちでジョルトおじいちゃんに向き直って、私は姿勢を正す。
「では、これより。模擬戦を行う」
とくん、とくん。と小さな私の小さな心臓は、鼓動を打ち始めていた。
不安とは違うような、確かな鼓動を。




